【日常茶飯事】見えないものを意識する
人の思惑は、千差万別なんですよね。
「神の掟不意に畏(おそ)れつ唐黍の粒のひしめき列なしてゐる」
(村山美恵子『溯洄』より)
「夕照はしづかに展くこの谷のPARCO三基を墓碑となすまで」
(仙波龍英『わたしは可愛い三月兎』より)
「やはり<明日>も新鮮に来てわれわれはながい生活(たつき)の水底にゆく」
(三枝昻之『暦学』より)
目に見えるモノに惑わされて、ついつい、自分の得になるように、行動していると思うんです。
目先のことばかり目を向けて、その一瞬、とても成功したかに見えても、その流れは、すぐに消えるだろうとは思うのですが(^^;
世の中の流れに乗るとは、そういう目先のことではないはずです。
自分にきちんとした理念があり、それと同じことが望まれていれば、流れに乗って成功するだろうってことは、あるとは思いますが。
人が必要だと感じるものが続いていくのでしょう、ね。
その人の理念が空っぽに見えるときは、どんなにすごい波が来ようと、流れは変わるはずです。
自分で何かをやりたいと思っている人。
まずは、自分自身を振り返り、何を打ち出していきたいのか、整理することが必要だろうって気がします。
望めば、波は誰にでも、平等にやってくると思います。
そのときに、自分が準備できているか、否かによって、その先が変わってくるのでしょうねぇ(^^)
例えば、音や景色が、記憶の中の涼しいイメージと結びつくことで、実際に涼しく感じられるのは不思議なことですが、五感を刺激することで、もともと人間が持っている感覚が働く感じも心地いいのだと思います。
そうそう、あまり忙しくし過ぎるのも考えものだから、のんびり過ぎる時間も、大切に♪していきたいですね!
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