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身近なものへの感動を刻み込んで

小さな幸せを、心に貯めていこう!

良くも悪くも、いろんなことを経験して、感情豊かになる人と、逆に物事を素直にとらえられなくなる人がいます^^;

感動指数は、心の健康のバロメーターになるから、自分の気持ちに正直に、素直に感動できるようになっていきたいよね。

あなたにとっての幸せは、どんな状態の時の事ですか?

幸せを感じるには、幸せなものに出会った時に、

「いいなぁ」

「楽しいなぁ」

「うれしいなぁ」

「ステキだねぇ。」

「幸せだなぁ」

などと、素直に感じればいいのでしょうね。

だから、

「でもねぇ」

「こんなのはなぁ」

「もしかして?」

「いつまで」

「失ったら」

などと考えると、あまり感じられなくなってしまうから、注意しなくちゃ。

そう、幸せを感じるのに理屈は入りません。

ただ素直に感じればいいんじゃないかって思います。

余計なことを考えると、幸福感をディスカウント(値引き)してしまいます。

大人になると、つい余計なことを考えてしまいがちです。

子どものように、素直な心で、幸せを感じられたらいいのではないでしょうか?

では、幸せの中にポツンポツンと不幸があるのと、不幸の中にポツンポツンと幸せがあるのと、どっちがいいのか?

人は日常的なものには慣れ、非日常的なものには敏感になります。

日常的な幸せを忘れないようにし、非日常的な不幸にはあまり動揺せずに、日常的な不幸には慣れ、非日常的な幸せを素直に喜ぶことができたら良さそうですねぇ。

「生まれてから今までで幸せだったことは何ですか?」と聞かれたら、みなさんは何を想い浮かべますか。

本当にちょっと考えてみてくださいよ。

たぶん、思いついたことは非日常的な幸せではないでしょうか。

日常的な幸せだという人は、すでにけっこう幸せな人ではないかと思います。

「あなたは幸せですか?」という問いかけに「はい」と答える人は多いでしょうねぇ。

みなさんがもしそうだとしたら、それはなぜですか?

さぁ~考えてみてください!

たぶんそれは日常的な幸せがあるからでしょうね(^^)

非日常的な幸せのせいだという人は、今相当に幸せな人ではないかと思います!

であれば、日々小さな幸せをいくつも感じ、時々中ぐらいの幸せを感じ、たまに大きな幸せを感じられる可能性のある人生がいいのかなって気がします。

「多くの幸せはありふれているが、ほとんどの不幸はドラマチックである。」

このような意味の言葉をどこかで見た覚えがあります。

日常的な幸せと不幸は慣れてしまえば大したことはなくなりますが、非日常的な幸せと不幸はインパクトが強いので、人は非日常的な幸せに憧れ、非日常的な不幸を恐れます。

非日常的なことにしか幸せを感じられない人もけっこういます。

日常的な幸せを大切にすることが幸せになる近道なんでしょうねぇ。

でもやはり、それだけでは飽きてしまったりもの足りなくなってしまうんですよね^^;

だったら、日常的な幸せを大切にした上で、非日常的な幸せを自ら計画(偶には、不幸も味わってみて・・・・・・)し、それを目標として努力ができたらいいなぁ~、と思います。

そう、「一生悟れなくてもいいから 感動いっぱい、感激いっぱいの いのちを生きたいと思います。」って感じでね。

相田みつをさんの言葉です。

あなたなら、どちらを選びますか?

長い苦労の末の大きな幸せがひとつ。

日々の小さな幸せがいっぱい。

小さな幸せをたくさん感じながら、大きな幸せを求めて生きるのがいちばんかもしれませんねぇ。

「悟り」とは、特別な対象がなくても、心穏やかでいられる思想のことかもしれませんね。

それは、日々のささやかな幸せや誰もがもっている幸せを、確かに感じられるようになることなのかもしれません(^^)

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