【宿題帳(自習用)】考えるということの姿勢
考えるためにも、姿勢が大切だ。
道具を使うことによって、私達は、環境の性質を引き出している。
言葉・記号、暦も、道具。
例えば、月の満ち欠けが周期的に起きるという情報が、農耕活動を促したように。
声も道具。
呼び声、掛け声で、それによって、活動が促される。
姿勢は、アフォーダンスを引き出す力。
「新版 アフォーダンス」(岩波科学ライブラリー)佐々木正人(著)
「アフォーダンスと行為」(身体とシステム)佐々木正人(著)/宮本英美/黄倉雅広/三嶋博之/鈴木健太郎(著)
見えている世界は、視覚ー運動系の所産である。
私達の知覚世界は、アクションの可能性によって、情報化・分節化している。
人間は、頭で考え、考えていることを行動するという見方を反転させると、世界が違って見えてくる。
「脳と身体の動的デザイン―運動・知覚の非線形力学と発達」(身体とシステム)多賀厳太郎(著)
ジェームズ・ギブソンは、環境との相互作用の性質を、「アフォーダンス」(affordance)と名づけた。
「生態学的視覚論―ヒトの知覚世界を探る」J.J.ギブソン(著)古崎敬(訳)
「生態学的知覚システム―感性をとらえなおす」J. J. ギブソン(著)佐々木正人/古山宣洋/三嶋博之(訳)
椅子にすわることも、全身と椅子の相互作用であり、ものごとと、じぶんの間にアフォーダンスがあるから、考えたり、行動できるのである。
「新装版 アクティブ・マインド 人間は動きのなかで考える」(UPコレクション)佐伯胖/佐々木正人(編)
自然・環境と人間は、協働して、自分の行為を引き出し、助けており、ありとあらゆるところに、アフォーダンスがある。
・椅子はすわることをアフォードします。(椅子があるからすわれる)
・階段は登ることを
・橋は渡ることを
・道は歩いてゆくことを
・紙は書くことを
また、既にあるものだけでなく、作り出すこともできる。
例えば、動作のもとになるもの、それは姿勢である。
作法によって、ある身体的な姿勢をつくることは、アフォーダンスを引き出す力になる。
例えば、静かにすわり、ピンポン玉を手にそっとのせるだけで、内省の場をつくることが可能であり、ひと息はくと、落ち着けるだろう。
そういった静穏の場を作り出すことで、自分の言葉を紡ぎ出す流れを作ることが可能となる。
「「学び」の構造」佐伯胖(著)
「アフォーダンス入門 知性はどこに生まれるか」(講談社学術文庫)佐々木正人(著)
また、経済学者の内田義彦は、「学問への散策」で、次のように書いている。
「学問への散策」内田義彦(著)
「社会科学にしろ、何にしろ、およそ考える場合の基本姿勢には二つあると思う。
一つはうつむいた姿勢であり、一つは天井をむいてポカンとしているそれである。
(中略)
仕事をしている場合、夜中にふっといい考えが浮かぶことがある。
新しい土俵の誕生であり、既知の事実との新たな遭遇である。
が、そのままではせっかくの土俵も、思い出した事実も、雲散霧消してしまう。
あおむきの姿勢は土俵を外すには適合的でも、土俵の中で煮つめていくには不適当なのだ。
とっさに起き上がって集中しうる姿勢となり、書くことである程度ディベロップしておく。
少なくともICに吹き込んでおく。
突撃の態勢に移るわけだ。
そのばあいには絶対に一度きめた土俵を動かしてはいけない。
これがコツなのであって、絶対に土俵を動かしてはいけないという無理から、実は、諸事実と土俵の衝突がはっきりしていて、そこで、土俵を外すという次の作業が出てくるのである。
その二つが基本姿勢で、その基本姿勢の衝突をうまく捉えたのが「ソファのパイプに学問の本質がある」というマックス・ウェーバーの言葉である。
ウェーバーの言葉を覚えなくてもいい。
肝心なのは、それぞれの姿勢がもつ働きを、肉体感覚として、鮮明に覚えておくことである。
日本の社長の椅子が天井にむき易く出来ているのは、土俵を外して考えるのに適合的なためか、それとも無能者が威張るのに適合的なためなのかよく知らん。
学者についていえば、常にうつむいているという姿勢で私が想像するのは、思考停止のそれである。
というのはこの姿勢は受動的思考のそれであるからだ。
いずれにしても自然体とは縁がない。」
「ものごとがわかる」という時、私達は、頭の中におさめた知識と思考力のおかげ、と考える。
佐伯胖さんは、こう言っていた。
「「ものごとがわかる」のは、すべて私たちの「頭の中」という特定の場所に存在している「知識」という実体に帰属させる、という考え方をとりがちだ。
(中略)
たとえば、言語の発話や理解を可能にしているのは、文法の知識と語彙の意味の知識という、カチッとした知識であり、それが、現実場面では、談話状況に即して修正されて発話され、また、そういう状況に即して理解する、と。
それは、さまざまな状況の可能性を一般化した知識をやはり頭の中に想定し、それが具体的な状況に応じて適応されるのだ、というと考え方になる。」
頭の中にある知識が出てくる、と考えてしまうのは、私たちの思い込みだったのだ。
ジェームズ・ギブソンは、知識は環境自体の中に存在している、と考え。
例えば、レモンの酸っぱさも、木々の葉が風に揺れる騒めきも、それらの事象は、人間にとっての「酸っぱさ」であり、「騒めき」である。
確かに、動物や昆虫にとっては、酸っぱさで、騒めきでもないでしょう。
人間が味わい、感じ取るからこそ、「酸っぱさ」とか「騒めく」といった性質が現れてくる、と捉えられるのである。
言い換えてみると、「外界が、その生態の活動を誘発したり、方向づけする性質」を、ギブソンは「アフォーダンス」(affordance)と名づけた。
ある状態を可能にするという意味の動詞、affordする性質という意味である。
【関連記事①】
系統樹思考はアブダクションとしての推論である
https://note.com/bax36410/n/n13a9cf9a3e9e
【科学エッセイ】ユクスキュルの環世界
https://note.com/bax36410/n/nb0267e069b66
【宿題帳(自習用)】情報の力を獲得するために心と情報との付き合い方を再考してみる(その1)
https://note.com/bax36410/n/n4893b4746906
そう、日常の風景は、アフォーダンスに満ちている。
例えば、
・椅子は、すわることをアフォードする(椅子があるから、すわるという行為ができる)
・階段は、高いところへ登ることをアフォードする(階段があるから、登れる)
・レモンは、しぼることをアフォードする(レモンの性質、形状によって、しぼるという行為が生まれる)
・バスケットボールは、ドリブルをアフォードする(はずむボールの性質と形状で、バウンドさせながら走るという行為が生まれる)
等々である。
そして、今日のありふれた日常は、私達が思っているよりも、ほんの少しだけ美しい。
どんよりとした曇り空。
みぞれ混じりの雨。
少しぬかるんだ道。
目の前の景色は、けっして、それほど綺麗では、ないかもしれません。
それでも、もしかしたら、美しさは、そこに隠れているのかもしれない。
例えば、この写真達(富久浩二さん撮影)の様に、知覚・感覚・情感を刺激してやまない。
また、身のまわりの時間と空間のアフォーダンスによって、相手と共に紡ぎ出す可能性の高い、以下の言葉には、こんなアフォーダンスがある。
①静穏:静かにすわることをアフォードします。
②円相:ゆっくり指でなぞるふるまいをアフォードします。
③間:移ろいに委ねて、待つことをアフォードします。
④発話:空気に響くじぶんの声にふれることをアフォードします。
⑤直観:色・形・記号表現で直観の働きをアフォードします。
⑥閃き:ふりかえり、ひと言を紡ぎだすことをアフォードします。
⑦分かち合い:ひと息のことばごとによりそいあうことをアフォードします。
相手と自分が一体になる空間。
心身を使ってやりとりする時間。
心身サイズの時空に、新しい言葉が生まれやすくなる。
それは、頭の中の知識ではなく、その時空が、共に生み出す、協働の知性であると推定される。
・未知のじぶん(これまで気づいていなかったこと)を探索する
・つながり(これまでなかった意味)をつくる
・互いの心によりそう
そして、生み出されたものを利用し、活用することで生まれる新たな知識を知恵と言うのだろう。
思い(Purpose)があると、アフォーダンスが生まれ、見えないけれど、文字どおり、じぶんの身のまわりにあるのだと考えられる。
【関連記事②】
【雑考】垂直思考と水平思考
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【雑考】対位法的思考
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