一字、一字をかみしめる・・・・・・
普段何気なく使っている言葉って、実は、もの凄い力があるんだなと思います。
実は、最近は「怖い」と思うことすらあるくらいです。
ことにマイナスに向かう言葉の威力は、プラスに働く言葉よりも威力が大きいから。
相手を否定した批判や中傷するような言葉は「言葉の暴力」という表現を使ったりするけど、ホントにそうだと思う。
言葉は暴力に匹敵するのだと・・・・・・
「暴力」とまではいかないくても、マイナスに向かう言葉は強い力があるらしい。
「できない」「だめだ」などという自分を否認するような言葉や、「○○しておけばよかった」というような後悔の言葉は、その言葉を発した以上にその言葉に引き込まれていくものだと。
反面、プラスに作用する言葉は、なかなかその言葉どおりにプラスに作用することが難しいんですよね。
マイナスには重力がある、とすら思います。
大きな決意や目標があるときは、紙に書いて目につきやすいところに張り出しておくといい・・・・・・と言うけど、その言葉も慎重に選ぶべき、という話をきいたことがあります。
つまり、例えば「タバコを辞めたい」というとき。
「タバコを辞める」ということを書いたときは「辞める」という言葉自体が持つマイナスの力が働いて、上手く実践できないそうです。
反面、「禁煙する」と書いたときは、「する」という主体的な意味が、その言葉が持つプラスの力として作用するらしいのです。
まぁ、受け売りだけど、そう思います。
それだけ言葉が持つ意味とそれ以上に作用する「言葉の力」があるのだなと思います。
ちなみに言霊という言葉をウィキペディアで引いてみると、「言(こと)」と「事(こと)」は同一の概念だったという記述があります。
言と事は同一の概念ということもさることながら、言霊という言葉が存在していることの意義もまた実に興味深いですね。
同じ記述の中に「言霊思想は(中略)心のありようをも示す」とある。
解釈が違うかもしれないけど、言葉というのは、その言葉を発した人自身の「心のありよう」も示すものではないでしょうか。
少なくとも私たちは、話し言葉にはその人のボキャブラリが反映されることは知っています。
つい口をついて出てしまった言葉は、もう二度と取り返しがつかないことも知っています。
言葉というのは、だから恐ろしいのでしょうね。
言葉を表現するときには、気をつけねばと心を引き締めたい、と思っています。
そうそう、今、一字だけ文字を書くとしたら・・・・・・どんな字を書きますか?
「一字一会―いま、何か一つだけ、字を書くとしたら?」『週刊金曜日』編集部(編集)
この本は、著名人100人が選んだ究極の一字とその字に込められたメッセージが添えられています。
「週刊金曜日」に掲載されたものを単行本化したそうですが、選んだ字とメッセージを読むと、なるほど納得させられます。
ん~この本の中から、一字選ぶとしたら・・・・・・「喜」ですかねぇ(^^)
男だって幸せになりたい気持ちは変わりないけど、まっしぐらに幸せを求める男というのは、生き方として、どこかそぐわない気がします。
そう言えば、漫画「NARUTO-ナルト-」の中の会話にも、こんな会話がありました(^^)
綱手「強くあるのが男の務めか?」
自来也「まあのォ。それに幸せなんてのは男が求めるもんじゃないのォ。」
綱手「・・・・・・」
自分の幸せを求めず、自分の周囲の人間、自分と関わりをもった人間がハッピーになるのを手助けする・・・・・・
そういう生き方こそが、本当の男の生き方のように思えます(^^)
決して突っ張ったものではなくて、ね。
なぜなら人間にとって最大の喜びのひとつが「他人の喜ぶ姿を見ること」だから(^^)
内田樹さんも、以下のように語っていました、ね。
「集団は「オーバーアチーブする人間」が「アンダーアチーブする人間」を支援し扶助することで成立している。
これを「ノブレス・オブリージュ」などと言ってしまうと話が簡単になってしまうが、もっと複雑なのである。
「オーバーアチーブする人間」が「アンダーアチーブする人間」を支援するのは、慈善が強者・富者の義務だからではない。
それが「自分自身」だからである。
「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」というのは『マタイ伝』22章39節の有名な聖句である。
それは「あなたの隣人」は「あなた自身」だからである。
私たちは誰であれかつて幼児であり、いずれ老人となる。
いつかは病を患い、傷つき、高い確率で身体や精神に障害を負う。
そのような状態の人間は「アンダーアチーブする人間」であるから、それにふさわしい社会的低位に格付けされねばならず、彼らがかりにその努力や能力にふさわしからぬ過剰な資源配分を受けていたら、それを剥奪して、オーバーアチーブしている人間に傾斜配分すべきであり、それこそが「フェアネス」だという考え方をするということは、自分がアンダーアチーブメントの状態になる可能性を(つまり自分がかつて他者の支援なしには栄養をとることもできなかった幼児であった事実を、いずれ他者の介護なしには身動きもできなくなる老人になる可能性を)「勘定に入れ忘れている」からできるのである。」
【参考資料】
【参考図書】
「ひとりでは生きられないのも芸のうち」(文春文庫)内田樹(著)
だから、子供や女性は、「与えてもらった幸せ」が、いっぱいあったほうがよくて、男は、「与えてもらった幸せ」よりは、「与える幸せ」を優先する方が、脳の作りの違いからも理に適っていると思います。
「幸せ、幸せ」とよく聞きますが、その幸せの中身は何かというと「自分が幸せになる」こと。
こればっかりだと、世の中が自己中心的になってしまうので、バランスを保つためにも、世の男性は、求めない眼に、求めない心に、求めない体に、求めない日々に、人間の幸福はあるのだと肝に銘じて、男の幸せの求め方を探していければ、いいですね、って言いたいけど、異論は種々あると思うので、ここでの多事争論は無しで、お願いしたいです、ね(*´艸`*)
さて、みんさんは、どんな字を選ばれますか?
以下の様な辞典もあるから、参考にしてみて下さい。
【参照図書】
「感情ことば選び辞典」学研辞典編集部(編集)
「情景ことば選び辞典」学研辞典編集部(編集)
「和の感情ことば選び辞典」学研辞典編集部 (編集)
「美しい日本語選び辞典」学研辞典編集部(編集)
そんな思いで言葉に向き合い、小さな子どもみたいに、自分が本当に、言葉に対して、興味を持ち始めた事を感じられたら、楽しいかなって、思います(^^)
「あ、この言葉好き!」という場面や、「なるほど!」と腹落ちする場面は、すごく気持ちいいし、言葉って奥が深くておもしろいと思えるから、ね。
本気で苦しいときがあるから、本気でおもしろいと思えるのだと、そう、思いませんか?(^^)
例えば、なにかを紹介するときや、お詫びするときも、やっぱり自分の言葉で伝える方法しかないから、表面的な言葉ではなくて、自分の思いを、ちゃんと言葉に乗せて、届けて上げたい。
このnoteの記事を、少しでも、立ち止まって、読んでくださる人たちの心に、ちゃんと届く言葉を届けられるように、良い意味で、もがき苦しみながら、今日も言葉と向き合いたいと、そう、思っています。
【言葉関連MV】
SECONDWALL「言葉」
コバソロ「言葉さがし feat. こぴ & SiN」
倉木麻衣「花言葉」
GReeeeN「贈る言葉」
咲耶「言葉」
ウタノマニマニ「言葉のせい」
桐嶋ノドカ「言葉にしたくてできない言葉を」 (小林武史 × ryo (supercell))
木村結香「魔法の言葉」
スピッツ「魔法のコトバ」
阿部真央「優しい言葉」
SUPER BEAVER「ことば」
みゆな「くちなしの言葉」
UVERworld「僕の言葉ではない これは僕達の言葉」
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