周りの自分に対するイメージって、どうなんだろう?
周りの人たちがあなたに期待するイメージと自分のイメージが違うときって、ありますね。
周りにはこう思われているけど、別に、私は、常に、そういう人のつもりってわけでもないのだけど・・・・・・なんて時。
良いほうに思われているならいいけれど、ときに、例えば、もっと優しい人だと思っていたのに、意外に冷たいのね・・・・・・なんていわれたり。
「優しい人」のところに入る言葉としては、いろいろバリエーションもありそうです。
相手は、こちらに期待して、何かやってくれると思っていたみたいだけれど、こちらは、何しろそんなことは全然知らなかったので、後からびっくり、なんてことも。
相手の期待を裏切っていること、意図しているしていないにかかわらず、ときに起きてしまいます。
だから、周りが持つイメージと、自分のイメージに落差が生じることもあります。
誰かの期待を裏切ることは、周りの人に対してできるだけのことをしたいと思っているときは、ときに悲しいニュースでもありますね。
人によっては、ショックを受けたり、悲しんだりしてどうしたらいいんだろう?と迷うこともあるかもしれません。
そんなとき、どうやって自分の気持ちを扱いますか?
ひとつは、どう自分がベストを尽くしていてもこんなことは起きるものだ、と準備しておくのもいいでしょう。
相手がこちらにどう期待をしているか、実は前もってちゃんと伝えてくれる人は極わずか。
「私は、あなたはこういう人だと思っているから裏切らないでね。」、なんて言われたことのある方は少ないはずです。
よく考えてみると、自分が何をして欲しいか伝えていないのに相手がそれを理解してくれるというのは奇跡のようなことではありませんか?
以心伝心とはもちろんありますが、いつもそうとは限らない。
むしろ、そちらが本当は普通なのかも。
なのに、残念ながら時々、それが当たり前でしょう、なんて思い込んでしまうこともあるのです。
だから周りが自分の気持ちを察してくれないことにイライラしたり、言わなくてもそれくらいわかるのに、と腹が立ったりするのかもしれません。
また相手はこういう人だといつの間にか自分の中でイメージを作っていたのに、それがたまに裏切られると、自分が裏切られると思ってしまうのかもしれません。
裏切られるのは、自分が作った「イメージ」であって、自分じゃないので、とくにそれほどのダメージではない、と思ってみます。
また、意図と結果は常にあります。
意図としては、相手はこういう人だろうと思って、もちろん過剰に期待をかけるわけではない。
でも、結果としてアンリーズナブルに期待していたり(例えば、勝手に期待をかけたり・・・・・・)していることもあるかも。
また、受け取り手も、相手の期待を裏切る意図なんてまったくないけれど、確かに結果としてそういうことも起こるかも(知らないうちに裏切っているかも)、と思っておくのです。
知らないうちに期待をかけられる側は大変なのですが、それは、人間だからときにはやってしまうものだよね、私だって、知らないうちにやっているかも、と思ってみましょう。
すると、それほどショックじゃないし、相手に対してそれほど怒らなくてすみます。
要は、自分が平和でいられるために、どう考えると楽か、そこにフォーカスしてみると、自分のイメージと周りのイメージが違うことも、実は、それほど悪くないことに気がつけますから。
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