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期待して裏切られたら

周りの人に期待して、その期待通りにならない、期待を裏切られることはありますね。

そういうときに、悲しくなったり、寂しかったり、怒ったり、といろいろな感情が出てきます。

あなたは、期待して裏切られたら、どうします?

寂しい?

悲しむ?

困る?

落ち込む?

虚しい?

孤独を感じる?

情けない?

惨め?

ヘコむ?

がっかりする?

切ない?

嘆く?

辛い?

戸惑う?

萎える?

憐れむ?

心が痛む?

泣けてくる?

落胆する?

情けない?

溜息?

失望する?

気分が晴れない?

怒る?

誰かを責める?

こんな思いをするなら、もう期待するのやめよう、と自分を守るために思う方もけっこういるでしょう。

また、相手にされたことで、自分を見失わないように注意することもあれば、自分は違うレベルにいると考えて、嫌なことは忘れるようにすることもあるのではないでしょうか?

そして、多くの人が裏切られたことによって怒るのは、理不尽なことをされたからであり、そうであれば、「やられたら、やり返す」というのは、子供っぽい発想ですが、“理不尽な状況”を、“道理にかなった状態”に直すということであれば、悪いことではありません。

但し、相手と同じ目線になるかどうかは、状況によって変えなくてはいけないんだと、その視点がポイントですね。

けれど、期待しない人生はつまらない!

だから期待しない手もない。

かといって、期待しては裏切られたと落ち込むのも残念。

但し、この感覚は、期待が本質的に依存を含んでいるからです。

期待は、語られると同時に、ある種の相手への依存を生み出します。

依存は、裏切られれば失望に変わり、場合によっては相手への憎しみや攻撃に変化することもあることを知っているから、恐怖感を感じるのだと思います。

そんなときは、思考のポイントを少々ずらしてみるだけでずいぶん違います。

まずひとつ。

勝手に期待して勝手に落ち込んでいるのは私かも、と自分の選択をまず認識してみましょう。

自分が誰か(たとえば親)に期待されたときなど、頼んでもいないのに勝手に期待して怒られて迷惑だ、なんて思ったことはありませんか?

それでも期待するのが親心ですよね。

人間だから、私たちも同じです。

たとえ相手にこちらがどう期待しているかをちゃんと伝えたとしても、それに応えてくれるかどうかの選択は相手にある、と認識すること。

相手がどう選択するか、どう反応するかについてはコントロールできませんから、期待する自分に対して、相手がどうあれ期待する相手がいることにハッピーでいよう、と思ってみましょう。

相手が応えてくれるかどうかから、期待できることに満足する、その満足のポイントを変えてみるのです。

もし相手が応えてくれたら、ボーナスです。

こちらが嬉しいのを相手に伝えるのもいいですね。

相手が応えてくれなかったら、「~してくれない」と自分を被害者にしないこと。

期待したのは自分の選択ですから、逆に、期待されているから頑張るのは、人間関係にとってとても危険であり、所詮、期待は、相手のエゴでもあります。

そうであれば、期待は、一生懸命やった時のおまけくらいに思っておくのが良いのかもしれませんね。

そして代わりに、今回は私の期待の水準と、相手の応えられるタイミングが合わなかっただけだと少々ドライに受け止めるトレーニングもしてみましょう。

もちろん、相手にこちらの期待していることを伝えなおして、これからどうするのかお互いに話し合うこともいいでしょう。

もしかしたらちょっとしたコミュニケーションミスかもしれないし、少しやり直してみたら期待通りになることもあるかもしれません。

相手に期待するときは、思い通りにならなくても落ち込まない、というココロの準備をしておくのもよし。

思い通りにならないときは、何をしようか、と次のプランを立てておくのもいいでしょう。

準備しておくだけで気持ちが違います。

それから、自分が期待されたときを振り返るのもいいかも。

他人に自分と同じところを見つけられたら許せるし、裏切られたと被害者にならずにすみます。

たとえば、相手に期待されていると知らずに後から知って、相手が怒ったりがっかりしていたら、こちらも困惑・びっくり、なんてありますよね。

哲学者であるショーペンハウアーも「人生というものは、通例、裏切られた希望、挫折させられた目論見、それと気づいたときにはもう遅すぎる過ち、の連続にほかならない。」と言っていたから、困難に直面することは、どんな人でも避けられないことだし、必ずいつか起きるものだと、気持の備え方が鍵を握っているように感じます。

上手くいかないことや挫折はいつか起きるという前提で、前に進んでいく。

そこをどう乗り越えていけるのかが、その人の成長の証にもなると考えてってみたいな感じでしょうか。

いずれにしても、思い通りにならなくて確かに残念だけれど、ここでどう反応するかの選択は自分自身にあることを思い出してみましょう。

そうしたら、落ち込むことも悲しむこともしなくて良い選択肢を選んでみよう、と思うこともできます。

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