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理解してくれる人はどこかにいる
私のことなんか誰も理解してくれない、共感してくれない、気にかけてくれない・・・・・・と思うことはありますか?
なかなか自分を理解してくれる人が周りにいなくてさびしかったり、つらかったりした経験は誰にでもあるもの。
人は価値観も考え方も、似たり寄ったりのところもあれば、全然違うところもあって、理解してくれていると思っていた人が実は理解してくれていなかった、なんてことはけっこうあります。
で、無理に理解してもらおう、共感してもらおうと必要以上に自分を説明してみたり、走り回ってみたり。
またその自分に嫌気がさしたり・・・・・・振り回されて疲れる素のひとつです。
こんなときは、理解してもらおう、共感してもらおうという気持ちを少し手放すといいのですが、この気持ちは人間なら誰でもある欲求なので、ちょっとした作業です。
ではどう考えると楽になれるか、ですね。
ひとつは、私たち自身だって、すべての人に対して共感したり、理解したりするわけではないし、そうする必要もないこと。
だから逆にときに共感してもらえないのも、理解してもらえないことも自然なことなのかも、と考えてみましょう。
よく考えたら、これだけたくさんの人がいる世の中でもちろん多数派というのはあっても、すべての人が同じ考え、見方、というほうが不自然です。
理解してくれない、共感してくれないと嘆くより、ただ違うだけ、と事実だけ受け止めて、それ以上にもそれ以下にもしないのがコツ。
It's nothing personal. (あなたが悪いとか向こうが悪いとか、パーソナルなことではない、というような意味)
でも、ある意味みんな違うのであれば、理解してくれる人共感してくれる人は必ずどこかにいるはず。
だから、理解しない人、共感しない人たちに対して、いつまでも心配したり共感してもらおうと努力しなくてもいいのです。
無理に理解してもらおうとすると、不思議なことにときに人は離れていってしまうことも。
経験した方も多いはず。
理解してもらおうとやっきになったりキリキリしていると、余裕もなくなって、人だって自然に近づきたくないと思うかもしれません。
大事なのは、理解してくれる人、共感してくれる人はいる、と信じてリラックスすることのほうです。
リラックスして、わかってくれる人たちを探しましょう。
探さなくても、自分の思いや信念を伝えて静かにじっとしていれば、向こうからやってきてくれます。
類は友を呼ぶ、ということわざがありますがまさにそのとおり。
似た考えや見方をする人は自然と引き寄せあうところがあるのです。
となると、理解してもらえる、してあげる、ではなくもっとお互いに対してフェアで尊重・尊敬しあえてそのほうがヘルシーです。
理解者が周りにいないと思うときは、無理をせず場所を変えてみるのもいいですね。
わかってくれる人はいるのですからその人たちのいる場所を求めてみればどこかにあるはず。
そう思って気楽に。
よい気分でいるところにいいこともやってきます。
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