もののけ姫からみた現代

金曜ロードショーでもののけ姫をみた。

大人になってからみても難しい映画だ。

ジブリはみんなが想像できる起承転結ハッピーエンドではないが、老若男女から人気がある。

もののけ姫を観て思ったことは主に2つ。

一つは、日本人が好きな八百万の神の宗教性がきれいに入っている。
各位のある信仰された神が落ちたり、思いから呪いへと変化するのは、一意性のある宗教国では馴染みがないのかもしれないと思った。

二つめは、もののけ姫を現代からみてみた感想。

おときさんという女性キャラが、『男には負けてられないよ』とアシタカにさらっと言うシーンがある。
何故か、今日はそのシーンが観入った。

20年以上前の作品でも、今日と価値観が変わらないと思った。
一昔前は、女性は3歩下がって。男性が外、女性が内からという、確定したスタイルだった。
今は男女平等、多様性を訴える時代だ。

男女平等からもののけ姫をみると、もののけ姫にでてくる女性は、女性という性別より食べるために自立する。という考え方で描かれている。
男性は病気や怪我で負傷しているシーンも多いが、タタラ以外では社会的弱者扱いされており、タタラでエボシを筆頭に弱者を救っていると思った。

これは、理想的だなと思う。
昨今では性別や事情により社会的弱者になった者は責められる構図があるが、たたらでは、女性には手に職を。負傷している人は手当を受けて回復を行なっている。

まとまらないから次へ。

もののけ姫は、個人的に宗教と多様性の生き方が描かれた映画に今日見えた。

多様性という言葉は、便利である。
それだけ自由になった世の中の象徴でもあると思う。

しかし、多様性はまだ定義しきれない言動とも思う。
多様性をいいあった結果、自己主張の押し付けあいにもなっている。

もののけ姫は、その多様性をわかりやすく描いているようにみえた。

もし、今もののけ姫を作ったとしたら、最後のアシタカとサンは手を取り合って互いに擦り寄る道を描かれて終わったと思う。

しかし、実際にはサンは山で生き、アシタカはタタラばで生きることを選ぶが、お互い擦り寄るわけではなく、共存という形で終わる。

最後が手をとりあって、わかりあえる。ではなく、分かり合えること、分かり合えないことを踏まえて共存になったのがよかった。

多様性が叫ばれている今、擦り寄りも大事だけど共存という考え方も大事だなって思いました!

書き殴ったので、いつも通り推敲してません!

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