自分のケツは自分で叩いていきたい


只今絶賛人生の尻拭いを人様に盛大にしてもらっている最中である私が言う話ではないような気もするが。。

いや、だからこそ、話たいのかもしれない。


世の中には大きく分けて
・自分のケツを自分でバシバシ叩き続けられる人
・自分のケツを他人に叩いてもらうしかない人
がいる。

ここで言う「ケツ」というのは即ち
やる気、熱意、意欲、向上心…のようなものである。

例えるならば即ち
・前者は経営者、個人事業主
・後者は雇われ人、サラリーマン
である。


※どちらが優れているだとか劣っているだとか
そういう話をしたいわけではなく
そういう風な価値観を持っている訳でもない。


前者は自分の中の軸や目標に従って
物事の価値基準を自分の中に置いている。

しかし、自分のケツを自分で叩き続けるというのは
かなりの体力と精神力、根気、忍耐力が必要だ。

決してブレることのない己の軸に従って
進んでいくが故に
常に己に対して問いかけ続けなければならない。
何が必要で何が不必要か、
何を望むのか、何を望まないのかを。

後者は他者の正解や目的を伺って
物事の価値基準を他者に委ねている。

自分のケツを自分で叩かず
他者に叩いて貰うというのは
非常に楽であり簡単である。

そこに己の信念や目標も、自問自答も必要ない。

必要なのは
他者からの称賛、声援、指示だけである。
何も考えなくとも良いのだ。
他者から称賛されることをやり
他者から声援があればそれを続け
指示の通りにしておけば満たされる。



この定義の中で
私自身はもれなく前者で在りたいと思っている。

そう思ったのは23歳の頃からであろうか。



他者からの称賛は、人間社会に生きている限り
あるに越した事はない。
もちろん、とても嬉しく励みになる。

声援も然り。応援も然り。

だが、それらを己の判断基準にしてしまうと
己の本当の望みが分からなくなってしまう。

そして
称賛ではなく、批判、指摘をされた時に
叩くケツすら一瞬にして無くなってしまう。
(批判や指摘にやる気が削がれる、視界を奪われる)


わたしは、叩けるケツを奪われたくないのだ。

ああ、スタミナ切れである。
また追記ケツするかもしれないし
しないケツカモシレナイ。


















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バヴみき
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