「左遷された時のマインドセット術」_ロジラテ思考
サラリーマンであれば、定年まで順風満帆なんてことはまずありません。
一度や二度は、冷や飯、左遷、閑職など辛い思いはするものです。
もし、そういう経験なしにサラリーマン人生を終えることができたら、それは宝くじが当たったと思って下さい。 笑
昨今は、定年まで勤め上げる風土がなくなりつつあるので、そうなったらさっさと転職。。。という手段もありますが、今日はラインから外されたときのマインドセットについてお話したいと思います。
1.ラインから外されるとどうなるか
これからお話することは私の実話です! 苦笑
42歳、あることで役員の逆鱗に触れ、本社営業から大阪支店に異動になりました。
※不正を働いたわけでなく、ご機嫌を損ねたということで。。。苦笑
支店に出社した初日、支店長から言われたことは
「飯田君、君にお願いする仕事はないんで、まずは環境に慣れてくれ。」
でした。
まぁ役員の逆鱗に触れてきた人間ですから、周りの人は腫れ物に触るような思いだったと思います。
このまま毎日出社してもつまらないし、かといって会社を辞めるつもりもなし。。。さてどうしたものかと思案していたところ、いいことを思いついたのです。
この話を支店長に伝えたところ、思った通り渡りに船。
持て余していた左遷社員の使い道ができた上に、もし転注できなかったら再び飛ばす口実ができてラッキー!っと思ったんじゃないでしょうか。
2.左遷も満更悪くない
失注した会社を調べてみると、〇〇社という家電メーカーで年間〇億の大口でした。
コンペティターと価格競争の末、数年前に負けたらしくかなりの痛手だったに違いない。
場所を調べてみると、大津に本社工場があった。(京都の先 琵琶湖近く)
さっそく地図を開いて、私が思ったことは。。。
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早速、〇〇社に行く日々が続きました。
行く先は購買部。
毎日、購買部長、購買課長に挨拶して、帰るだけ。
まったく営業なんてしませんでした。
半年たったある日、購買部長から声を掛けられました。
こんなやりとりがあって、1ヶ月後に無事転注が成功した次第です。
3.成果があがるまで、やっていたこと
1)〇〇社での営業活動
●京都の美味しいパン買って、夕方〇〇社の購買担当社員と食堂で会食
●守衛所の来客リストを盗み見して、コンペティターの来社回数をチェック
●土日にマンション近くの公園にいる奥さん達に、〇〇社製品の評価を聞いてレポートを作り、〇〇社の購買課長に渡していた。
2)京都の学び
仕事終わりに、京都の150カ所の寺社仏閣散策。
お陰様で、海外のお客様がいらっしゃったときは、お寺、歴史、文化、会食は、ガイドなしで案内できるようになった。
3)サントリー
仕事終わりに、サントリー工場見学をしながらビールを一杯馳走になってから帰社。不良社員でした!
4.どんな状況でも、やることはある
一般的には、冷や飯、左遷、閑職はネガティブなものと考えられます。
いや実際、ネガティブなことです。
しかし、考えようによっては誰にも相手にされないので、自分の時間を手に入れたということでもあります。
その時間を、どう使うかは自分次第。
私は大阪支店生活がすっかり気に入ってしまい、家族を呼んで骨を埋めようと真面目に考えていました。
ところが、世の中甘くありません。
私があまり楽しそうにしているので、左遷させた役員の指示で再び本社に戻されてしまいました。
結局最後は、海外営業部長としてサラリーマン人生を終えましたが、今思うと楽しかったぁ!
ものは考えよう。。。人生は自分次第です。
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