腑に落ちない子供なんです 19歳ニート日記/2022年4月23日
前書き(ウクライナ・ロシア問題について)
これについての記事は前にも書いたことがあります。
何もわからない。だけど僕は楽に生きていたい。そんなことを書いていました。
そんな記事を書いて一ヶ月くらい経とうとしていますが、未だに連日ニュースに挙がっています。
私はウクライナが大変そうとか、ロシアは酷いとか、思いますけど、それとは別に、どこか腑に落ちない自分がいます。
それはきっと、この戦争とは直接関係のない、僕の問題なんだと思います。
※怒られそうな内容なので気をつけてください。
小学生のときの話
1.
小学三年生のとき、クラスメートにちょっかいを出されて仕返しました。手のひらで叩くというか、押し倒すというか、そんな感じです。それで、先生が来て、僕は怒られました。相手の首に傷をつけたって、怒られました。でもその傷は僕のものではなくて、元からあったものです。
親に電話が行っていたそうです。やられてもやり返したらダメ、手を出すのはダメだと、先生に言われました。
それはわかったけど、僕はなんだか腑に落ちなかったです。
2.
小学六年生のとき、クラスメートにちょっかいをだされたことを先生に言ったら、その子は先生に怒られました。帰りの会のとき、隣の席の子に「何があったの?」と聞かれたので話していたら、先生に怒鳴られました。別室で説教を受けました。
自分がやられたからって、相手を悪く言ってはいけない。そんなことを言われたと思います。でも僕からすると、悪気はなくて聞かれたことに答えただけなのに、なんで怒られてるんだろうって思っていました。
反抗期じゃないよ
そんなことがあって、知らない先生に顔を覚えられて結果的には先生に声をかけられる機会が増えました。
それでも僕は、そのときなんで怒られたのか、先生が何を考えていたのか、腑に落ちないまま今まで過ごしてきました。
だから、加害者だけが悪く言われるのがなんだかしっくりこないんです。加害者が何も言われずに生きているのは気に食わないです。でも、被害者が正義みたいに、ずっと真面目な顔して事件の話をしているのも、なんかモヤモヤするんです。
僕は悪さをされても、先生に呼び出されるのは僕の方でした。相手が目の前で怒られていれば、居心地が悪かったです。僕は先生になだめられてばかりでした。
だから、どうしてそんなに真っ直ぐに被害者になれるのかわかりません。なんで僕は怒られたのに、あの人は怒られないんだって、思うんです。やり返しても、話をしても、彼らは怒られない。なのに僕は怒られた。それが気に食わないんだと思います。
わかんないよ
規模が違うのかもしれない。
クラスの小さないざこざじゃない。もっとニュースに載るような大きな事件なんだ。だからちゃんと正義を振りかざさないとダメなんだ。
人が死んでるじゃないか。殺されたから殺し返すのはいいのか。なら僕だって、やられたらやり返したっていいじゃないか。
もっと他に何かあるんじゃないのか。
後味が悪い
我を忘れて感情的になって、言葉を並べて自分を正当化するんだ。だけどそこに相手はいない。相手のことを考えて、お互いが聞く耳を持てば、こんなことにはならなかったんじゃないか。連鎖はもっと早くに止められたんじゃないか。
そんなことは間違っている。悪いものを悪いと思えないのはおかしい。
僕はロシアもウクライナも大して気にしていないです。でもそこに、どっちがどうとかは置いておいて、何か大事なものがあるんじゃないかと思うんです。僕がふてくされているだけかも知れないけど。
なんか、モヤモヤするんです。
この記事は、あまり気にしないでください。モヤモヤを吐き出したかっただけで、何かトンデモナイことを考えてるわけじゃないので。無責任かも知れませんが。
みんなについていけない自分が不安で、どうしていいかわかりません。
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