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#6 ほんとうのバカ(ショートショート)


「俺たち助かりますかね」とおそるおそる言うと、「亀田くん、隙をついて逃げましょう」と支店長が言った。

「おい。喋るな」

 ピエロの仮面から覗く大きな目玉がこちらをぎょろりと見た。奥の金庫では、もう一人のうさぎの仮面男が現金をバッグに詰めている。俺のうしろに隠れている女性社員たちの、おののく微細な振動が背中に伝わってくる。少しだけ、気持ちがいい。

それよりも、この銀行強盗をどうにかしないといけない。こんな田舎の支店に来るなんて思いもしなかった。この時代に、足がつかないように逃げるなんてほとんど不可能なのに、なんでこんなことをするのだろう。いっそ二人は馬鹿なんじゃないかと思う。いや、逃げるための運転手もいるだろうから三人か。

「ピエロをどうにかするしかないですね」

 俺は言った。

「話を振って隙を作りましょう」

 支店長が答えた。なぜか、支店長からはいつもかりんとうの匂いがする。甘さ控えめのかりんとう。三年くらい一緒に働いているが、かりんとうを食べているところを一度も見かけたことがない。

 いや違う。馬鹿なのは俺なんだ。一年で仕事に慣れてしまった俺は、退屈になり手を抜くようになった。退勤時にいくつか監視カメラの電源を落とすのが気だるくて消したままにしていたし、裏口の暗証番号を二年近く変えていない。きっと、そういうツケが回ってきたのだ。俺の仕事に対する甘えが、この事件を引き起こしたんだ。

「すいません、持病があって。トイレに行かせてください」

俺は震え声でピエロに言った。するとピエロは無線機で「トイレに行きたい奴がいて」とうさぎに相談し、「阿呆か。ダメに決まってんだろ」と返される。ピエロは困り顔で「どうしたらいい?」と訊き、すぐに「我慢させておけ」とノイズ音が返ってきた。ピエロは無線機にぺこぺこと頭をあげたあと、俺に向かって「我慢しろ」と言った。

どうやらこいつは馬鹿のようだ。俺の直感がそう唱えた。俺と支店長の視線が重なる。つまり、ピエロを懐柔しようという魂胆なのだ。

「でも、行かないと」

「我慢しろ」

「我慢できないのに、我慢しろとは矛盾していませんか?」

 俺は急かすように早口で言った。

「死にたいのか?」

「いいえ。生きたいので相談をしています」

 ピエロの額に皺が寄った気がした。

「生きるためにあなたに従っていますが、それでは私は死んでしまいます。つまり、死なないために死ぬような危険を犯さないと生きていけないタチなのです。なので、少しでいいのでお願いします」

 俺は大きく咳き込んで、下腹部を抑えた。これは何の病になるのだろうと考えながら。

「放っておくとどうなる?」

「吐瀉物が喉に詰まって死んでしまいます。もし捕まったら殺人罪も適用されると思います」

「──それは、まずいな」

 ピエロはうさぎに連絡を取ろうとしたので、間髪入れずに言葉を投げた。

「まずいです。私が一番まずいです」

 そして、落ち着いた声で「よろしくお願いします」と加えた。

「ええい、行け。すぐに帰ってこい」

「ありがとうございます」

ピエロは釘をさすようにナイフを向けた。刃が照明を反射して眩しい。ナイフ一つ本で人間を思い通りにできるなんて、想像すればわかるはずなのに、今ようやく本当に理解した気がした。

俺は急いでトイレに向かい、もちろん用を足すこともなく、スーツを脱いで用意していたバッグに詰め込んだ。そして狐の仮面をつけた。やはりピエロは馬鹿だった。まんまと俺を独りにしてしまったのだから。

足早にトイレを出て管理者用の出口に向かう。この出口は現金輸送員が使うものだ。ここから出れば誰にも見られることなく姿を消すことができる。鍵を開けロビーに戻りフロントオフィスを見渡す。片隅で支店長たちが見えた。顔色が真っ青で、今にも泣き出しそうだ。

「おい、人質が逃げようとしてやがる」

俺はピエロとうさぎにそう告げ、トイレに俺の悶え声が録音されたカセットテープを置いた。

俺はピエロとうさぎと出口に向かった。外に出ると、オープンカーがエンジンをふかして待っていて、俺らは手早く乗り込んだ。

「兄貴、どんな感じだ」

「上々だ。行こう」

 三人が勢いよく乗り込むと同時に車が出発した。一億円。ああ。この日を待った甲斐があった。

「兄貴、あいつら阿呆だな。まんまと騙されてやがる」

 ピエロが言う。

 俺たちは高らかに笑った。

「一番の阿呆は誰だろうな。支店長、ずっと震えてたぜ」

 もう一度、声を合わせて笑った。

「一番の馬鹿は、他人のことを馬鹿だと蔑んで、俺が犯人側だと気付かずに騙されていた奴だ」

 そう言って俺は、晴天を見上げた。



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