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最も過酷な訓練に参加して得たもの



世の中知りたいことのおおよそ半分はネットや本で手に入る

何か興味のあることや友だちとの会話で初めて聞いた事がでた時、大抵のことならネットで検索すればすぐに見つかります。
もっと言えばその人が体験したことをまとめたブログだって読む事ができる。

でもそれは物事の半分を理解できたに過ぎません。

残りの半分は

自分で新たに発見するか
経験するしかないのです。

例えば「自衛隊で最も過酷な訓練を卒業した時の気持ち」
なんかもそうでしょう。

今回の投稿を通して
これからレンジャー訓練を目指す自衛官や困難な目標に挑戦する人の励みになれたらと思い記事を書いていきたいと思います。


レンジャー帰還式の時のバトラー軍曹(当時25才)

陸上自衛隊で最も過酷な訓練とも言われている

「レンジャー訓練」
遊撃(ゲリラ戦闘)や隠密行動を専門的に学ぶこの教育は
俗に「特殊部隊への登竜門」とも言われています。

自分がこの教育に挑戦しようと決めたのは3等陸曹に昇任して1年が経過した時になります。当時は普通科連隊の隊員として様々な訓練に参加していたのですが、何か物足りないと感じる事がありました。

「やりがいはあるけど同じことの繰り返し…なにか違う…」
「もしかしたら、自分はもっと高い目標に挑戦できるのかも…」

3曹に昇任するとそれまでの仕事と比べてできる範囲や意思決定の幅を広く与えられるようになり、隊員はいろいろな進路を考えるようになります。

ある者は語学を極めて通訳手を目指し
ある者は格闘技術を身につけ部隊指導官(格闘技の教官)に挑戦したり
ある者は頑張ることを自ら放棄してぬるく安定した公務員自衛官ライフに突入したりと、3曹になると定年が保証されるため本当にいろんな進路を選べるようになります。

そんな中で自分は「レンジャー訓練」に興味を持つようになりました。
自分がいた部隊は前線で活躍する普通科連隊ということもあり、レンジャーを保有している隊員が何人かいました(自衛隊全体で見るとレンジャーがいる部隊はとても少ないです)

レンジャーを持っていない自分たちからすると、過酷な訓練を乗り越えた彼らは英雄的存在。誰もが尊敬し、訓練や服務面でも模範的な隊員と尊敬されます。そんなレンジャー隊員が普段から一緒にいれば自分がレンジャーを目指してみたいと思うのは当然だったかもしれません。

こうして自分は3曹になって挑戦したいことが見つかったのです。



3ヶ月の厳しい訓練を卒業すると左胸につけることが許されるレンジャーバッチ




調べるほど興味と不安が湧き出るレンジャー訓練

「世の中のおおよそ半分は調べればわかる」
レンジャーに興味を持つようになってから隙間時間を見つけてはネットで調べたりレンジャーの上司に話を聞くようになりました。

・生きた蛇を口を使って皮を剥ぐ
・幻覚で道の石がおにぎりに見える
・脱水症状で身体に痙攣を起こす
・あまりの辛さに山の尾根から飛び降りる者がいる

聞けば聞くほど「とんでもねえ訓練だな」と冗談でも笑えないエピソードが山ほど出るわ出るわ

さらに不安を増したのが

訓練中に事故で亡くなる隊員が全国で発生する
ということ

これには驚きました。
自衛隊の訓練で○ぬ人いるんだ…

自分が知ることのできた内容はお世辞でも明るい話ではないようです…
ただ不思議なのは、レンジャーの上司たちはみんな口を揃えて
「レンジャーはいいぞぉ、男になれる!」
「挑戦して絶対に後悔はしない!」

ますますよく分からなくなりましたよw

でも男ってのは怖いもの見たさが出てしまうんですよね
ネットや周りの人からはヤバいの一点張りなのにレンジャーの人たちは受けた方が良いと言う…

これは何か面白いものが見れるのでは?

こうしてバトラー軍曹はレンジャー教育に参加していくのでした。



半年後にレンジャーが控えているのにグアムでバカンスを楽しむバトラー軍曹
彼はその後地獄を見ることになります




レンジャーという無限地獄はどんなものなのか

訓練は今まで経験した自衛隊の訓練の比にならないものでした。
それは例えても例えきれない世界で、その、何ていうんだろう‥
「なんだよ…みんなが言ってたこと以上にやべえじゃん…」
って思う連続でした。


1日が恐ろしく長く感じる


これを乗り越えれば終わると何度も教官や助教に裏切られた体力調整運動

もう手を離そうかと地上30mの上に作られたロープで途方に暮れた山地総合訓練

標高2,000m毛無山。山の中腹で疲労で歩けなくなり深夜1時に泣き出す隊員。

レンジャーはあげるとキリがない無限地獄です。

部隊では体力に自信があってここに挑戦したのに教育ではいつもビリだった自分は教官からいつも「デブ」だの「教育隊の癌」だのと連呼され
しまいには名前ですら呼ばれなくなってしまいました。

レンジャー隊員というのは一般隊員ができない困難な任務を行います。過酷な状況になっても必ず任務を遂行し帰還できなければいけません。
訓練では意図的に困難な状況を作り隊員がそれを乗り越えられるか常にテストしているのです。

何度も心が折れそうになりました。

気づくと仲間が少しずついなくなっていく

レンジャー訓練では約30%の隊員が脱落すると言われています。

それでも自分が続けられたのは同期が支えてくれたからです。
みんな自分の身を守ることで精一杯なはずなのに、弱っている者がいたら見捨てずに助ける。

こんな使えない自分を見捨てずにいてくれる同期に心の底から救われました。

同時にいつも同期の足を引っ張る自分が情けなく思う毎日でした。

みんな、あの時は迷惑ばかりかけて本当にすまなかった…

終盤に行う想定訓練。疲労と眠気のおかげで人生で初めて幻覚を見ました




調べても分からない残りの「半分」を見つけて得たこと

3ヶ月の訓練を終了して分かったのはレンジャー訓練は単に忍耐を鍛えるだけではありませんでした。

それは
弱い立場の気持ちを理解できたということ。

今まで大きな失敗もせず、それなりにうまくいっていた自衛隊生活。
しかしそんな環境にいると次第と利己的な考えになり他人を思いやる気持ちが薄れていくような気がしてました。

弱い立場の人の気持ちを理解するには同じ立場に立つことが一番だということがわかりました。

その日を境に自分の価値観は変わりました。部隊で弱い立場の人間を守ることに決めたんです。
行進訓練で弱っている者がいたら「大丈夫か。みんなで必ず目的地まで行こう。」と声をかけ、歩けない隊員が出れば荷物を持ち背中を押すよう心がけるようになりました。

「俺はお前を見捨てない」

この言葉がどれだけ人を救うかを知っているから動けるのだと知りました。

生活面でも変化がありました。
休日に面倒な掃除当番があると自分から名乗り出るようになりました。
大体こういった雑用は階級が下の隊員が行うものでしたが自分は変なプライドを持たず陸士のみんなと一緒になって掃除をすると決めました。

そうすると不思議とみんなついて来てくれるんですよね。
かっこいい所だけ出てくる出しゃばりはすぐ見抜かれるというのも階級が上がっていくと分からなくなるものです。


自分にとって残りの半分は経験しないと分からないものだなと感じました。

レンジャーを卒業してからは興味が湧いたらまず挑戦するよう心がけました。たとえそれが無理だと言われてもです。

それはこれからも続けていこうと思います。

これを読んでいただいた皆さんの中でもし何かに挑戦しようと考えているのであればぜひとも挑戦してみてください。残りの半分を知ることができればそれはあなただけしか持っていないオリジナルになるかもしれません。
これは非常に強い武器になります。

弱い立場の人間を経験したからこそ本心で伝えたい
あなたの挑戦を心から応援しています。


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