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カリフになろうとした男 イスラム国最高指導者バグダディの最後

バグダディ暗殺作戦

10月26日午前0時。
イラクのクルディスタン自治区の首都アルビルに置かれたアメリカ軍特殊部隊司令部から作戦決行の暗号が発せられるとともに、イラク西部に待機していた8機のヘリコプターが一斉に飛び立ちました。
目的地はシリア西部のアレッポの西50キロ、トルコ国境からは僅かに5キロほどの小さな山村イドリブ県バリシャ村。そして目標はそのはずれにある民家でした。
その民家に潜伏していたのが、他ならぬかつてシリアとイラクを席巻して世界を恐怖に陥れたイスラム国の指導者アブー・バクル・アル=バグダーディー(バグダディ)でした。

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午前1時10分、ヘリコプターから放たれたミサイルによって二軒の家が炎上し、作戦は始まりました。
ヘリコプターからはアメリカの誇る最精鋭部隊陸軍第1特殊部隊デルタ作戦分遣隊(デルタフォース)が次々と降下し、あっという間に銃撃戦で9人の護衛兵を薙ぎ払います。
不意を突かれたバグダディは、泣き喚きながら11人の子供のうち3人を連れて地下トンネルに逃れたものの、米軍は既に地下トンネルの見取り図を入手しており、軍用犬を放ちバグダディを追いかけます。
こうして詰められたバグダディはいざという時のために体に巻きつけていた自爆ベルトを起動させ、その子供共々自爆しました。
作戦時間は僅かに約2時間。
これが世界を震撼させたイスラム国(IS)の自称カリフ、バグダディの最後でした。

イスラム国(自称)カリフ バグダディとは何者なのか?

アメリカが発表したところによると、バグダディは1971年イラクのサラーハッディーン県の県都サッマーラ(サマラ)生まれの48歳。
優秀な人物だったらしくイラクの東大、バクダッド大学で神学を修め、学位も取得しています。後に多くの人が彼は厳格な宗教学者だと証言していますので、人一倍イスラム教の研究に熱心だったのでしょう。
そして恐らくその過程でイスラム原理主義思想に傾注して行ったのだと思われます。

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彼の名前が最初に出てくるのが2005年の10月のことです。
ISの前身であるイラクの聖戦アルカイダ機構(AQI)のメンバーとして、バクダッドでのテロを計画し、シリア国境付近で米軍の爆撃により死亡したとあります。
しかしその遺体は発見されず、真偽は不明のままとなりました。

2006年AQIの指導者アブ・ムサブ・ザルカウィが米軍の空爆によって殺害されたあと、後継者のアブー・アイユーブ・アル=マスリーは組織をイラクのイスラム国(ISI)と改め、アルカーイダ色を薄めてスンニ派とシーア派の対立に乗じて勢力を拡大しようと図りました。
その際国防大臣のマスリーと共に、イスラム国の君主(アミール)として名前が上がったのがバグダディだったのです。
しかしアメリカはエジプト人のマスリーがイラク国民の歓心を買うため、名目上イラク人であるバグダディを祭り上げたと断定しました。
その後何度か暗殺報道があった後、2008年3月には、そもそもバグダディなる人物は実在せず、アルカーイダがイラク人の組織であると見せかける為に架空の人物をでっち上げたのだと発表します。要はアメリカはそれほどバグダディ本人には関心を払っていなかったのわけですね。

ところが同年5月には、今度は本当のバグダディはアルカーイダによって殺害されており、実は身代わりがバグダディを装っているのだとし、その正体はHamid Dawoud al-Zawiなる男だと発表を翻します。
更にイラク政府も2009年4月にその偽バグダディを逮捕したと発表したのです。
ところがISIの方も本物のバグダディとされる肉声を発表した為、例によってこの話も真偽不明のままグダグダになってしまいました。

翌2010年今度は決定的な発表がアメリカ軍からなされました。
4月18日にアメリカ軍はティクリートでISIの指導者マスリーをミサイル攻撃で爆殺、バクダディも同時に死亡したというのです。
ISIの方もこれを認めるような発表をした為、流石に今度こそ本当だろう、ということで、一応公式にはバグダディはここで死亡したことになりました。
公安調査庁のHPでバグダディが死亡したことになっているのは(*当時、今は修正されています)、こうした事情によるものでしょう。

ビン・ラディンの後継者

さてマスリー亡き後のISIの後継者はアブー・ドゥアという人物だと発表されましたが、肝心のアブー・ドゥアが何者なのか、サッパリわからずじまいでした。
そうこうするうちに、実はアブー・ドゥアこそバグダディなのだ、という話がアルカーイダサイドから浮上します。
果たしてバグダディが生きていたのか、或いは又別の人物がそう名乗っているのかはわかりませんが、ともかくアブー・ドゥア = バグダディであることは間違いなさそうです。
こうなるとバグダディ死亡の公式発表も何処へやら、2012年イラク政府はバグダディを含む複数のアルカーイダ幹部を逮捕したと発表。
おいおい、死んだんじゃなかったのかよ、と言いたくなりますが、これ又真偽不明のまま有耶無耶に。
本当に中東関係はこんな話ばっかりです。

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さて、伝えられるところによれば、2011年アルカーイダのビン・ラディンがアメリカ軍の特殊部隊によりパキスタンで殺害された時、バグダディだけが後継者であるザワヒリに忠誠を誓うことを拒否したそうです。
彼は自分こそが、ビンラディンから直接イスラム国家樹立の計画を託されたのだと主張し、なるだけまとまらずに広範囲で活動し、アメリカ軍の的になることを避けるザワヒリの戦術に反対したのです。
結果的にシリアのヌスラ戦線との合併を巡ってザワヒリとバグダディは対立し、ザワヒリはISISと名前を変えていた彼の組織をアルカーイダから破門しました。
従ってISISは正確にはアルカーイダのメンバーではないわけですが、 バグダディの方からすると、自分こそがアルカーイダの思想を受け継ぐ正式な後継者なのだと考えていたことになります。

フセイン政権与党のバース党の流れを汲んでいた?

一方でこれとは別の報道もあります。
バグダディは元々AQIではなく、2006年にISIになる際に合併した5組織の一つ、アハル・スンナ・ワジャマナの幹部だったと言う説です。
アハル・スンナ・ワジャマナ は文字通りスンニ派の組織で、その源流は旧フセイン政権の与党バース党だと言います。
この説をとるなら、数的に少数で過激な思想を唱えるISISが、短期間の間にイラク北部、西部を征服できたのは、旧バース党の援助があったからと言うことになり、これはこれで納得の行く話です。
事実2014年にISIS がイラク第二の都市モスルを攻め落とした時、彼らを街に招き入れたのは武装蜂起したナクシュバンディ教団軍でした。
ナクシュバンディ教団は古い歴史を誇る神秘主義教団ですが、フセイン政権のドゥーリー元副大統領の影響下にあり、そのメンバーの多くはかつての与党バース党の党員だったのです。
つまり、ISIS によるモスルの占領とは、フセイン政権を支持した旧与党やスンニ派諸部族によるシーア派政権への反乱劇であり、いわば彼らはそれに乗っかっただけとも言えるのです。

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2014年6月29日、ISISの指導者バグダディはモスルの光のモスクで演説を行い、自らのカリフへの就任と、ISISのイスラム国(IS)への呼称変更を宣言しました。
ここに史上初のサラフィー・ジハード主義者の国家が成立し、1924年のヒジャーズ王国の自称カリフ、フサイン・イブン・アリー以来、実に90年ぶりにカリフを称する指導者が誕生したのです。
イスラム国はその後急激に勢力を伸ばし2015年6月にはイタリアとほぼ同等の30万㎢もの領域を支配するまでになりますが、徐々にその勢力は衰え2017年10月17日首都ラッカが陥落し、バグダディの行方もわからないままになっていたのでした。

それから2年。ついに捕捉された(あるいは売られた?)バグダディは彼らが心酔し、その後継者を名乗ったビン・ラディンと同様アメリカ軍によって殺害されました。
イスラム国最高指導者バグダディの死が、しかしそのままテロの時代の終わりを示すわけではありません。そこにはもっと複雑な力学と宗教的思想史が存在するからです。
しかしそれが確実に一つの時代の終わりを意味するものであることは間違いないでしょう。