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同窓会の幹事

はじめまして。
考えごとが多すぎて夜眠れないので
文字に起こすことにしました。
友人に文句が多いねと言われたので
「若いだけの文句」という名前にしました。
何卒よろしくお願いします。

先日、同窓会の幹事について考えました。
「今度集まろうよ」と声をかける行為は
それで人が集まるというある程度の確証がないと
できない行為だと感じました。
私から声をかけられるコミュニティが
いくつあるだろうかと考えました。
ほとんどありませんでした。

同窓会の幹事について考えたのは
学生時代のLINEグループが久しぶりに動いたことが
きっかけでした。
今度の年末に集まろうよ、という
同窓会のお誘いでした。
声をかけてくれた彼女は
同性の友達が少ないタイプの学生でした。
私は学校を卒業した後も彼女と会っていた、
数少ない同性の友達でした。
彼女はお誘いの文面とともに
スケジュール調整のリンクも送ってくれました。
回答率は良いとは言えませんでした。
特に彼女と同学年の女子は
ほとんど回答していませんでした。
もちろん、単に回答する暇がなかったという人も
いたかもしれませんが、
ちょっとしたアンケートの回答結果に
彼女のこれまでの交友関係が
はっきりと表れていたことが、
面白くも恐ろしくも感じられました。

彼女はこれだけ周りから距離をとられていることに
気づいているのでしょうか。
もし気づいていたら
まず最初に声をかけることすら難しいと思ったのですが
彼女は実際に声をかけています。
お店も探してくれました。
だとしたら、気づいていないのでしょうか。
気づいていないふりでしょうか。
もう気づかない方が不自然なくらい、
長いこと嫌われているはずです。
彼女はなぜ「今度集まろうよ」と
声をかけることができたのでしょう。
ちょっと面白そうだから、行ってみます。

私はただ若いだけの人間ですから
彼女のような人間が
今後社会に出てどう変化していくのか、
わかりません。
私は彼女のような振る舞い方が
あまり好きではないけれど、
今後彼女に出会う多くの人間は
それを好むかもしれない。
わかりません。
もう少し若くなくなれば、わかると思います。

以上です。ありがとうございました。

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