ジャズリスナーのためのスキマスイッチ

私がスキマスイッチに出会ったのは中学3年の頃であった。誰とのつながりでさえも愛しく感じてしまうような思春期において、青春の爽やかな風が吹くような彼らの音楽を私はかじりつくように聴いていた気がする。

音楽の好みも変わってしまい、スキマスイッチを追いかけるほどの熱量は持ち得なくなったが、それでも今の自分に見える彼らには以前と違った輝きがある。

「ジャズリスナーのための」と言いながら、そのようなタイトルを設定した意図は全くない。そのため、ジャズ的な知見を期待したのなら素直にブラウザバックしてほしい。残念ながら筆者にはジャズ理論の心得がない。

しかし、ちょっとかっこいい感じに聴こえる音楽に対しての気づきはそこそこあるつもりである。そんなちょっぴり心許ない武器を持ってこの記事を書こうではないか。

くっさい余談

これは、完全に私情でしかないのだが人生の鬱憤を晴らそうとしてくれるような音楽が苦手である。いや、そういった音楽を聴かないことはないのだが、言い表せない悲しみや怒りを代弁してくれるような歌詞があまり好きではない。

あまり明確に言語化できる感情ではないため、別の記事にて後述という手段をとらせてもらうが、きっと寄り添うような動きをそのような歌詞から思い起こしてしまうからなのだろうと仮説を立てている。

そういう意味では、スキマスイッチによく見られるエピソードチックな歌詞はとても好きだ。モー娘。らが活躍した頃によく見られた軽やかでユーモラスなもの感じさせてくれる。それでいてかっこいい。

ということで、寄り道はここで終わり。

1. フィクション

この曲は、現実と理想に翻弄されながら生きる銀行マンを主人公に設定して歌われたものである。「毎日お辞儀ばかりしてたら、壁のポスターにまで頭下げてた」など、現実でもあり得そうなジョークがリスナーを彼と同じ現実と理想の間の世界に引き込む。

と、歌詞の話はどうでもよくてシティ感とスキマスイッチの青春チックな音楽性がマッチしていて爽快な曲である。

『全力少年』のような背中を押すような風を吹かせた音楽も彼らの魅力ではあるが、今作のような皮膚をスッと冷やすような夜の風も素敵だ。

Live ver.はさらによくて、2010年のLagrangian Poinはブラスの華々しさとキーボードの洗練されたサウンドが心を踊らせてくれる。

2. アーセンの憂鬱

こちらもフィクションに似たような雰囲気を感じさせるようではあるが、フィクションよりも細やかでシステマチックな土台のもとに繰り広げられる人間臭い劇には、馬鹿なんだけどかっこいい気持ちを思わせてくれる。(ベーシストはみんな大好き亀田誠治 氏)

スキマスイッチファンの中でも、この曲はなかなか好評であり、彼らのセンスの良さを称賛するコメントが数多くあった。そのどれもに、私は赤べこのようにうなずき続けるように共感した。

ちなみに、サビから大サビの間にある「愛って言や 救済だ、暗い未来(はイヤイヤ)」は括弧部分が再生機器によって流れないので、機器の選定に使えるかもしれない。

3. ズラチナルーカ

セルビア語で「空を浮かぶもの」という意味のこの曲は、戦争をイメージしているという説もあり、スキマスイッチ曲の中でも考察に富んだものである。

http://color-of-life.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_9f88.html

この曲はJポップの王道のようなAメロBメロで助走をつけるような構成ではなく、サビに大きく決まるような場面もない。(そんな雰囲気の曲でもないが)いわゆるB面に送られる曲であろう。

しかし、そのような複雑さがあってもしっかりと聞きやすさが残っているのはさすがスキマスイッチといったところだ。

複雑怪奇なものを好みがちな(ど偏見)ジャズリスナーも楽しめるのではなかろうか。

終わりに

スキマスイッチの良さは、爽やかさを持つ曲と謎のかっこよさを見せる歌詞センスにあるだろう。

新進気鋭なバンドらが活躍している現代において、スキマスイッチにどこか古臭さを感じてしまうかもしれない。しかし、軽やかさを始めとした彼らの良さはいまだ失われない。人々の音楽への依存が深まったこんにち、何かを代弁されたい私たちの欲求などお構いなしに、彼ららしい音楽がそこにあることだろう。

本買ったり、コーヒー飲んだりに使います。 あとワイシャツ買ったり