DaiGo騒動から私たちは何を踏まえるべきか

最近物騒なニュースが多い世の中ですが、と書き出しをすれば本当に「物騒な世の中になってきたのかなあ」と思ってしまいがちですが、よく考えてみたら「物騒でないニュースはそもそも面白くないから無視している」のだと気付きました。やはりニュースを見るのは「危険から身を守るため」やら「情報を身につけて商売に役立てるため」などの武器防具視点があってのものなので、役に立たないニュースというのはスルーされるのが世の常なのでしょうね。

めちゃくちゃどうでもいですが、物騒でないニュースの例はテニプリ入学試験だと思っています。これとても好き。

めちゃくちゃ面白いニュースですけどね、わざわざ明治大学から場所借りてやっているあたり割と本気で取り組んでいる企画なのがとてもいいです。

筆者・31歳男性もコミックスを集めるほどではないが、連載開始時から読んでいるため試しに挑戦。「これは誰が放った打球で壊れたものか答えなさい」「画像の破損したラケットの持ち主の名前を答えなさい」「都大会2週間前、乾貞治が数えた青春学園中等部に訪れた偵察人数を選びなさい」などの難問に「(テニス漫画なのに物壊れすぎだろ…、わらかん)」と心の中でつぶやき15分で終了。50問中、2問だけしか正解に自信がない結果となった。

「テニス漫画なのに物壊れすぎだろ」好き。

さてさて、そんな話はさておき

最初に言ったように、物騒なニュースに人は引きつけられるのだという仮定で話すと“炎上”はとてもホットな話題なのかと思います。誰々が浮気をした、問題発言をした、「野菜食べてますか?」と聞かれて顔を真っ赤にして怒った…など様々なものがあります。

今回は、投稿動画の不適切さが故に炎上してしまったメンタリストDaiGo (@Mentalist_DaiGo)さんの炎上騒動を話題に“私たちはどのように考えればいいか”について話していこうと思います。

DaiGo炎上について

文章としてしっかりと書かれている記事としてはこれが一番分かりやすいのですが、読むのめんどくセーよって人のために一応簡潔に書いておきます。

DaiGoが【衝撃】宿題が無意味であることが科学的に証明されている件【ゆたぼん君は若干正しい】という題の動画をYoutube上にて公開。
タイトルでもわかるように「無意味」や「科学的に証明」などと助長的な言葉で書いております。

それに対して、教育系Vtuber「SDGsマン(@kodai_chi_koji)」さんが反論動画を出しています。

「宿題が無意味であることが科学的に証明されている」ってことが出鱈目すぎるって話です。前にも言いましたが論文は一本持ってきてほらね、みたいにして使うみたいなもんじゃないですよね。そんな使い方をして「エビデンスがある」みたいな言い方はしないですっていうレベルの話ですらないです今回は。DaiGoさんが動画で引っ張ってきているとされるデューク大学のハリス教授の論文の原典を読んでみましたが全くそんなこと書いてないんですよ。(中略)
また肝心の宿題についてですが、「その量については検討の余地がある、学年によってもそれは差がある、宿題そのものは効果があるし必要なものだ」っていう風な書かれ方がしていました。(中略)いろいろと探していたらデューク大学のハリス教授の研究結果をもとにしたっていう海外のWebサイトを見つけたんですが確かにそこにはそれっぽいことが書いてあったのでもしかしたら誤訳じゃなくてそれを翻訳したのかもしれないですね。ただ論文そのものじゃないし、論文にはやっぱりそんなこと書いてないんです。だからきっとDaiGoさんはデマの記事でも目にしたんじゃないですかね。でも、もしそうなら「論文に書いてた」とかっていのうは視聴者を明らかにミスリードしていますよね。

さらに他のYoutuberである「えらてん(@eraitencho)」さん、「みずにゃん(@rnizunyancas)」さんらも反論動画を投稿。(これに関してはSDGsマンさんの動画と主張している内容はほぼ同じなので、ここでは貼りません。検索すれば簡単に見つかると思うので、興味があったら探してみてください。)

その後、投稿者のDaiGoさんは「内容が一部不適切だった」として、謝罪動画を出すことである程度収束しております。(現在は件の動画を削除しています。)

この騒動において、DaiGoさんの「断定をはじめとする誇張的な表現を使うことにより不確かな情報をさも真実であるかのように伝える悪質さ」が露呈してしまったのも事実ですが、それ以上に

「権威を持っているように見える人間が発信する情報を吟味することもなく無批判に受け入れてしまう」

そんな視聴者の弱さが見えてしまったように思われます。

「DaiGoさんがいかに杜撰な証拠をもとに情報発信をしていたか」ということについては。多くの優秀な解析班がしているので、これ以上は特に触れずにおきたいと思います。彼が悪質な人間であり、あらゆる手段を用いて表舞台から排したとしても第二の彼が現れてしまえば、同じような間違いが起きてしまいます。

さらにいえば、彼の行為自体は故意犯的であることを断定できないのでそれ以上に追求することができないんですよね。人を騙してお金を稼ごうとしたわけでもなく、ただ彼自身が「無知だった」というのなら「もっと勉強をしろ」としかこちらでは言えないわけです。

(とはいえ、故意犯的にも見えるような情報は「えらてん」さんのチャンネルなどのコメント欄にて提供されていますけど)

この件から、視聴者である僕たちが何に注意して物事をみていくべきかについて書いて行こうと思います。

InformationとIntelligence

基本的に情報収集で語られる「情報」とは、Informationだと僕たちは思っています。本で読んだ著名人の言葉、新聞で書かれているもの、ニュースのコメンテーターの発言など。

しかし、これらはInformationではありません。厳密にいえば、Intelligenceと呼ばれるものなのです。これらの説明は『データの時間』様の記事を読んでいただければ、わかりやすいかと思います。

ITの用語で「Intelligence」と「Information」という言葉を聞くと、いずれも「知識」や「情報」と解釈されがちです。しかし、この二点は似ているようで大きな違いがあります。Intelligenceが意味しているのは脳に収まった知識であり、Informationは客観的な知識なのです。

IntelligenceとInformationの混同はIT業界では大きな混乱をもたらします。Intelligenceは客観的データを解析した後に導き出される知識であり、Informationは生データそのものです。両者の違いをはっきりと認識することが大切です。

たとえば、市場調査やシステムの稼動テストにおけるデータ収集です。人は目に見えるデータについ注目しがちです。そして、資料提出を求められればデータを整理することに注力してしまう傾向があります。

しかし、調査やテストの最終目的はデータの収集ではなく、データからどんな結論を見い出せるかが重要なのです。これがIntelligenceとInformationの違いだといえます。客観的なデータを大量に収集すればするほど、そこに法則性や傾向を見い出すことが可能になっていきます。最終的に人間の頭で考え、導き出された結論こそがIntelligenceとして重宝されます。

またWikipediaにおける諜報活動の記事によれば

諜報活動は、用いる手段により以下のように分類される。情報収集には決して秘密・非合法な手段ばかりが用いられるわけではない。収集した情報を分析・評価することで指導者が判断を下すために役立つ情報(インテリジェンス)を生産する。

とされています。すなわち、主張などの「誰かの考え」に基づく情報をIntelligenceと呼び、政府などが出している統計データのような誰が見ても同じ数字であるような情報をInformationと呼びます。

リテラシーがある人などがよく言っている、「一次情報を見ろ」の一次情報はだいたいInformationです。対して、二次情報のほとんどは誰かの解釈が入っていることが多いのでIntelligenceです。

例えば、先ほどのデータの時間の同記事の中でも

セキュリティガバナンスの意識は企業の信用度を大きく左右します。 企業が情報セキュリティをチェックする際に収集するログやエラーデータがInformationにあたります。これらのデータを集めるだけでは結論となりえませんが、そこに考察を加えることでInformationはIntelligenceへと変わります。そして、培った知識をもとにして企業はセキュリティガバナンスを実践していきます。 技術力が向上し、Informationを収集するのが容易になっているからこそ、Intelligenceの重要性が見直されています。

と書いていますが、特に「Intelligenceの重要性が見直されています。」というのはあくまで筆者の主張に過ぎないので、Intelligenceに当たるものでしょう。(そういう意味でWikipediaはIntelligenceをなるべく避けようとしている気がしないでもないです。)

私たちが普段から見ているものは、実はIntelligenceであることの方が多いというのはこれでわかってもらったかと思います。(とはいっても、Informationばかりを見ている変態的な人もいますけど。)

「情報発信」について考えるのなら、この二つをしっかりわけて考えないといけません。そうしなければ、議論がごちゃごちゃになるからです。きっと、これらを分けて考えている人はすくないでしょうから、今日から分けて考えるようにしましょう。それだけで、あなたは日本で1%未満のリテラシーを持った人になります。

主張は意図的である

さて、今までInformationやIntelligenceについて引用を用いて説明してきたのですがこれだけでは明確な違いがわからない人の方が多いでしょうから、もう少し詳しく説明していきましょう。

まずInformationにおいてですが、これ自身は疑いようのないものでありそれ自身に反論を述べることはできません。例えば歴史において、1945年に第二次世界大戦が終結したというのは事実ですのでこれを疑うことはできません。そして、何か主張をするにおいてこれを用いることができます。

「いやいや、第二次世界大戦ってのは実はまだ続いているんだよ、マスコミが情報操作をしていてその事実をひた隠しにしているからわからないんだけどさ。」などという反論も飛んでくるかもしれませんが、そういった部分まで疑ってしまえばもはや論を立てることができません。そういうのは“陰謀論”と呼ばれています。(もちろん、他のInformationを根拠に「マスコミが情報操作をしているかもしれない」と仮説を立てることは可能です。)

つまり、そのようなInformationがあるのであれば、正しいものであることを前提にするということです。Informationに関して「政府が意図的に隠している」などといってしまうと、あらゆる物事にそういった疑念が生まれてしまいますので議論ができなくなってしまいます。

そういったInformationにメスを入れて真相を確かめるのは学者の仕事であり、一般人らはあくまで「Informationが真であること」を前提として議論に臨まなければなりません。石橋を叩いて渡る党のみなさまにとっては残念な話のようですが、それがあくまでルールなのです。

また、Informationは意味を持ちません。例えば、近所のスーパーの卵の値段が500円だったとします。買い手である私たちはそれを高いと思ってしまいますが、Informationとしては「卵の値段が高い」などということは全く表していません。卵が500円ですと言われれば、それ以上でもそれ以下でもないのです。

「過去の卵の値段との比較」や「インフレ率」などを見て、やっと「卵が高い」と言えるようになるかなってレベルです。ですから、一般人にとってむず痒いものかと思います。普通なら、「いや卵が500円とか高いでしょ!」って値段見ただけで言いたくなりますもんね。

ただ、それがInformationというものです。めんどーくさいですが、これを理解しなければ、だいたいマスコミとかの情報操作の餌食になります。ってか情弱というのは、概してそういうのを理解していない人を指します。

次にIntelligenceなのですが、これはInformationと逆の特徴を持つと言っていいのではないでしょうか。これらは意味を持っており、反論することが可能です。

意味を持っているというのは、DaiGoさんが「宿題についての論文」というInformationを使って宿題は無意味だと解釈していることを指します。こういった「意味」とは対立の際のポジションを明確に表す根拠でもあると言えます。このIntelligenceを持ってDaiGoさんは「宿題不要論者」というポジションを得たのだということです。

しかし、これらの「意味」というのは解釈がないことには生まれないものでそれは各々の考え方に寄ってしまうので、同じInformationでもそれを受け取る人によって違うIntelligenceが生まれてしまうのです。

「宿題についての論文」に書かれている内容がDaiGoさんの話すものと同じだったらと仮定しても、(実際は違うって言われてますが、ややこしくなるので前提を同じにしておきます。)僕が数多くの宿題をこなしたことで成績をあげたという実感があるのなら「学生の能力に応じた宿題が必要であり、画一的な内容の宿題はよくない(例えば、四則演算でさえ危うい学生に微積分の宿題を出してもナンセンスである)」と主張することもできるというわけです。

これと「宿題不要論」とでは、明らかに意図するものが違っているし、聞いている側も同じ話をしているとは考えないでしょう。そう言った意味でIntelligenceとしての主張は意図的なのです。

こういった特徴を強く表しているのが「生存バイアス」についての例と言えるでしょう。

ちなみに2ちゃんねる創始者(もういい加減こんなこと言いたくないんだけれど)であるひろゆきさん(@hiroyuki_ni)の発言で有名な「何かそういうデータはあるんですか?」というのは、「データ(Information)があっての主張(Intelligence)なんですよね、出来ればデータを見せていただければありがたいのですが」と(好意的に)解釈すればなんらおかしいことではないわけです。

(というより、こういうある種の慎重さが議論においては必要なのです。彼の普段の言動から大衆としての我々は「ただの面倒くさいやつ」として彼を判断するかもしれませんが、Intelligenceの根拠であるInformationを求める姿勢に関しては明らかに周りのゲストと比べて慎重な議論を望むものであります。)

画像1

DaiGoの主張が悪いわけではない

それを踏まえて自身の動画にて不確かな内容の動画をあげたDaiGoさんは裁かれるべきであるか、というと決してそうではありません。

なぜなら主張をはじめとするIntelligenceというものは、元々独立しているInformationを考察という人為的なもので無理矢理に繋ぎ合わせて作られるものなのでそこに「完全な正しさ」はないのだと思われます。(「思う」という弱い言葉を使っているのは、あくまでこの文章もIntelligenceにすぎないのだという強調を表しています。)

Intelligenceが「完全な正しさをもつ」という前提の元で存在するのなら「万有引力 間違い」とGoogle検索してもヒットすることはありませんし、今更マルクスの書籍を読むような愚かな人はまさかいないでしょう。(彼の理論は完全な正しさをもっていなかったのだから)

しかし、それでも私たちが過去の理論や思想などを積極的に学ぼうとするのはそもそもIntelligenceの「不完全性」というのを体感しているに他なりません。世に提唱されているものが完璧ではないからこそ、科学者らは過去を振り返りながら自らの理論を発展させていくわけです。(ちなみに近しい考えで「反証可能性」「ゲーデルの不完全性定理」があるように思われます。気になる人は調べてみてもいいかもしれません。)

そういったように、ありとあらゆるInformationと不完全なIntelligenceを受けて自らの考察を加えて発展させていくことこそが知的活動でありますし、勉強なのです。ついつい考えてしまいがちな、正しい真実を受け止めて真の自分へ近付いていくというのは全く勉強ということではないのではないでしょうか。

ちなみに意識イケイケ系の「DaiGoさんやら中田敦彦さんのYoutubeをみて勉強しています!」というのは決して勉強ではないと声を大にして言いたい。強いて言えば、主張モリモリで断定調に話せば信頼度が上がるという意味で“マーケティング”、「誰々が言っていたので(僕に文句は言わないでね)」ということで炎上逃れができるという意味では“Youtubeマネジメント”を勉強しているのかと。

話が変わってきている中さらに話を変えますが、こう言った意味でも「失敗は成功の元」なんていった言葉がより深く心に刺さるのではないでしょうか。失敗したことそれ自体はいいとして、どれくらいの失敗があったか、どれくらい完全に近付いたかを日々考えながら活動していくことを“成功の元”だとすれば「勘がついてきて、数打ちゃ当たるよね〜」みたいなちょっと馬鹿っぽい話にはならないと思います。

そんな諸々の理由から、 DaiGoさんの主張が不確かであるとして叩かれるべきだとは思いません。ペテン師だ、詐欺師だと罵ることも不適切だと思います。(そうであれば、研究者はほぼペテン師だと言えるでしょうし。)

まあ、マーケティングを意識するあまりに誇張気味な主張を繰り返し(しかも十分なInformationを集めず)、勉強にも視聴者に対しても不誠実な態度を示した件については叩かれて当然です。DaiGoさんwwwwそれはねぇ、DaiGoさんが悪いよwwwwwwwwwwwwwww

ということで、今回の件はDaiGoさんの底が知れてしまっただけであり、彼の主張に問題が発見された件については「まあ、それが学ぶということだし」というしかありません。

この話を発展させて反論についてもあれこれ書いていきたいと思うのですが、そうなるとこのnoteを投稿するには完全に旬を逃してしまいますので、またの機会とさせていただきます。

今回の件を踏まえて

それじゃあ、DaiGoの主張は悪いわけじゃないんだなぁよかったよかった(もしくはその逆)って思ってnoteを閉じようとしている人もいるかもしれません。ところがどっこい、今回は「踏まえて」と言っているため「私たちはこれからどのような態度で学んでいかないといけないか」といったところまで言わないといけないんですよね。

とはいえ、今まで話してきた内容のまとめに過ぎません。

・情報をInformationとIntelligenceにわける

それぞれの特徴は上記にて説明しましたが、なにを勉強するにおいてもそれがInformationかIntelligenceかを分けることはとても大切です。例えば、N○Kが悪の組織であるかのうような某政党の話をInformationとして受け取ってしまうと「N○Kをぶっこわ〜す」なんて口癖で言ってしまうわけですからね。N○Kが集めたお金は何に使われているかというInformationを調べ、自分なりの解釈で決断する方がよっぽど健全であると言えます。(とはいえ、僕もできるだけお金は払いたくないんですけどねw)

・Intelligenceを信用する根拠に権威を採用しない

IntelligenceをInformationであるかのように捉えてしまう人の特徴に「発言者の権威を根拠とする」というのがあります。いや、別にいいんですけどね。東大教授やらデューク大学の研究だから信頼できるなんて言っても。その信頼に応えるべくして日々研究を進めているみたいなところありますし。

とはいえ、権威というのはその人が過去に積み上げてきた実績であり、それでしかないわけですから「常に正しいことを発信している」わけではありません。極論「この人は優しいから」とか「熱い心を持っているから」なんてのと、たいして変わらないと思います。(今、そんな感じで評価されている政治家いますよね。)多分、ヒトラーも戦前は「熱い心を持っている」と思われていたんじゃないですかねw

(権威やポジション、性格をもとに「この人は自分の間違いをすぐに正せる人だから正しいことをいうことが多い」と思うのは構いません。そういう意味ではDaiGoさんの対応は悪手でしたね。)

・「正しいと証明する」ことが難しいというのを知る

また「SDGsマン」さんの動画を貼らせていただくのですが、ここで言われていることが僕の主張のほぼ全てを代弁してくれています。

映画とかドラマとかを見終わったら「これはフィクションです」みたいなのが出るでしょう?あれのせいで余計にそれ以外の番組は「フィクションじゃない」みたいに感じません?ドキュメンタリーとかが一番危ういと私は思ってて、「何か特定のメッセージを伝えるために事実を土台にして、しかも場合によっては当事者というか本人を使って作られたある種のドラマがドキュメンタリー」そんなふうに私は捉えています。それなのに「ドキュメンタリーはまるでありのままの現実を伝える番組」みたいに誤解している視聴者の頭の中へ、フィルターを通さずに製作者の意図する情報とか考え方みたいなやつがスムーズに入り込んでしまうんですよね。

誰かが考察を加えた(他意があるかどうかは置いといて)主張(Intelligence)を、視聴者つまり情報の受け手がありのままに感じ取ってしまい、あたかも真実であるかのように勘違いしてしまうことが度々あります。「イルミナティが世界を管理する…」ってのを信じるのもその例の一つです。信じるか信じないかはあなた次第。

しかしながら、真実というのはそう簡単にわかるものではありません。真実かと思っていたら違ったとか、その逆ももちろん存在するわけです。(水素水が本当に身体にいい影響を持つと立証される日がいつかくるかもしれないですね。)

それじゃあ、どうすればいいんだと思うかもしれませんが簡単です。Informationを集めてください。例えば、食事法に関しても実際に自分の生活に組み込んでみて体の調子を観察してみればわかります。1週間2週間ごとにと体重を計測したり、その日の弁の調子を記録してみたりすれば、自分にとって有効な食事法かもしれないと自分なりのIntelligenceを立てることができます。

このように自分で仮説を立てて、Informationを律儀に集めていけば真実にするかはおいといて、昨日よりbetterな人生に近づけるはずです。なにより「正しいもの」が得難いということを身を以て知ることができます。そうすれば、論文でこんなこと言ってましたよと傍若無人に主張する人の言葉を安易に信じなくなるわけです。


最後に

このnote自体ももちろん、「誰々がこのように発言した」というInformation以外に僕自身の考察を交えたIntelligenceの一種であるわけですから、妥当性も不当性も当然存在するわけです。「これは間違っているんじゃない?」と思うことがあるのでしたら、そういった疑問は是非大事にしてください。そこからInformationを集めてみてください。


あと、僕は極貧大学生ですから、お金ください(台無し)

追伸:大学なんかでよく「Wikipediaはあまり使うべきではない」なんて言葉を聞きますが、一般に幅広く普及している言葉に関しては個人ブログやらビジネス書籍やらと比べてintelligence少なめで書くように配慮しているように見えるので引用するにはいいのかなあと思います。まあ、Informationの精度がなんだかんだで発信者の権威に寄りますからやむなしかなぁ。

追伸2:勢いでガーっと書いたので、ちょいちょい推敲していきます。なんか文でおかしいところがあったらご指摘のほどよろしくお願いいたします。

本買ったり、コーヒー飲んだりに使います。 あとワイシャツ買ったり