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マンガ「乞食者」解説

 今日は万葉集巻十六に収められた乞食者(ほかひびと、こじきとは違うらしい)の歌を原作とした漫画を描きました。

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漫画は以上です。

今日の記事は「これってどれくらい原典に忠実なの?」という点についてめちゃくちゃ詳細に語る内容です。
ご興味あればご覧ください。だいぶマニアックだぞ!

原典はどんな話なの?

原典は乞食者(ほかひびと)と呼ばれる芸能をなりわいとする人が演劇的にやっていたものらしい。折口信夫はこうしたものを能の起源だと言っています。
こうした演劇的なものは万葉集の数千首の歌の中でもこれと一個前に収録されている作品のみらしい。だいぶレアな作品ってことですね。
「華やかな職につけると思って呼ばれたら食べられちゃう」というなかなかえぐい話ですが、万葉集の歌のあとには「右歌一首為蟹述痛作之也」、つまり蟹の痛みを表現したものだとはっきり書いてあるので、
これは食べられてしまう蟹の命に仮託した悲劇なのだと考えられます。えらい人に搾取されてしまう庶民の苦しみは古今不変ってことか……ということで、蟹をわかりやすく擬人化して漫画にしてみました。

忠実度合い

 はっきり言ってだいぶ忠実に漫画にしたつもりです。なので明確に違う点をあげます。
3コマ目:役人的なキャラの登場
4コマ目:原典で諸説ある解釈の一つを採用
2ページ目:行程のくだりを大幅アレンジ
3,4ページ目:調理のくだりが長いので適宜カット

というところかな。

3コマ目に出てきた役人的なキャラは原典に存在せず、原典では「大君がお召しになるという」という意味の伝聞だけで、芦蟹が誰から聞いたのかはわからない内容になっています。
食用蟹の擬人化ということを考えると、漁師が蟹に対して「お前を大君がお召しだよ」と説き伏せるような形の方がリアルかなぁと思いますが、そこで漁師とか出ちゃうとオチが見えちゃいますからね。
原文でも食べられてしまうことはいきなりな展開なのでそこをなんとしても漫画化したかった。
あと、万葉集の時代はこの形の冠はないはずで当時の冠はもっと帽子っぽいですが、わかりやすさ重視でこっちにしました。ゆるして。

4コマ目:これはややこしいので後述。「明らけく」の項で解説。

2ページ目:ここは原典では
「今日か今日かと飛鳥(明日か)に行き
置くとも置勿(おくな、地名)に行き
つかねど都久野(つくの、地名)について、」
となっており、要するに掛詞的なことばあそびになっております。
置くとかつくとかが何を意味するのかよくわからなかった。
「置くとも」は今とほぼ意味が変わらないらしいので間を置くとも、か身を置くともって感じかな。
「つかねど」は新潮の新日本古典集成によると杖はつかねどって意味らしい、でも到着のつくでも良さそうだよな。

さて、なかなか小気味良いことばあそびですが、飛鳥以外無くなった地名ということもあってそのまま描いても伝わりづらいと思いました。
しかも置勿と都久野はどっちも飛鳥エリアの地名らしく(詳細不明)、現代でいえば
「名古屋を出て東京都に行って神田に行って千代田に行った」みたいな文です。
大阪から奈良の大旅行だったのに最後だけいきなり細かくなりすぎだろ。

掛詞というと技巧というイメージですが、この歌は庶民の歌なので、このことばあそびもダジャレと同じユーモアとして消費されていたと僕は考えました。
つまりここで「楽しいパート」を演出してから終盤怒濤の被殺害パートに行くという構成になっているんだと思います。エグい。

ということで旅行的な感じを出して楽しい感じを出してみましたが、原文のほうが凄いよね。

現代語訳

「新日本古典文学大系」の現代語訳にもとづく訳文を載せます。〈〉内は枕詞や言葉遊び()内はふりがなです。読みやすいように適宜改行入れました。

〈おしてるや〉難波の小江に、家を作って隠れて住んでいる葦間の蟹を、大君(おおきみ)がお召しになるという。
何でまたお召しになるというのか。
そんな者ではないと私ははっきり知っているのに。
歌唱(うたい)として私をお召しになるのでしょうか。
笛吹きとして私をお召しになるのでしょうか。
琴弾きとして私をお召しになるのでしょうか。
ともかくも仰せを承ろうと、
〈今日今日と〉明日香の地について、
〈置くとも〉置勿(おくな)の地について、
〈杖はつかねども〉都久野(つくの)という場所に至って、
東の中の御門から
宮に参上して、お言葉を承れば、
馬にこそは吊り縄をつけるもの
牛にこそは鼻縄をつけるものなのに※
〈あしひきの〉この片山の揉む楡(にれ)の木の皮を
五百枝もはいで吊るし
〈天照るや〉日の光に日毎に干し、
〈さひづるや〉唐臼でついて、
庭に据えた手臼でついて、
〈おしてるや〉難波の小江の塩のいちばんめの濃い垂れを
塩辛く垂らしてきて、陶工がつくった瓶を今日行っては
すぐ明日持ってきて、私の目にその塩をお塗りになり、
その乾肉をご賞味なさることよ、
その乾肉をご賞味なさることよ。



時代

万葉集は奈良時代末期に成立した歌集ですから、万葉集が書かれた時代の都は平城京。しかしこの歌に出てくる地名(飛鳥、置勿、都久野)かはどれも飛鳥周辺の地名らしいので飛鳥京、藤原京時代の物語となり。まあ原型が飛鳥時代で成立が奈良という可能性もありますが、物語設定としては飛鳥時代でOKでしょう。

2ページ目の飛鳥の都は藤原京の再現図とかを参考に描きました。あんまよくわかってないらしいけど。

解釈がいろいろありそうなところ

明らけく我が知ることを

 「明らけく我が知ることを」の「明らけく」
ここがめちゃくちゃヤバい。明らけくは「明らけし」の連用形なので私がしることを「はっきりと私が知っていることなのに」という意味になる。
で、何を知っているのか?

新潮の新日本古典集成では
「私をなぜお召しになるのか、はっきり私にはわかっているのに」
岩波の新日本古典全集では
「(私がそのようなものでないと)はっきり私にはわかっているのに」
と、ほぼ真逆に近い解釈になっております!

まあ「何せむと我を召すらめや」は何のために私をお召しになるのか?という疑問文なので
なぜ→私は理由を知っている、とする新潮のはかなりストレートな訳と言えます。だがそのあとに自分が歌い手としてお召しなのか、琴引としてお召しなのか、と(結果的に)とんちんかんな想像をしていてはっきり分かっていたというにしては矛盾しているように見えます。
食われることを半ばわかっていたという解釈もありそうですが、後半の文の唐突感は自分の運命をやはりわかってなかったと見えます。

対して岩波は自分を卑下する形にすることで全体の文脈と調和させています。
しかしそうすると直後に妄想するのがやはり唐突な感じ。

ちなみに折口信夫の「口語訳万葉集」ではそこだけスルーしてしました。えぇ……。

ということで研究者にさえ明確にはわからない謎の文ですが、ストーリーのある漫画にするなら岩波の解釈がいいと思いました。


 描くうえで気になったのは「琴」がどんな楽器だったかです。実はことと呼ばれる楽器には正式な琴と筝(そう)と呼ばれる楽器があり、千年以上混同されっぱなしで来ています。しかも当時(奈良時代)はいまはなかったであろう琴のタイプもあったようなので絵にするうえでどうしたらいいかわからなかったです。が、
てきとうにそれっぽく描けばどれにでも見えるだろ
ということに気づきました。これは高畑勲作品ではないし、蟹が楽器に詳しいはずもないので。

からうす(辛碓)

しかしどうしても避けて通れないのが最後の調理シーン。からうすとはいったいなんなのか。
唐臼と検索して出てくる挽き臼や水車式の臼はのちの時代に作られるようになったもので、このからうすとは違うらしい。
日本初の国語辞典である「言海」の最新バージョン「新編大言海」によると、「柄臼ノ義ニテ、柄ニ機發(シカケ)アリ」等々と書かれていて、用例にこの歌が入っていたのでそれのようです。ざっくりまとめると、
てこの原理で足で踏んで柄を上げ下げしてつく臼のこと。
らしいです。ペダル式のもちつき機みたいなもんかな。

だから意味を正しく漢字で書くなら「柄臼」なんでしょうが、「さひづるや」という唐を導く枕詞がつかわれているため、当時の人も「から」を唐と勘違いしていたんでしょうね。めんどくせえ。

とまあ色々調べたものの、ちゃんと様子を描くと臨場感が無くなると気づいたので詳細は描写しませんでした。漫画ってそんなものですね。

で、これはちからうすという異称もあるほどに、破壊パワーの出るものなので、この唐臼でつかれた時点で蟹は粉々にバラバラになって死んでいたことでしょう。そもそも小型とは言え甲殻類なんだから殻を剝いて調理しそうなものである。

 とはいえこの作品で表現すべきは「痛み」。あっさり調理済みの姿にしたらシュールギャグみたいになってしまうので漫画では原型を残しました。
 ここからは実際には確実に死んでいることを表現するため目を灰色にしました。気づきましたか?

食べたのは誰か

最後に蟹が食べられるシーン。
「大君召すと」という最初文を信じれば、食べたのは大君、つまり時の天皇となりますが、
誰に食べられたかは書いていません。
もし平安時代の文章なら二重敬語が使われていないから食べたのは大君じゃない!となるんですがそのルールが明確になってなさそうなころの歌だし、ってことで色々解釈の余地がここにもあるなと思った。
ということで漫画ではおそらく大君ではなさそうな人間に食べさせました。

きたひはやすも

最後のページの「わたしの肉を食べて賞賛されました」というところ。

ここは原典の解釈が異常なほど多く、「もちはやすも」「まをしたたへも」「まうさも」などめちゃくちゃいろんな解釈がありました。

これはおそらく原文の万葉仮名が「時賞毛」となっているからですね。

万葉仮名というのはひらがなの元となったもので、日本古来の音に当て字で漢字をあてたものなのですが、送り仮名に該当するものが飛ばされていたり、当時なんと読んでいたのかわからなかったりして、解釈に幅が生まれてしまうんですね。日本語を表記する最初の試みだからしかたない。

まあ現在では「きたひはやすも」が主流みたいなんでそれを採用しました。「きたひ」は干し肉のこと、だから干し肉を食べておいしいといいました。みたいな訳になるようです。


感想

 ということでわりといろいろ書くことがあった。ここでは取り上げなかった些細な解釈のブレもあったし、調べること無限にあるなという感じ。
 こういうことはじめてやったがめんどくさいし途中で飽きてくるし大変だなあと思った。
 またいい原作を見つけたらやろうかな。


訓読

 最後に万葉仮名をふつうのひらがなに変えた文を載せます、がこれはあくまでも解釈の一つでしかないです。

おしてるや 難波(なにわ)の小江(おえ)に 廬(いお)作り 隠(なば)りて居る 葦蟹(あしがに)を 大君召すと 何せむに 我を召すらめや 明けく 我が知ることを 歌人と 我を召すらめや 笛吹きと 我を召すらめや 琴弾きと 我を召すらめや かもかくも 命(みこと)受けむと 今日今日と 飛鳥に至り 置くとも 置勿(おくな)に至り つかねども 都久野(つくの)に至り 東の中の御門ゆ 参入り来て 命受くれば 馬にこそ ふもだしかくもの 牛にこそ 鼻縄はくれ あしひきの この片山の もむ楡(にれ)を 五百枝(いそえ)剥き垂り 天照るや 日の異(い)に干し さひづるや 韓臼(からうす)に搗(つ)き 庭に立つ 手臼に搗き おしてるや 難波の小江の 初垂り(はつたり)を からく垂り来て 陶人(すえびと)の 作れる瓶を 今日行きて 明日取り持ち来 我が目らに 塩塗りたまひ きたひはやすも きたひはやすも


主要参考文献

佐竹昭広 、山田英雄、工藤力男 、大谷雅夫、山崎福之:校注(2003)「新日本古典文学大系 万葉集4」岩波書店
青木生子、井手至 、伊藤博 、清水克彦、橋本四郎:校注(2015)「新日本古典集成四巻」新潮社
折口信夫「口約万葉集 下」(2017)(岩波現代文庫文芸289)岩波書店


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