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本質を見てくれりゃんせ

※2:33追記、性についての基盤となる観点を追記しました。
追記部分には山かっこで示しました。
もし間違ってたら教えてください。

 はやりにのってラブドール漫画の話するぞ!と思って読んで(今は鍵垢になってます、読みたければ自己責任でググってくれ)いろいろ考えたけど
これって現実の児童についての性的妄想をTwitterという誰でも見えるところで垂れ流したことが問題、で終わりじゃね?そういうことはチラ裏かちゃんとゾーニングされて読みたいやつだけが見えるように努力すべし、で終わりじゃん。
 もうそれ以外は本質的には問題ではない。と思う。

作者が「小児性愛者の権利」とかについて言及しながら反論したのは本質とは一切関係ない。それに引きずられた人間が大量に出て別な問題に発展した感もあるが、元々の漫画をめぐっての本質的な問題は先述の通りただ一つです。

 でもこれが色々話題を読んだのは対象がラブドールで、発表媒体が漫画であったからだろう。

 問題の本質としては「実在の男児の肛門を思いながらこんにゃくで致した」という内容だったとしても一切変わらないのだけどそれではここまで至らんかっただろう。

やっぱ人形ってヤツは人に人間に似たなにかを感じさせるんだなあ。とはいえ人形論もまた別のおはなし。

話をもどしますと、この件からさらに導くことができる問題提起は、「実在の児童についての性的妄想の発表はどういう場所なら許されるか(あるいは一切許されないか)、そしてそこではどこまでなら許されるか」ということだけだと思う。

「小児性愛とは〜」とか「ラブドール購入の規制が〜」とか、そういうことはこの漫画とは分けて、別のところでやるべき。
この漫画はその題材としてやるには雑味が多すぎると思いますよ。


おまけ

まあとはいえこの騒動を通して、小児性愛者は性的マイノリティなのかどうか考えてしまったかたもいるでしょうから、それについて一応私の考えをいいます。
繰り返しますがこれは例の漫画とは分けられた、直接の関係性を持たない話題です。

結論から言えば、人間に起こる現象の結果として「小児性愛者」も「同性愛者」も同じ性倒錯にすぎず、そこに根源的な差異は無い、と考える。

私はLGBTQとか言われる区分のうち、L以外のどれかに入るが、自分の性について語るときは「性倒錯者」としか呼称しないことに決めている。ここでの性倒錯者は性的マイノリティとイコールでいいと思います。

それは私がフロイト好きとかいろいろ理由はあるが、基本的に名前によるジャンルわけに意味を感じないというのが理由である。

社会においてLGBTQIAとか呼ばれる人間が異常なのは、定型的な性の発達をできなかったという点でしかない。ジェンダーにまつわる活動は社会がそれらの人々の人権も尊重してて対応できるようにシステムを更新しようって言葉にまとめられる。
個々人がどのジャンルに入るかは本質的にはどうでもいい。(むろん社会を良くするために統計とったりする必要はある)

だから私は定型の性ではなさそうな人間であるという自己紹介として性倒錯者と名乗っている。私の社会に対するスタンスの説明としてはそれで十分だろう。

で、小児性愛者や動物性愛者はその意味で我々となにも変わらない性倒錯者である。つまり、性的マイノリティに含まれる。

〈ここから追記部分〉

でも小児性愛がもつ暴力性と言う問題があります。そこについての私の解釈をもう少し語ります。そのうえで押さえてほしいことがあります。

 まず、抱えた性のありかたというのは恋愛や性愛ではなくその人の内的な問題に始まり、内的な問題に終わるということを明記しておきます。
それは違うという考え方もアリです。恋愛を中心に性を考えるのは個人の性にたいする観の違いとしてありだと思います。

ですが、現在の性的マイノリティについての分類は内的な性のありかたに依拠しています。たとえばLGBTにはT、トランスジェンダーが含まれますが、その方々が抱えていることは自己の性自認と身体の不一致であって性愛の対象ではないです。世の中にはトランスジェンダーでなおかつ同性愛者の人(たとえば出生時の生物学的性が男性で性的対象が女性だが、性自認が女性の人)もいて、当然みとめられています。だから性的マイノリティにとっての性というのはだれかとの恋愛を前提としたものではないのですね。
また、アセクシャルは恋愛感情を持たない(あるいは欠如した)存在と定義されていますね。つまり「恋愛関係を結ばない」ではないんです。だからあくまでも中枢にあるのは、外的な関係ではなく内的な感情なのです。ノンセクシャル(性的衝動を感じない存在)も同様です。

〈追記部分終わり〉

 小児性愛者は抱えた性衝動の成就(つまり未成年者との恋愛や性交渉)が必ず人権侵害になってしまうので違うみたいなことを読んだけどそれはやはり関係ないと思います。

その人が抱えこんだ性についての話において、その欲求が成就するなどという外的な、後の話は関係ない。(もちろん実際に起こる人権侵害は重要だが、それはこの「小児性愛者は性的マイノリティ(=定型ならざる性を持った人間)なのか」というテーマには関係ない。)

そもそも性交渉を望んでいるというのが仮定でしかない。(「性交渉を望む小児性愛者」と「望まない小児性愛者」とでもまたジャンル分けするのだろうか)

要するにそういうことは他者の業に対して社会の都合で踏み込みすぎだろうってこと。

それはTwitterという社会的な場に出してはいけない妄想を漫画にして垂れ流した人間という構図を逆にしたパターンの人権侵害である。

男であるとか女であるとかゲイであるとか、そういう属性を元に振る舞いや生活を制限される差別に怒ってきたのがジェンダーフリーを求める人間たちの戦いだったはずだ。

だからLGBTQとかの頭文字を並べた概念も、社会を良くするために作った道具としての概念でしかない。

頭文字の間の差異を重視し、小児性愛者はここが違うなどとこだわってしまう人間は、男とか女とかで判断される悪習の再演をしたいのだろうか?きっとそうではないと思うのだけれど、結局のところジェンダーについての本質が分かりきってはいないのだろう。

本質が見えてない人間の方々がその人なりに想像力を働かせてくれるのはありがたいが、もうちょっと視点をデカくして本質を見る努力をしてほしいものです。



にょ