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『ONE PIECE』71巻までの感想(魚人島編の問題)

 数日前ワンピース無料公開分を全部読み切りました。

前回(アラバスタ編まで)はこちら


 ウォーターセブン編あたりからどんどん面白くなっていって、すごく楽しく読めた。登場人物の誰にも感情移入できないんだけど、いろいろな勢力が出てきて、ルフィたちの個人的な戦闘に挟まって、俯瞰的な視点が出てくることで抗争ものとしての面白さができた。
 特に「マリンフォード頂上戦争」がおもしろかった。エースと白ひげが死ぬことで人がまれに死ぬ世界になったのも良い。やっぱキャラが死ぬ可能性が無いと緊張感がないですからね。

 あと絵柄のバリエーションが変わっていくのも面白い。エフェクトの描き方とかいろいろアニメーションを参考にしている感じがある。

 魚人島編の”差別”の謎さ

 全体についてはそんなもんでしたが、魚人島編はいろいろヤバかった。ということで魚人島編についていろいろ書いていきます。まず「差別」をテーマにとったこと。

 魚人島は深海にある特殊な空気の球の中にある島で、名の通り魚人と呼ばれる種族が住んでいるのですが、彼らには人間に差別されていた歴史があり、それゆえに人間に対して不当な暴力を行うものも多数いるという設定。だが…。

 まずはっきり言って、差別を描いた作品としては論外という感じでした。なぜかというと、差別とは構造的暴力と呼ばれるもので、社会の構造に起因する問題なので、その社会の構造と歴史が見えないとなにもわからないのです。

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 ワンピースの世界はおおむねこの図の様な支配制度(原則上にいくほど強い)で、非常に複雑です。実効的な支配を行う在郷領主(リュウグウ王ネプチューン)がちゃんといるのに、それ以上の軍事権を持つ存在として地方の海軍と七武海(免許を得た海賊)がいて、そのうえに海軍本部があって、しかもそのうえに世界政府があって、そのうえそれを牛耳る天竜人なる存在がいろいろほのめかされる…という構造です。

 しかも魚人島編はさらに複雑で、七武海でない白ひげ海賊団によるゆるい支配も行われていて、それによる治安の安定があったことも示されます。さらに魚人は天竜人に直接隷属していた過去とその残滓的奴隷制度が現存し……これもうわかんねぇな。

 ということで、どこの誰になんの責任があるのかわからないのでどうしようもないですね。もうちょっと読んだらわかるもんでもないように思った。

 この支配体制の謎はストーリー本筋の核心になるようなので、明かされないのもしかたないのですが、この世界で差別を描くのはだいぶ無理があった気がする。まあ描こうとする意気はいいと思う…というところ。だが、そこではないところに魚人島編のすごさとダメさがあった!


「仲間だ!」構造の崩壊?

 前回の記事で、「ワンピースの仲間推しは単なるなれ合いではなく、暴力を正当化するための大義名分(欺瞞)である」ということを語りました。

 アラバスタ編以後もそれは変わらず、「『仲間』との出会い→悪人にまきこまれる→仲間のために戦い、結果的にその土地の悪も懲らしめる」という展開を繰り返します。スリラーバーグ編では脈絡なくブルックと会うという形で出会いパートを終えてしまうので、もはや様式化されていきます。

 ところが、魚人島編ではその正当化がうまくいかなくなりそうになるという展開が起こります。

 魚人島を襲う新魚人海賊団にとらわれた仲間を助けるため、また友人となった王族のために戦おうとするルフィたち。それに対して魚人で元七武海のジンベエが待ったをかけます。適当に要約すると「お前たち人間が、まがりなりにも人間の支配に抵抗することを掲げている新魚人海賊団を倒したら、また魚人たちに絶望的な感覚を残す」的なことを言います。

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 ということで仲間のために乗り込みたいルフィたちと魚人の大局的な将来を憂うジンベエとで対立が発生します。いやすごいと思いましたね。60巻くらい続いた基本構造を揺るがしにいくなんて、すごすぎる!

 が、その解決策は驚くほどしょぼく、ひどいものでした。

 それは、狂言でジンベエと王女しらほしが捕まって究極のピンチを演出したうえで、たすけて~と叫ぶことでルフィたちに強い大義名分が発生するというものでした。は?

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 そして、最終的に「おれたち友達だろ」みたいなことをルフィが言ってクライマックス。

 漫画読んでてここまで期待外れでがっかりした気持ちになったのは初めてでしたね。そんなオチにするんだったら最初から「仲間だ!」で良かったよ。

 この計を案じたのはジンベエなのですが、お前自民族のこと舐めてんのか?と思いました。

 そしてもっと重要なこととして、これは映画において白い救世主(white savior)と呼ばれる差別的特徴の拙い反復になってしまっているという問題です。


白い救世主

 「白い救世主」とは、白人以外の人々を描いた作品なのに、なぜか救ってくれる重要キーパーソンとして白人が出てきちゃうという映画あるあるです。『ラストサムライ』がよく例に出される(けどぼく見たことない)。

 で、そういう話が多いのっていろいろマーケティング的な理由が言われるけど結局傲慢さのあらわれじゃねってことです。まあ線引きは難しい問題でもありますが。

 少なくとも「差別から救ってあげよう」といって、被差別当事者を差し置いて差別の実行側である人間がヒーローになっちゃうのはだいぶ危ういわけです。

 で、ワンピース魚人島編は明確にヒーローという言葉を使います。アホなのか……。

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 また、ルフィが出自においてだいぶ得をしている描写が多いこともここでは問題ですね。ただの捨て子に見えたルフィは、実は海軍中将の孫で伝説の革命家の息子で、義兄は海賊王の実子で白ひげ海賊団のNo.2でしかもDの意志なるものを持っていて…ということがそれまでに明かされます。そして血縁者のつながりでいろいろ助けられる。それ自体は物語あるある(貴種流離)なのでいいのですが、この魚人島編では血統的に恵まれたエリートが白い救世主になる話として機能してしまった感がある。

 

 これを世界中の子供が読んで何を読み取れというのだろう。差別に遭っている弱者は強者のなかから優しいヒーローが現れるのを待てとでもいうのでしょうか。

 また、魚人島編のエピローグ的な挿話において、「今までのような争いを繰り返さないように子供達にはひどいことを伝えないようにしよう」という話に落ち着くのもだいぶ危ういですね。ガキの喧嘩じゃないんだぞ。まあ過去になにがあったのか読者もよくわからないので詳しいことは言えないのですが。

 

 また、所感としてはルフィというキャラがめちゃくちゃ頼りなかったですね。おととし「プロメア」を見たときも思ったけど熱血主人公を差別と闘わせるすべをまだ日本のポップカルチャーは知らないのだろうか。


総括

  実は読む前に「魚人島編というところでは差別を描いてあまりうまくいかなかった」的な話を聞いていたので、あまり期待せずに読んでいたのですが、それでも大変ガッカリしてしまうくらいに残念でした。

 今までの様式に終わらないことにいろいろ挑戦してことごとく失敗したという感じでしたが、その攻めの姿勢じたいはなかなかすごいなと思います。続きが気になるので漫喫とかいこうかな。

 あとステレオタイプなオカマキャラもだいぶきつかった。オカマはブスでアクが強いけど根は男らしい強さをもったいいやつ…という書き方はマジカルニグロと呼ばれる問題の一種で、ルフィの白い救世主的問題と表裏一体でもあるのだがそこまでは書くつもりはない。

 

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