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親に過去の暴力を謝らせた-経緯と方法

 あんまり自分のザコい過去とか語りたくないのですが、公益性がありそうなので書き残しておきます。

 僕は小学生~高校1年生くらいまで、忘れものとか失くしものとか、塾の勉強ができないとかを理由として身体的および間接的な暴力を母親に受けてきました。
今日それを親に謝らせることに成功しました。覆水は盆に返りはしないものの、自分の中の傷がある程度救われたような気がします。
 もし同じように幼少期の傷をもった人がいれば、例として見て参考になるかもしれません。ただしょせん一例にすぎませんからみんなに当てはまるとは全く思いません。なので最後に今回ことを運ばせるために参考にしたものをいろいろ紹介します。
 あと内容は結構詳細に書きました。人によってはご自身のトラウマを引っ張り出されちゃうかもですのでご注意したまへ。


 2020年8月26日

 とりあえず今日の話。「体罰や暴力的な扱いはいけなかったと思います」と僕が切り出した時点で「その時は知識がなかった」とか言われました。つまりほとんど陥落寸前だったんですが、それでも謝るそぶりはかけらも見せなかった。
「過去にひどいことをしたと思っているなら、人として相手に言うことがあるのではないか」という趣旨のことを言ったところ、母は
「ぜんぶ私が悪かったっていうのね?」とか「土下座すればいいの?」とかといろいろとみじめな逆ギレの言い訳を繰り広げはじめてしまいました。
それをすべて論理的に否定して、「逃げないで自分の過去と向き合わないといけないんじゃないですか」と私が言う。
そうすることでようやく
「ごめんなさい」という言葉を引き出せました。そのあとは当時自分が私に対してどう思っていたかなどをいろいろ話してくれました。まあちょっと言い訳がましいなと思ったけど、それなりに素直になれているようなのでまあいいかとおもった。



 下準備

 重要なのはこの今日に至るまでのこれまでの半年くらいのフェイズで、親の過去のつらかった話を聞いてあげたことが最重要な工程だったように思います。

 母は父親(つまり私の祖父)に暴力を受けていたそうで、ボケ老人になるまでちゃんとしたコミュニケーションをとれなかったそうです。
母の母親(私の祖母)も父親の暴力の対象だったが、母のことを守ってはくれなかったそうです。

そうした話を聞いて、「色んな傷を負っていたんだね」とわかってあげることが非常に重要だったと思います。
なんで加害者のお気持ちに被害者が歩み寄らなきゃいけないんだ!って気持ちも正直ありますが、彼女(母)はそうやってわかってくれる人間がまわりにいなかったんだと、憐憫の気持ちと暴力の連鎖を止める気持ちで向き合いましょう。
(とはいえ人によって被害状況はピンキリで、「加害者(親)に対して絶対にそんな態度で接せられない」という人もいるかと思います。)

 で、ここではまだ自分の被害を訴えたり、やんわりにおわせたりしてはたぶんいけません。人間は過去の傷にちゃんと向き合えないと、過去の自分の罪にも気づけません。
そして、よほどの人でなければ、傷とむきあううちに自分の罪にも徐々に気づいていくはずです。俺の母はよほどの人ではなかったらしい。

 で、あまり急がずに親と会話していって、いい環境のときに、親から自分への暴力の話を……できたらいいのでしょうが、私はそうできませんでした。
 自分の扱いについていろいろ会話しているなかで
 「今までいっぱいあんたのこといっぱい大事にフォローしてきただろ」みたいに言われて、刃牙の末藤なみに冷めながらブチぎれてしまった(負けそう)私は
「忘れているのかもしれませんが、こどものころ、なにか問題があっても話を聞いたりせずに叩いたり、数時間板の間に正座させたりしていたことを僕は忘れていませんよ」と言ってしまった。それでやや喧嘩腰になってしまった。
そっからの流れは最初に書いた感じ。


 被害の詳細

 私の被害の詳細とそれが終わるまでの流れを書きます。現在進行形で明確な加害が行わている場合はまず終わらせないといけませんから。
 周りの苦境に育った人の話を聞くと自分はまだマシだったのか…と思う程度なのですが、もしこの被害詳細を読んで「自分に比べたら全然カスみたいな被害だなあ」と思った場合、謝ってもらうとかいうレベルじゃなくて、刑事告訴や民事訴訟の対象である可能性があります。日本では児童虐待にも時効がありますが、やりようが無いわけではないらしいので調べてみてください。

 まず直接暴力。頬のビンタとか尻とかがよく叩かれた気がします。青あざになるほどなぐられたのは多分一回だけだと思いますから、世の中の虐待問題に比べればだいぶ軽い方だったと思います。
8-9歳くらいのときに玄関でどつかれて文字通り吹っ飛ばされたことがあっりました。そしたらそのあと血相変えて「大丈夫?」って心配されたとき、はじめて他者を気持ち悪いと感じました。とはいえ理性が残っている点でまあ救いがあったように思います。まあ理性的に暴力ふるっているともいえるが。
 つぎに間接的な暴力。数時間正座させられたり、謝罪文をいっぱい書かされたり、家から締め出されたり、そして自己肯定感をそぐ言葉。これが主だし、自分の心に翳を落としたのは基本こっち。
陰湿な親から陰湿なこども(私)ができたんだなあ。つらさで思い出せないだけでもっといろいろあったような気がする。
小学生6年のころ中学受験用の塾に入れられていたのですが、終わりが10時とかで、帰りになにかの言葉かなにかをとがめられて、家に帰ったあと、結局日付が変わるまで詰問されたのをおぼろげに覚えています。翌日の小学校が死ぬほど眠かった。

 あとは言葉の暴力。そんなにないけど、間接攻撃にたまに混ぜられると効果的な彩り野菜。あと数年前に母親が同性愛者に対して差別的なことを言ったのを聞いたときゲロ吐きそうになった(そのとき僕はすでに性倒錯者だった)。



 加害の終わりとその要因


 こうした行為が終わったのは高校1-2年生のとき。考えられる要因は
①私が身体的に成長したこと。(高校1年)
②私がレスバトル能力を持ったこと。(高校2年~)
③母が病院で働きだして、「体罰はいけない」などの常識を獲得したこと。(高校3年)

 ①身体的な能力が逆転したことで殴られづらくなったということはどう考えなおしても事実で、本質的なところとまったく関係ないところで”解決”してしまったという恐ろしさをいまさら感じている。当時の私は最近テストの結果悪くても殴られなくていいな~と無邪気に思っていた。
 私の場合はなんも考えずにすんじゃったけど、加害の主体が男性だったり、被害者が女性だったりで成長による解消が見込めない場合の対応策は、僕のような無識者が語ることじゃないと思いますからここでは置いておかせてください。

 ②レスバトル能力によって母の陰湿な言葉を全否定して返す刀で追い込むことができるようになり、それは最終的に加害の終焉をもたらしました。レスバトルとは議論とか討論とか呼ばれるもののうち、ネット上で行われる最低レベルの戦いのことを言います。

これは2ちゃんねる(とtwitter)で身に着けたものです。僕は中2から2ちゃんのvipとかにハマるのですが、数年たって嫌儲とニュー速+でネット右翼とレスバトルするのが趣味の陰湿左翼高校生になりはてていました。恥ずかし~(ちなみに今も左翼です)。
だが皮肉なことにそんな悪趣味によって、相手にレスを引き出させつつ、話の主導権を握るというレスバトル能力を獲得してしまいました。

 その能力を現実の会話でも使えると気づき、今までやられっぱなしだった母親の発言を全力で論破(世界一恥ずかしい言葉)するようになりました。マジで恥ずかしいことだけど、これが親子のパワーバランスを明確に変えて、今日にいたるまでの橋頭保を開いたことは残念ながら事実です。
  これをもってみんなもレスバトル能力を身につけよう!と言う気はないですが、なにかしら理論武装をしたりして相手に言いくるめられない能力が必要だと思います。
 なにせ相手(親)はこちらをなめているから加害するのです。だって、友達や同僚にたいしては加害しないでしょ。すべての咎人は相手を選んで攻撃しています。なんでもいいからデフォの舐められ状態を解除しないといけないのではないかと私は考えています。
ちなみにレスバトルは自分が橋本徹のtwitterとおなじ戦法をやっていることに気づいてから辞めました……。いまは多分建設的な議論ができるはずです。コワガラナイデ……。

 ③母が病院で働きだして、「体罰はいけない」などの常識を獲得したこと、は最近わかったことだし自分のことじゃないからよくわからないです。

が、今考えてみれば僥倖と言わざるを得ない。悔しいがこれがなかったらこんな風にうまく謝罪に持っていくことはできなかったような感じがします。
 だからもし、あなたの親が体罰していたのに「体罰はいけなかったんだなあ」と思ってもいない場合、まずその常識を教育してやる必要があります。が、そのやり方は僕にはわからないし、そもそもそれはどう見ても子供の努力目標を越えた戦いなのでリスク管理はご自分の裁量と責任で……(すみません)。

要点をまとめるとこんな感じです。

Ⅰ.親が自分の傷に気づけるようにする
Ⅱ.親が自分の傷と自分が子に与えた傷の相関に気づく
Ⅲ.親が子供に対して真摯に向き合えるようになる
Ⅳ.親が子供に謝る機会を与える

ここに0として「親が常識を得る」が入るのかもしれません。
Ⅲについて補足すると、僕の場合は親の言葉に反駁することができるようになったことがもっとも該当するかと思いますが、最終的に親の人格や理性がどれくらいあるかという点にゆだねられてしまう課題があります。



 自分の罪

 これまで、私は「被害者」の視点で語ってきましたが、私の母が自分の傷を私にコピペしていたように、幼少期の私は小学校で人をいじめていました。母と同じく陰湿な方法でいじめてました。だから私はすでにそうした暴力の連鎖を起こした加害者の側で、しかも小学校の同級生の方々との関わりはもう無いので謝って許しを乞うこともできないようになってしまった。消えない罪をせおって生きていくしかないのでしょう……。
 そういう人間にとっては自分の罪を見据える上で親に謝らせたことは重要でした。みじめに言い逃れをする姿も、あやまるあわれな姿も全部自分の鏡像としか思えず、この気色悪い形態が私の罪の実相なんだとわかった。 
 あとは自分もかつて加害を加えた相手に対してなんとか許しを乞うことができればいいのですが……。  

 今回参考になった作品

 坂上香監督のドキュメンタリー作品
 「犯罪を犯した人が自分の傷を見つけることで自分の犯した罪と向き合えるようになる」というプログラムを刑務所で行って、その様子を映画にしている活動をしている方。
 要するに今回のぼくの試みはこれの家庭版ということですね。
 もし今回の記事を読んで面白いと思った方は坂上監督の作品を見てほしいです。
 最新作の『プリズン・サークル』が公開中なのですが、コロナのごたごたとかでまだ見に行けてません。来月見に行きます。

 インタビュー記事

宮口幸治『ケーキの切れない非行少年たち』

 ネットでも話題を呼んだ親書。この本から学んだことは要するに、「学が無いから想像力が欠けて、暴力にはしる」ってことです。
 この本で対象となっている非行少年たちは知的障害や重い学習障害による生きづらさから暴力に向かった人たちですが、メカニズムとしてはみんな同じだろうということだと思います。一般的な生活をするうえでのすりこみはできても、他者の気持ちを想像したり他者を尊重したりする想像力を得るための学習を欠いてきたから、子供や同級生などに不当な暴力を与えてしまうのだろう。

 富野由悠季作品
 
オタクくんここでもアニメの話になるの……って思われそうだけどこれはマジなんで!『伝説巨神イデオン』には父親や社会に重圧をかけられて生きてきた結果、その苦しみのはけ口として戦争の激化に深く加担してしまう女性(ハルル)が出てきたりするのですが、富野作品ではそうした「自分の欠けたもののために暴力にたよる」という存在がドライに描かれるんですよ。それを見ているうちに人間を客観的にみられるようになった気がします。

 僕はいじめをやったことが小学校低学年のころ先生や親にバレたんですけど、「いじめはいけない」という前提で怒られたので結局なんでいじめがいけないのか理解できなくて、そのあともいじめを別の人にしました。だからそんな倫理のないクソゴミウンコガキだった私ですが、中学生になってZガンダムとか見て、ようやく他者への想像力が湧き出したようなところがあります。で、この間『∀ガンダム』を見直したら憎悪にとらわれた人間たちがなんとか折り合いつけて生きていく様子が描かれていて、こうやって融和してえなあと思えたんですよ。

 だから、もし幼少期にちゃんとした倫理や常識をそなえられなかった歪んだ人間でもアニメで成長できるし世の中希望はあるぞ!ってことです。

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おわりに**

いま書けるのはこんなところでしょうか。またいろいろ考えることがあったらまた書きます。
そういえばこの文章中に父親が出なかったことを疑問に思われるかもしれませんが、父親は帰りが遅く小学校のころは土日以外接点がなく、高学年以降はなぜか土日などでもおたがい事務連絡以外の会話をしないようになっていて、それは10年経った今も変わっていません。ということで母に謝らせた程度じゃ終わらないうちの歪んだ家庭はこれから一体どうなるのか!?

にょ