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ドキュメンタリー『アリ地獄天国』の感想

 ドキュメンタリー映画『アリ地獄天国』を見ました。


 アリさんマークの引越社の、アリ地獄とあだ名される社員搾取システムに反発して懲罰人事を受けた社員の労働闘争を追ったドキュメンタリー。
 アリさんマークの引越社にはありえないような社則があり、社員をこきつかっているが、それで反発されるのを防ぐため、社員同士で遊んだりしてはいけないことになっていて、むしろそれを発見報告したら報奨金を与えるという監視システムをとっている。そんななか、過労の結果事故を起こした社員、西村さん(仮名)に事故の弁償(しかも査定をしていない、ぼったくり価格)が会社から命じられる。そのおかしさに気づいた西村さんがユニオン(個人でも入れる労働組合)に入って異議申し立てをすると、なんと一日中シュレッダーを行う仕事に配転されてしまう。それからユニオンに入った西村さんとアリさんマークの戦いが広がっていく…という話。カメラはシュレッダー係になってからの展開に密着する。

 ユニオンに入って戦うことで西村さん自身が変化していくのがおもしろかった。最初にシュレッダー係として働きに行く様子がちょっと劇映画的にじっくり撮られるのだが、そういう物語性を感じさせるカット割りも、この映画にはあっていたかなぁと思う。監督が人の輪の中にいる主観性も追体験するようでよかった。

 ただ一つ思ったことがある。途中、アリさんマークの引越社のおそるべき差別があきらかになる。管理職への指導のなかで、人事において採用してはいけない人間として、労働法に詳しい人間、パンチドランカーなどと並んで、三国人(朝鮮、台湾人に対する蔑称)、四つ(被差別部落民に対する蔑称)が挙げられていたのだ。

 このyoutube動画の「Aさん」が西村さんで、この動画部分も映画にほぼノーカットで含まれていた。

 西村さんはこのことについて「知らなかった」「三国人ってどういう意味か質問はしなかったが強調された」と言っている。しかしそのあとのほかの元社員への聞き取りのなかで「知らないと上層部の人間に”指導”される」「先に教えておくのが慣例だった」といったことが言われる。西村さんは一時管理職として働いていて、このメモもその管理職になるときにとったものである。ならば西村さんもその差別の意味を知って、加担していたのではないか。管理職として働いた期間は長くはないようなので、実際に差別的人事を執行したかはわからないが、意味も何も知らなかったというのは嘘くさい。

 また、西村さんは懲罰人事さきの追い出し部屋で「北朝鮮人は帰れ!」みたいな張り紙がなされる。ネット右翼の中でさえド低能と思える煽りだが、それが蔑視非難の表明だとアリさんマークのなかでは了解が取れていたということになる。

 だが、西村さんが差別を加担する側にいたかは語られない、監督から質問もしない。元社員も「上層部が言っているだけで僕らが朝鮮半島の人にどうこうするわけではない」と言いつつも「とりたくてもとれなかった」と差別人事に加担していたことを口にするが、それも追及されない。

 自分に差別意識があろうがなかろうが、それを鵜呑みにして実行した時点で差別の実行者になっていたってことが見過ごされている!

 差別はいつだってそうだ。差別意識を持った人間だけで組織的差別が行われることはそうそう無い。それに無思考で従う人、その差別で得をする人、そうした「悪人でない」人間の協力のもと、組織的な暴力が完遂される。ホロコーストもアパルトヘイトも、関東大震災の虐殺も、みんなそうだった。

 そこに踏み込めなかったのは監督の願望ではないだろうか。さいしょに監督の友人が派遣社員として労働していた先で、過労といじめで自殺したことが語られ、それが映画を撮るきっかけになったことが明確に語られる。
 友人の死に報いるために映画を撮るのは私が言うまでもなく高潔で、普通できない決意だ。だが、それゆえにメインキャストである西村さんが差別暴力の加担側にいたことを掘り下げることができなかったのではないか。環境によって変化して、暴力の加担者になってしまう脆弱な人間であることよりも、不当なブラック企業と戦う戦士として撮りたくなったのではないか。

 それがひとつ残念だったが、面白い映画でした。

追記)監督の土屋トカチさんからTwitterで返事をいただいた。私が指摘した批判点を肯定するような形で、恐縮したが、そのときの動揺を映画に残したことがまず凄いことだったのだと思った。批判に対して低姿勢で受け応えることもやはり並大抵の人ではできないなと思った。

 

にょ