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生きづらさを感じているあなたへ

お久しぶりですばっし〜です。
SNSを断ち切ってから、1ヶ月ほどが経ちました。
仕事が忙しくなったとき心配してくださった方々、SNSを断ち切った後DMまでしてくださった皆さんありがとうございました。
そして、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。

SNSを断ち切った理由も後々書こうと思いますが、2月に入ってからいろんなことがありました。

・クリエイターが2人在籍の会社で1人が突然辞め、独りになりタスクがいっぱいになったこと。
・責任感という呪いを自分にかけ続け、適応障害になったこと。
・自分はHSP(ハイリー・センティシブ・パーソン)の気質を持っていること。

困難が重なって辛い思いはしましたが、その分たくさん悩み、自分自身と向き合い、これからの人生をどう歩んでいくかを考えるきっかにもなりました。
今回のnoteは、今までの経験談と内省して得た知見を復帰宣言に代えて、書くことにしました。

事前情報として、僕は半年前、自分の好きを仕事にするために管理栄養士の仕事から動画制作会社に転職しました。
ものづくりをメインとするオンラインサロンでもよく活動しています。

では本題に入ります。
時を遡ること今年の1月下旬。
会社から同僚がいなくなりました。びっくりしました。おいおいおいって突っ込みたくなりましたが、突っ込む相手はすでにいませんでした。(実際、会社の忘年会で漫才をするくらい仲は良かったんです、、)

別れのタイミングはその人にしかわからない事情があると思うので、何も言えませんが、話を聞いてくれていたキーパーソンとの別れということもあって、深く落ち込みました。
こういうことって、周囲に話さないにしても、深く落ち込んでいる自分というのを自分でわかってあげるということは大事なんですね。

そういう出来事があり、職場とプライベートの環境が一変しました。

プライベートがほぼなくなったようなものなので、仕事へのモチベーションの上がり方がハンパじゃなかった。
どこかで燃え尽きるかもと感じていましたが、自分で自分を止めれない感じ。

ほぼ毎日SNSに動画を投稿しているメディアを今年から始めていたため、コンテンツを切らすわけにはいかなかったから2人分の仕事をこなさないといけないと思ってたんです。焦る気持ちは日々募っていきました。

同僚がやめて、パニック状態でずっと残業していた時、もう定時で帰っていいからと声をかけてくれた上司。それまではお酒を飲まないと寝られず、ずっとハイテンションな状態になっていたので、あの声かけがなければ、精神的な状態はもっとひどくなっていたかもしれません。

そして、上司から任された仕事はちゃんとやらないといけない。クリエイターは1人しかいないから、自分ができることは全部やろうと責任感が前面に出ていました。
上司もサービスの立ち上げ時期から自分がいたこともあり、信用してくださっていました。
人数がいないということも踏まえると仕方ないのですが、頼まれる仕事はやらないといけないものばかり。キャパを超えていても断れない仕事で溢れいました。
自分の中では周囲の人にも頼っているつもりでしたが、四方八方から名前を呼ばれる状況にいつしか追い込まれるようになり、

「石橋さん、石橋、石橋くん、石橋くん、石橋さん、石橋、石橋さん、石橋、石橋くん、石橋さん、石橋くん、石橋さん、石橋さん、石橋、石橋さん、石橋、石橋、石橋さん、石橋さん、石橋くん、石橋、石橋さん、石橋くん、石橋さん、石橋さん、石橋、石橋さん、石橋、石橋、石橋さん、石橋さん、石橋くん、石橋」

もうやめてくれ。

そう感じた瞬間に、ダメだ。人と関わるのがしんどい。
張り詰めていた糸が切れてしまいました。

そして、可能な限りSNSを断ちました。
仕事に行っても拍子抜けしたみたいな感じで、ただただ仕事が溜まっていくばかり。身体には異常がないのに精神的に不健康な状態ってこういうことなんだなと今になっては思います。

こんなにも人に会いたくないと思うのはやばいのかな。もうこれから人に会いたいと思えないのかな。もしかして鬱なのかな、、と思い始め、不安が募っていったので病院へ行くことに。そこで診断されたのが「適応障害」でした。

幸いにも、うつ病はなかったので、これからのあなた次第で悪化するかもしれないし、乗り越えて回復するかもしれないとドクターからは言われました。

翌日会社に行って相談し、1週間ほど休むことを提案されたので、撮影のスケジュールに支障をきたさない範囲でお休みをもらいました。

一時的な対応なのは、十分理解していたし、また仕事が再開したら調子が悪くなるかもしれない不安もありました。
でも、こんな時でも意外とポジティブだったんですよね。なったものはしょうがない。これからまたみんなに会いたいと心の底から思えるように、できることをしようと思いました。

適応障害について調べてみたり、これまでどういう経緯で精神的にしんどくなったのか、生活習慣のどこを変えたらよくなりそうか。
やらなければならないことを浴び続けていたから、自分が一番にしたいことをする。など

自分ができるだけ、リラックスして過ごせるように考えていきました。
転職してからほとんどしていなかった自炊をしたり、ネットの声を聞かないようにしていました。

そこからの気づきもたくさんあって。

自分のやりたいことを優先的にやるって慣れてないと意外と難しいんだなって思ったり。

ネットの声を聞きすぎると、本当に自分がしたいことって考えられないんだなって気づいたり。

心の健康ってめちゃくちゃ大事だなって思ったり。

量!量!量!ってめちゃくちゃがんばるときも、時には必要かもしれないけれど、ずっとは続かない。
今までの生き方を肯定しつつ、これからどう生きていこうかとたくさん考えました。

そして、この出来事がきっかけでHSP(ハイリー・センティシブ・パーソン)という気質を僕自身が持っているということを知りました。
日本の人口の約5人に1人がこの気質を持っています。B型と一緒くらいですね。病気ではありません。生まれもっている気質です。

周りのことが見えすぎたり、繊細に深く物事を考える癖を持っています。それ故に生きづらさを感じる人も少なくないはず。

・感受性が強いが故に些細なことで傷つく
・人と会うとたくさんのパワーを使い疲れる
・他人の気分に左右されやすい

でもメリットもあって

・相手の表情を敏感に感じ取れる。
・目の前の出来事の行く先を予測してリスクヘッジを瞬時に行う
・些細な出来事でも深く感動できる

HSPという気質を知ってから、今まで生きてきて感じてきた違和感を言語化できた気がしました。これは自分にとって大きいなって思います。
今回の経験も今までしてきた経験からもすぐに理解することができました。

そして、今まで僕は僕自身のことがすごく嫌いでした。

「男なのになんでこんなにも繊細なの。女みたい。」
「小さいことを気にして、男なんだからもう少し堂々としていなさい。」
「なんで競争なのに勝つ気がないんだ」
「お前は繊細だし弱い」

幼少期の頃に特に言われてきた言葉たち。自分はそういうものなんだと思い込んでいました。

でも僕の性格を言語化されたことによって、繊細な自分も、気にしすぎることも、そういうもんなんだと、自分を認めることができました。
そして、時には長所にもなることを心の底から理解できました。

5人に1人の割合でいるから、周囲にもわかる人がいるはず。
少しでもこういう人がいるんだと思ってもらえたらいいかな。

3月中旬から仕事に復帰し、新しい仲間もジョインしたので、また新しい環境になった職場で仕事を続けています。
クリエイターが増えてコミュニティになったので、オンラインサロンで培った自分の強みも活かせているなと感じています。

仕事の忙しさとか、大変さは相変わらずだけど、なんだか前を向いて生きていけそうです。

やっとオンラインサロンも復帰できそうかな。無理をしない範囲でみんなに力を借りながら、盛り上げていきたいと思っています。

今回は長いトンネルでした。1ヶ月前はもう抜けられないかもと思っていたけど、やっぱり生きるからには前向きに生きたい。
でも文章を書いている時はオンリーワンの経験ができてラッキーとか思っているので、やっぱり自分で自分のことがまだよくわかっていないのかもしれません。笑

やっぱ心も身体も健康でいるのが一番ですね〜〜

最後まで読んでいただきありがとうございました。
まだまだ日本も大変な時期が続きそうですが、これからまた笑顔でがんばっていきたいと思います!

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