優しい世界
家族にしろ、生徒にしろ、先輩にしろ、恋人にしろ「人に動きを求める」ことってたくさんあると思う。
例えば、
・洗濯物をたたんで置いて
・次までにここの予習をしてみておいて
・資料を貸してもらう
・バレンタインのチョコを作ってもらう、クリスマスプレゼントを交換する
とか色々。
こうやった自分の必要なものを得たり、コミュニケーションの1つとしてとったりする。
やってもらえればそれはOKだけれども、ここでもし、それらをしてもらえなかった場合どうなるかというと、悲しさや多くの場合人は怒りが湧いてくると思う。
でもその前にいくつか気づいておいた方がいいことがある。それは
1、自分を大切にしてもらっていると感じたかった
2、本当にその内容をしてほしかった
この2点。長くなってしまうので簡単に説明するけど
1の場合、その旨をちゃんと言葉にして説明したことが無い場合が多い。
僕にも身に覚えがないわけではないが、俗に言う構ってちゃんだったり察してちゃんと言われるやつだ。
だから相手が自分の言うことを聞いてくれるか、言ってもないのにこちらの欲求や欲望を感じ取って行動に移してくれるか、そこに愛情を求めてしまう。
特別なことじゃない、誰にでもありえることだ。
でももし大人になって、言葉が使えるようになったのであればちゃんと
「言葉にする」
方が手っ取り早いし、こちらの意思が伝わりやすい
構ってちゃんや察してちゃんが発動した場合、もしとある要望をLv.1とした場合、その1が万が一誰かの優しさやお節介で通ってしまった場合Lv.2, 3,4と察してほしい内容が膨らんでいく
するとそのうち誰からも相手にされなくなっていくが、自分的には無意識なので気づけず泥沼だ。
そしてもう1つ、自分の価値を見出すためではなく、その内容を本当に誰かにして欲しかった場合
これはビジネスにも通じる話で僕も今修行中だけれども、誰かに何かをしてもらうのに早い順で言うと(頼む相手にもよるけど)
1、お金
2、信頼関係
3、弱みを握る
こんな感じであろう。自動販売機に語りかけ、缶ジュースを出さないのであれば電源を抜くぞ!と脅しても缶ジュースをださないのと一緒でお金さえ払えばその金額に応じて世の中は質や仕上がり速度が早い受注をしてもらえる。
お金は鉄壁で当たり前すぎるし、3番は論外だとしてここでは2番の信頼関係を書く。
仲間や友人、家族に何かを頼み、達成を待つ。ここで仕上がりがだいぶ遅れたとする。そうするとどうであろうか、大丈夫かな?終わったかな?今どんな感じ?とそわそわするし、結果的に不達成になったりするかもしれない。
そうした場合さっきの1、自分を大切にされていないように感じて悲しさや怒りが湧くであろう。
でもそれは違う
相手にその頼みを「やってやってもいいかな」と思ってもらえるような環境を用意しなかった自分が悪い。
僕自身何度もそういう痛い目に遭ってきてずっと考えてきた、時には相手のせいにもしたこともあったけど、それは間違いだった
相手に頼んだことを相手自身が「やりたい!」と思えるように配慮することが必要である。更に言えば「相手にとって得になる部分がある」とちゃんとメリットもわかりやすく提示してわかってもらわなければならない。
相手が動いてくださらない=こちらが徹底してできていないということだ。
・わかりにくい言葉や仕組みで説明をしていないか
・やる気になってもらえるような話はしたか
・その人じゃなきゃダメな理由はあるのか
・今本当に必要な事なのか
・etc
できることは様々あるけれど、やってもらえないのを相手のせいにするのは簡単だ。でもやってもらえたらこちらが大いに助かるのであれば「やってもらえるようにこちらが工夫すること」が大切だ。
つまり相手の優しさだけに甘えるのではなく、相手への優しさなくして達成はありえないのである。
またやってもらえないのを相手のせいにする前に、その人を選んだのも自分だということを忘れてはならない。
自分で選んで、頼んでおいて、やってもらえないからと悲しんだり怒ったりしているのは時間の無駄だ。やってもらえるよう工夫をするか、他の人に頼む方が自分の目標に近づくには早い、そんな気がする。
やってもらえるのが当たり前だなんて思いやすいけれど、世界は本当はいろんな人の愛や努力で回っている。ありがたいよね。
くれぐれもだけれど、誰かを貶めたりしたくて書いているわけではなく、自分の失敗談、成功体験を元に書いている。
ご読了ありがとうございました。
Japan United Brass Project
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