現実的に傷ついてこそ人生

 最近傷ついた経験が二つある。休職と失恋だ。


 まず、休職について。
 つい先日、ふと思い立って最近連絡を取っていなかった学生時代の友人にLINEをしてみた。彼は自分と同じ「労働嫌派」でありなんとなくシンパシーを感じていたので、久しぶりにLINEをして傷を舐め合おうと思ったのだ。何回かラリーをした後、彼に聞く。

「仕事どう?やっぱり大変?」

 色々とネガティブな返答を予想していたのだが、意外にも返答はポジティブなものだった。

「確かに大変だけど、こういう楽しいこともあって充実している」的な返答だ。

正直、面食らってしまった。文面だけ取り繕ってるだけかもしれないが、勝手ながら同志だと思っていただけに、彼が前向きに働けていることに驚いてしまった。(同じように辛く働いてるだろう、という考えがまず失礼)
 結局人は人、自分は自分、ということはわかっているのだが、似ていると思っていた友人が頑張っている事実に少し怯んでしまった。同じタイプなのに頑張ってる彼と休職している自分、という比較をしてしまい「彼が頑張れてるなら自分だって頑張って働けるはずじゃん」といういらん想像をしてしまい自己嫌悪になった。


 休職に関して傷ついたことがもう一つある。
 お金を借りたことだ。

 休職してからずっと金銭的な不安がなくならず、傷病手当金の申請をしたものの、結局生活費の援助が必要な状況まできてしまった。

 お金を借りられるであろう人に相談してお金を借りる。
 いや〜情けない。

 社会人になってからお金を借りることなんてまずないと思っていたので、かなり情けなくなった。むしろ、大人になってからお金を借りる人を少し軽蔑すらしていたので、自分はお金を借りるような人間なんだと余計つらくかった。(お金を借りる人の背景は様々なので、そこを汲み取ろうとしないこの考えはあまりよくないと思う)

 休職関連で「友人との比較」「お金を借りる自分」で傷ついた。


 次に失恋について。
 休職中にすべきことでは絶対ないが、気になる人にアタックした。そしてフラれた。

 正直、「友人との比較」「お金を借りる自分」なんかよりもこっちの方が応えた。元々学生時代に好きになり、そこから連絡を取っていなく、最近アタックしてフラれたという流れなのだが、好きな人からフラれることってだいぶつらいことなのだと実感した。
 恋愛や異性に関係なく、これまでの人生では「自分が関わりたいと思った人」とはほとんど仲良くなれていた。小中高大と、この人とは気が合うなと思った人には自ら話しかけにいって仲良くなり、全員今でも関係を続けている。数自体は少ないが全員心の許せる人達だ。

 しかし、今回の失恋を通して人生でちゃんと「関わりたい人と関われない」経験をした。とても悲しい。「関わりたい人と関われない人生ってなんの意味があるんだろう」と人生を考えるレベルで虚しくなった。
 よく考えれば、就活で第一志望の会社に受からない人がいるように、人間関係でも関わりたくても関われない人がいるのは当然なのだが、それでも初めての経験だったのでつらかった。



 そういった経験が最近あった。一つ一つかなりダメージが大きかったのだが、一連の経験を通して気づきもあった。「現実的に傷ついてこそ成長できる」ということだ。

 休職を「より自分らしく生きるための準備期間」と捉えられるようになってきたのと同じように、つらいことや失敗、後悔を感じる経験も、捉え方次第では「成長できるチャンス」になるのではないかと思う。
 先ほどの知り合いとの比較も、「比較してつらかった経験」ではなく、見方次第では「自分軸こそ重要である」という学びがあった経験ともいえる。お金を借りて情けなくなった経験も、考え方次第では「お金の重要性をより感じれた経験」である。失恋も、次はフラれまいと見た目や内面を磨くいい機会だ。

 この気づきを機に、休職した原因の一つでもある完璧主義な性格ときちんと向き合うべきなのかもしれない。ゼロヒャクの考えではなく、失敗や後悔こそ「より自分らしく生きるためのチャンス」と捉えられれば、これからの人生をより楽しく生きられるような気がする。
 いきなり全部を前向きに捉えるのは無理があるが、少しずつ物事をポジティブに考えられるようにしたい。


(目の前のことに一喜一憂する自分も今は肯定したい、というかその部分を残した方が人間味があっていいように思う)


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