ネット社会における"コミュ力"の正体
とある人がfaceboookで有名人に会った投稿を写真付きでポストしてたんです。
コメント欄を見たら「え!すごい!」とか「めっちゃ羨ましい!」というコメントで溢れていたんですが、その中に紛れて
「その方、僕もこの前会いました!」
って言ってた人がいたんです。
いや・・・それ言わんでええやん・・・
なんで相手を気持ち良くさせてあげられないの・・・
SNSで有名人と会った写真をあげる人のニーズなんて「羨ましいと思われたい」一択じゃないですか。
というかSNSそのものが承認欲求の塊じゃないですか。
とことん人のニーズってなんだろう?って常にアンテナ張らないとミスったコミュニケーションになってしまうし、オジサン化してくるんだろうなあと思いました。
さて、今日はそんなコミュニケーションについてのお話がしたいと思います。
ちなみに「コミュ力」って聞いた時にどんなもの想像します?
2017年にノコノコ広島の田舎から東京に出てきた僕からすると、
コミュ力=対面でのコミュニケーションの上手さだと定義していて、
例えば、グラスが空いてたら店員さんを呼ぶとか色んな人が参加するとか
大勢の場で話せない人がいないように振る舞うとか誰にでも親しげに話せるとかそう言ったことだと思っていました。
けど、Xやnoteをほぼ毎日投稿してて「あれ?現代のコミュ力ってほぼ"文章力"じゃね?」って思ったんです。
コロナでほぼリモートワークに移行した僕にとって、仕事上もslackでのやり取りがメインになりましたし、人とのやりとりもネット上の方が多くなりました。
対面の「言葉」とネット上の「言葉」の扱い方は似てるようで全然違うものがあって、
例えば最近ニュースになったのが文章の最後に「。(読点)」をつけると怒ってるように見えるよねというマルハラスメントというのがあるそうです。(しってた?)
ネット慣れしてない人からすると「え?まじすか?」案件だと思うんですけど、これ僕めっちゃわかるんです。
「。」の付け方って文章の後につけるの当たり前って思ってる人とか、
こういう文化になってることを知らない人とかからすると、知らないうちに怖い人認定されちゃってるのめっちゃ恐ろしくないっすかw
つまり、コミュ力の定義がネット社会寄りになって変わってきつつあって、リアルとネットだとコミュニケーションのお作法が違うんです。
ちなみにちょっと逸れちゃうんですが、結構な確率でこの人やばいなーと思う人はテキスト上のやり取りが気持ち悪いです。文章に違和感あります。(村上調べ)
例えば、、
一文が長い(4-5行ある時点でちょっと危険)
改行が変(ニュアンス)
文章と文章の間に半角スペースとか入れてる
〜です。〜です。〜です。(小学生作文かよ)
「、」がやたら一文に多い
ですます調、だ・である調が一文に混ざってる
こんにち「わ」
最後はちょっと違うかもしれないけど、いません?なんか引っかかる文章の人。
ネットのお作法は正直どこで勉強するも教えてくれるもないので、普段からネット喋りが上手い人を見るしかありません。
それもひっくるめて「言葉」というものをうまく扱えるようになると人間関係が気持ち良くなって生きやすい環境づくりができるんだろうなあと思っています。
今日は以上でーす!
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