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『般若の穴 3』

『般若の穴』 ❸


「これ擬宝珠って言うんだけど、なんでこんな形か知ってる?」
擬宝珠を見ながら僕は彼女に尋ねた。僕達は大原に来ているのだった。僕は京都の観光名所の中で大原が一番気に入っていて、前から彼女と一緒に来ようと思っていたのだった。彼女が大原に来るのは初めての事だった。
都会育ちの彼女と違い、自然に囲まれて育った僕にとっては紅葉などは今更と言った感じで彼女程には楽しめないのだが、ここ大原に来ると何故か心が少し騒めくのだ。不思議なものだ。
「凄くいっぱい有るよね」橋の欄干にある擬宝珠を見ながら彼女が言った。
「これって、男根とオッパイが合わさったオブジェだよ 」と僕は言った。
「えっ?男根とオッパイ?そうなの?それ本当?」
「良い感じにデフォルメされてるよね。家内円満とか夫婦円満とか多産多幸を願うものらしいよ」
「これ、ちょっと気持ちイイかも」
擬宝珠の先っぽを指でクリクリさせながら、彼女が言った。先っぽは既にメッキがハゲていた。きっと皆にクリクリされたからだろう。
「あれは何か知ってる?」
僕は寺の幟の方を指差して言った。
「あれも擬宝珠なの?」
「あれは擬宝珠じゃなくて宝珠なんだってさ」
「えっ、そうなの?なんかデザイン違うね」
「ホラッ!あの屋根の上にあるのが宝珠」
寺の屋根の上に幟の絵に似た宝珠の装飾があった。
「アッ、ホントだ。アッ、ホラッ、あっちにも。アッ、あっちにも。クフフッ。ちょっと造り過ぎじゃない?」
「昔の日本人は何か強迫観念に取り憑かれてたのかも知れないな。この国は偏執狂の国だね」
「私達、随分病んだ国に住んでるのね」
「煩悩の街、京都」
「フフフ。煩悩サイコー!」
「実はね、あの幟の絵だけど、本当は宝珠じゃないんだよ」
「えっ、そうなの?じゃあ何?」
「本当は女陰なんだよ。女の子のアソコ」
「えーッ!そんなー。あんな目立つところにあからさまに女の子のアソコなんて書いて平気なの?まさか。違うでしょ?」
「丸いのが穴で周りのモヤモヤッてしたのが陰毛。上手くデフォルメされてるよね」
「ハハッ。言われてみればそうだけど。なんか、日本って神秘的よね」
「女陰ほど神秘的な穴は他にないからね」
お爺ちゃんもお婆ちゃんも、人類は皆アソコから産まれて来た。釈迦もキリストも孔子もソクラテスも。これからの時代、どこから生まれて来るのかは分からないけれども。
「釈迦は母親の右の脇の下から産まれて来たんだってさ」と僕は言った。
「なんか聞いたことある。でもそれ絶対無理」
「口から産まれて来る人もたまにはいるんじゃない?インド人じゃないから知らんけど」
「またぁ〜」
「股間だけにね」
「ハハハッ。日本人は昔から性器に物を例えるのが好きだったのね」
「刀の鞘なんてのもそうだね。恋の鞘当てとか」
「恋の鍔迫り合いとか、そういう感じ?」
「刀が男性器で、鞘が女性器だね。昔は夜は明かりがなくて真っ暗だったから、夜這いに行って自分の刀を入れる鞘を間違えちゃったなんて事、結構あったんじゃない?」
「まさかぁ。本当にそんな意味?」
「村祭りなんかがあると、祭りが終われば外は暗闇で無礼講になる訳で、顔なんて全然見えないし酒も入っているわで、意中の人の鞘に当ててみたかったけれど、当てが外れちゃったぞ、みたいな?」
「おや?今夜の鞘はなんかいつもとちょっと違うぞ、みたいな?」と彼女も悪ノリする。
鞘当てという言葉の意味については、かなり僕の妄想も含まれていると思う。何しろ昔の話だ。諸説ある。そう、萬の事には諸説ある。
「性行為がそういう形で行われると、本当の父親が誰なのか分からないまま子供が産まれて来る事もある訳で、近親交配になっちゃう事だって昔はあったんだろうね」
「え〜!なんかヤダ」
「伏見稲荷の鳥居なんかは女の子の股間をデフォルメしたものだしね」
「え〜っ、ウソッ!じゃあさっき、女の子の股間を通ってわざわざ頂上までお参りに行って来たって事?」
「そういう事。女の子の股間ほど有難いものはこの世の中にないからねぇ」
「じゃあ私のも?」と恥ずかしそうに彼女は僕に聞いてきた。
「君のは特別有難いよね。女の子の股間はどれも有難いものだけど、その有難い股間の中でも最も有難い股間のうちの1つが君の股間なんだな」と僕は言った。
「あなたのだって・・・」彼女の言い方はとても可愛らしい。
「男ってもんは昔から女の股間には目がないもので御座いまして、股間を1つ建ててしまうと、それからはもう強迫観念に駆られて、伏見稲荷みたいにああして際限なく股間を並べ立ててみたくなる生き物なんでしょうなぁ」
「そうどすなぁ」
「煩悩の元を排除するんじゃなくて、それを生活に取り入れて頭を慣らしておくんですな。まさに宗教都市京都の生活の知恵どすな」
「そうどすなぁ」
彼女はわざと京都弁を使っておどけた。
「そうして時代が移り変わって行くと、なんであんなものを建てたのかも分からないままに、いつまでも増やし続けていくわけで御座いますなぁ」
「それってイースター島のモアイに似てない?」
「ああ、そうだね。モアイも何の為に造ったんだろうね。相当造るのに苦労したろうに」
「日本にモアイがあんなにたくさんあったら、面白いわね」
「イースター島だからイイけど、日本ならかなり邪魔臭いだろうな。昔は手造りだった訳だし、やってらんないよな」
「あなたは色々と面白い事知ってるのね。あなた、子供の頃どんな子供だったの?」
「そうだなぁ。昔、北斗の拳ってのがテレビでやっててね」
「うん、私も見てたよ」
「それで、僕も大人になれば北斗神拳を使える様になるのかなぁ、なんて思ってたよ」
「ヘェ〜意外。普通に子供らしい子供だったんだ。もっと現実的で冷めたガキだったんじゃないの?」
「今夜はなんだか上手に君の秘孔を突けそうだよ」
「そっちぃー?」

「苔ってやっぱりいいね」三千院の苔庭を眺めながら彼女は言った。
「ここのお庭は凄いね。格別だわー」
「これだけ維持するの大変だよ。草を毎日抜かないといけないからね」と僕は言った。
「ホントそう。苔ばっかり。全然雑草が生えてない」
「『雑草というものはない。野草と言いなさい』とある人が昔言ったんだとさ」
「ヘェ〜。なかなか味のある言葉ね」
「昭和天皇が言ったんだけどね」
「ははは」
「あの人達、植物にはかなり詳しいからね。短歌とか詠まないといけないから」
「ヘェ〜。なるほどね」
「でもさ、雑草という概念はやっぱりあるよね。雑草と花の違いってよくよく考えてみるとホント微妙だし」
「外来種とかもあるしね。違いってなんなのかしらね?」
「やっぱりね、違いは節操のなさだと思う」
「節操のなさ?」
「そう。節操のなさ。ドクダミとかスギナとかは本当に節操がない。雑草と言うのに相応しい」
「でも、ドクダミってお茶になったりするし、一応薬草なんでしょ?」
「生命力強いからね。お茶にして飲めばそれだけドクダミから生命力を分けて貰えるかもしれないね。でもさ、雑草の生えてる庭なんて眺めてるとさ、何だか気分が萎えてくるし、見てるだけで精神的なエネルギーが吸い取られてくし、頭の中がスッキリしなくてモヤモヤした気分にもなるよ」
「雑草があなたの生命力を吸い取っちゃうのね?」
「そうそう。心に雑草が生えてくるんだね。雑草恐るべし」
「ダメよ〜。私が吸い取るんだからね〜」
彼女はおどけている。
「はい。頑張ります」と僕は答えた。
「節操のない雑草みたいな政治家ってのがたまにいるけど、意外と人気があったりするんだよね。何なんだろうね、アレは。僕なんかは早目に引っこ抜かれてしまった方が良いと思うんだけど」何故か雑草の事を考えていたら、政治家の悪口になってしまった。僕の思考は安直だ。
「案外、大衆ってのは節操のないドクダミだらけの庭で暮らしてた方が楽なのかもしれないわね。雑草なんて気にし出したらキリがないし。だから逆にこういう手入れの行き届いたお寺の庭とかが大事にされて、遠い所からも観光客が大勢来るんでしょ?」
手入れの行き届いた自宅の庭を持つことは、植生の多様な日本では贅沢過ぎる話なのかもしれない。

三千院の門を出て隣の坂を上って行くと古びたお寺があり、そこが来迎院だった。閉館まで1時間を切り、拝観者は僕達以外には僕達よりもかなり年輩の1組の夫婦しかいなかった。来迎院の立派な仏像群を観ていると、僕は何故かイースター島に生える雑草やモアイの事が気になって来るのだった。
「モアイ像を造った理由って何だろう?最初はちゃんとした理由があったろうに、今では謎になってる。誰もモアイを造った理由を知らない」
「あんなのを大した道具もないのに人の手で造って運んだりした訳でしょ?よっぽどの事よね。発狂でもしないと造れないでしょうよ」と彼女は言った。お昼に山菜ウドンと一緒に缶チューハイを飲んだので、彼女の調子も少し狂って来ているみたいだった。今日はかなり坂や階段を上り下りした。来迎院は今日最後の目的地だが、最後の目的地の坂道は長くて急だ。
「祭祀の婆さんがやらせたのか?ワガママな王様がいたのか?」
「あんな絶海の孤島に船で渡ったわけだしね。発狂でもしてないと普通行けないでしょ、あんな島」
「行ったことある?」
「でも、貴方となら行ってみたいわね。連れてってくれる?マチュピチュにも行きたい」
それには答えないで僕は彼女にこう質問した。
「君もモアイ像造るよりセックスしてた方が良いよね?」
僕はどうして聞かなくても分かっていることを聞いてしまうのだろう?人がいた為か、彼女はその質問には答えなかった。
「モアイを造るには相当に苦労する訳で、最初に出来上がってそれを見上げた時の達成感も相当に大きかったろうね。見返りも相当に大きいだろうと島民は期待を抱いてたろうな」と僕は言った。
「草臥れただけだったけれどね。巨大な代償を払い続けただけ」
「昔の日本には人柱なんてのがあってさ、橋とか家とか造る時に人柱を立てたりしてたけど、人柱が多ければ多いほど橋や家が長持ちする訳じゃないのにね」
「そんな事やってたら、人が何人いても足りないわよね。そんなの直ぐに分かるじゃない?人間ってバカよね〜」と彼女は楽しそうに言った。人をバカにするのは確かに楽しい。その馬鹿さ加減が分かりやすいほど楽しい。
「時代とか民族とかが違っても、人の発想ってのは本当に似たり寄ったりだしさ。代償とか犠牲とかがないと見返りとか御利益もないよって発想。神社にお参りするにしても、普通の日じゃダメ。やっぱりお正月に人混みを掻き分けて苦労してお参りするからこそ御利益があると思いたがるからね」僕は宗教については懐疑的だ。神社仏閣を見て回るのが好きであったとしても。
「賽銭もたくさん上げれば、見返りもたくさん貰えるとかね。私はいつも控え目だけどね」と言って彼女は笑った。
そう言えば、今日も全部彼女が払っている。いつも賽銭は彼女任せだ。
「御神酒をたくさん飲んだ方が御利益ありそうね。今夜は御神酒たくさん飲もうねー」
僕の腕に自分の腕を絡ませながら、甘えた声で彼女が言った。神頼みも御神酒もやり出したらキリがない。
腕に絡み付く彼女の笑顔を見下ろしながら、僕はまたモアイ像の事を考えていた。
最初にモアイ像を造った巫女的な存在のおばあちゃんが仮にいたとして、その人は男に裏切られたとか浮気されたとか恋が叶わなかったとか、そんな理由でモアイ像の様な巨大な石像がが造られる事も有るのだろうか?そんな事を僕はふと思った。
浮気された妻はその他大勢の女性から同情されない。夜の営みが疎かだったのではないかと勘繰られ、逆に責められる。浮気された夫は同情される。女は他人から威嚇されるのを嫌うし、男は同情されるのを嫌う。どちらも貶められる。

旅館の食事にはアラ汁が出た。雑味もクセもない、スッキリとしたとても美味しいアラ汁だった。毎日飲んでも飲み飽きないくらいの美味しいアラ汁だった。僕達の酒も進んだ。
先日、僕は久々に帰省した。思っていた以上に父親は弱っていた。シモの世話も出来なくなり、オムツをして寝ている。日曜日の朝に放送されている子供向けのアニメ番組を見ていたのには、おぞましさを強く感じた。これは一種のホラーではないかと。自分の小学生の孫娘が見ていそうなアニメなのだ。父親はアニメを好んで見る様な男では決してなかったのに。
父親はもう老い先は短い。来年ぐらいには葬式かも知れない。僕は長男だけど子供を作る気もないから、家系も途絶えてしまうだろう。仕方がない。
「君の父親の葬式では、君のママが喪主だった?」と僕は聞いた。
「そうよ」
「僕が喪主になるんだろうな。嫌になるよ。親族代表で挨拶とかするわけでしょ?気が重いな」僕は正直な気持ちを言った。僕は人前で話すのが大の苦手なのだ。
「私の場合はね、本当に何でもした。もうダメだとは分かってたけど、何でもやってあげたの。だから、全然悔いはないの」と彼女は言った。
「あなたも悔いが残らない様にした方が良いと思うの。やらない後悔より、やった後悔だから」
彼女はそう言うけれど、どうにも何もやる気が起きないのだった。彼女の父親は還暦前にガンで亡くなったけれど、僕の父親は大病する事もなく彼女の父親よりも20年近くも長く生きて来た。もう十分ではないか。千代の富士や松方弘樹のような健康そのものに見えた人が、急に死んでしまう世の中なのだ。父親のような不健全な非文化的な生活を送っている人間など、いつ死んでもおかしくはない。
所詮、僕は薄情な男なのだ。親に似ただけだ。仕方がない。
「もしも僕達が結婚したとして、そして仮に君が先に死んだとして、その時は僕が喪主になるの?」と僕は彼女に聞いた。
「そうじゃん!」と彼女は簡潔に返答した。
「滅茶苦茶気が重いんですけど」と僕は言った。
「私がヨイヨイになっても、ずっとそばに居てくれる?」と彼女はなかなか難しい意地悪な質問をして来たから、僕も負けじと意地悪にこう答えた。
「ヨイヨイになったら階段から突き落として事故に見せ掛けて殺す。そして保険金を手に入れる」
「ひっどーい!」彼女は目から涙を激しく垂らした。表情からは分からなかったが、かなり酔っていたのだ。昼間から飲んでいたのも良くなかった。飲むペースも早過ぎた。こういう時のブラックジョークにはリスクがある。明日になれば僕が言った事を忘れているかも知れないが、こんなに泣かれては後味はよろしくない。彼女は若い時は酒豪で鳴らしたみたいだが、彼女ももうそんなには若くない。
「ゴメンゴメン。うそうそ。悪かった。謝る。ずっと君の面倒見るから」
「本当?」
「本当本当」
「本当に本当?」
「本当に本当」
「良かった」
「うん」
「嬉しい」
「うん」
「もーぅ、びっくりしたぁ」びっくりしたのはこっちだよ。
「ゴメンゴメン」
「かわいそうでしょー」自分で自分をかわいそうとはよく言うよ。
「うん」
「悲しかったんだからねー」
「うん。本当にゴメン。そうだ。一緒にお風呂に入ろう」僕はもう本当に面倒臭くなってしまい、全てお湯で流してしまおうと思った。
それから僕達は一緒に借り切り露天風呂に入り、僕は彼女の化粧を落とし、彼女の頭皮をかなり丁寧にマッサージした。
風呂から上がると、部屋には布団が綺麗に並べて敷いてあった。
「なんかエッチィね」
彼女は何を空想したのか、にやけた顔をしていてとても嬉しそうだった。                      

つづく

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