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『メの話』

『メの話』


「今日は『メの話』という、まぁ、取るに足らない話なんやが、些細な事から人生の物凄く大事な事というか核心というか、そういうもんに気付くっちゅう、そういう話をしようと思う」
べらんめえな語り口のお坊さんだった。厳つい体格で如何にも酒に強そう。天然パーマだろうか?きっと髪は染めている。お不動さんに風貌が似ている。
そこは関東にある由緒ある古寺。巨樹や大きな堂宇、庭や境内や仏像や門、とにかく大きい事は良いことだ。お坊さんもデカい。立派な木彫が寺のあちらこちらに施してある。襖の絵も時代を感じさせる。やや暗い感じの照明も落ち着きを与えてくれる。
広い講堂の中には大勢の人が集まってきている。
お坊さんはコテコテの関西弁を使い、ざっばらんな語り口が面白いとの評判だ。マスコミでも紹介されていた。関西では普通でも、関東に来るとこういう人は珍しいわけで、割と受ける。ひょんな事で当たる。
寺の雰囲気はわびさびが効いているが、坊さんにはわびさびを感じない。ハキハキ系か?覇気覇気?寺の外観とお坊さんの人物像との間には、強いメリハリがある。庭は丁寧に掃き清められている。
『回向』という題字の経本のようなものが配られている。私の所にも回されてくる。表紙の色は橙色一色。配られたらメのページを開いて待つように、とのこと。
アイウエオ順に短い教訓話が幾つも並んでいる。私はメの話を探してみる。周りの皆も探している。だが、全然メが出て来ない。いくらページをめくってみても、どこにもメがない。マがあってミがあってムもあって、でもメがない。モがあるし、ヤもユもある。フヘホもある。でも、メがない。
顔を上げて一度周りを見渡すと、やはり皆が黙って本を捲ってメを探している。お坊さんは顔の表情が固まったままで、黙ってしまっている。

私はどこでこの寺の事を知ったのだろう。寺の名前は学校の教科書にも載っているくらいだから昔から知ってはいるのだが、自分がなぜ今ここにこうしているのかが、どうしても思い出せないのだ。誰かに勧められて来たのだろうか。そもそも私に助言してくれる人などいたのだろうか。
何もかもがボンヤリしている。お坊さんの話が何だったのかも、思い出せなくなって来ていた。そもそもあの人は何か話したのだろうか?
随分長い時間をそこで過ごした気もするが、実際には殆ど時間など経過していなかったような気もしている。
ふと気付くと、私は寺にある庭園をボンヤリと眺めているのだった。そこには多くの彼岸花が心細げに咲いているのだった。
私には小学生の娘がいる。その娘が言っていたのだが、彼岸花には種がなく球根で増えるのだとか。学校でそう教わったと楽しそうに話していた。
花は咲くのに種はない。おしべもめしべもあるのに。
彼岸花は子供の頃から私の嫌いな花だった。彼岸花という葬式臭い名前が嫌いだし、曼珠沙華などという綺麗すぎる別名があることからも、この花を余計に胡散臭いものに感じさせた。色といい形といい、脆く頼りなげで儚げで、そんなところが鬱陶しく感じられた。群れて咲いているのも気味が悪い。つい先日まで何もない空き地だったところに、突然一斉に咲き誇っていたりして、まるで幽霊の親戚か何かのような花だと思っていた。もしも生まれ変われるとして、私は彼岸花には生まれ変わりたくはない。メタセコイアに生まれ変わりたいのだ。アメリカのイエローストーンにあるような巨木になりたいのだ。
そんなことを考えていて私はようやく思い出したのだ。私は自分の墓をこのお寺に探しに来ていたのだった。だが坊さんの訓話も終わり境内の庭をぼんやり眺めていると、そんなことはすっかり忘れていたのだった。

その寺は紅葉で有名なのだが、参道の木々はまだ色付いてはいなかった。駐車場に戻る途中、若い女性が足早に私を追い抜いていった。薄茶色に染めた髪が光を纏って照り映えている。
「すみません。ちょっとお聞きしたいことが」
私は彼女の姿勢の綺麗な背中に向かって言った。
彼女がこちらを振り向いた。目が大きくパッチリとしていて、お洒落で健康的な雰囲気の女性だ。彼女の白い軽自動車の後ろには、若葉マーク。就活の成功を願いに来たのかも知れない。
「もしかして、あなたはこの山の精霊ではないですか?」
周りには私達二人しかいない。
「違いますよ!」
彼女は可笑しそうに否定した。
「あそこの滝壺で泳いでいる鯉の化身か何かですか?」
「コンコン」
彼女は軽く咳をした。

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