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『名刀 麒麟斬り兼元』


『名刀 麒麟切り兼元』 佐々木越百

十年以上前のことになりますが、私の事業も軌道に乗ってまいりまして、気の利いた趣味の一つも欲しいなと考えていたんです。ずっと仕事に追われていたんで、少しは自分自身を見つめ直す時間も必要なのかなと。昔からの友人に相談したところ、「それなら日本刀がいい。いい店があるから紹介しよう」なんて言うんで、言われるままに上野の刀屋さんに行ったんです。その日は友人の都合が悪くて、私一人だったですね。
店の親父さんには私の素性は友人から予め伝えられていたみたいで、「岐阜の出身なんだってね。じゃあ、この関の兼元なんてどうかね?」何て言って見せてくれたのが、刃文も見事な三本杉、関の孫六兼元でした。ええ、今ここにお見せしている刀です。鎬造り、地鉄板目流れで地沸つき、刃文は匂深く小沸出来の三本杉の乱れ刃、帽子は小乱れこんで先は小丸でわずかに反る。江戸時代の代下がりではあるんですけど、刃長二尺四寸五分、反り七分半、茎は生、なかなか立派なもんでしょ。こんな私にも一応郷土愛はあるんでね。どんな刀を買うにしても値が張るのは覚悟の上でしたし、吹っ掛けられては損だから自制心をしっかり持って臨まなければイカンと決心しておったのですが、やっぱりこの兼元を見た時はどこかグッと来るものがありましたね。刀については素人でしたし、関の孫六と言われても当時は名前くらいしか知らなくてね。地元民として恥ずかしいってのも心の片隅にありましたかね。
それから親父さんがこの刀の由来について色々話してくれたんですけど、実に愉快なもんでしたよ。
「この刀、麒麟斬り、という異名が有りましてね。日中戦争の折りに南京で麒麟を斬ったってんですよ。動物園の麒麟なんですけどね。餌代も馬鹿にならんし、これはもう殺して食ってしまおうって訳で。でも殺すにしても薬で殺しちゃ人間様が食えねえし、銃で殺すと血が回って肉が臭くなるから駄目だってんですね。それで何だかんだで俺が斬る、ってなったのが佐々木という将校で」
「えっ?佐々木?」
「はい。偶然にもお客さんと同じ名字の佐々木将校が、その麒麟をここにあるこの兼元で斬る事になったんですよ。三日くらい餌も水も与えずに弱らせておいて、いよいよ麒麟を斬るって日には、何処から情報が漏れたのか朝から動物園に子供から年寄りからお兄さんもお姉さんも、黒山の人だかりで。余った肉は見物人にも配るって噂が流れたらしいんですな。皆が飢えてた時代ですからね。麒麟なんてさぞや贅沢なご馳走だったでしょうなあ。一口食べれば子々孫々まで栄えるだとか。さて、いつ斬るか今斬るかと、それこそ皆が首を麒麟のように長くして見守ってたんですけどね、将校なかなか斬り掛からない。剣道みたいに気合だか奇声だかを発するでもなく、静かに麒麟と対峙して間合いも詰めない。無の境地ってんでしょうね。剣道五段で居合の達人ってんですから。そしたらいつの間にやら麒麟の方が、お見それ致しました、ってな感じで、首を項垂れてそろそろと前に差し出す様な仕草をして見せたんですな。将校それを見て、ヤッ!と気合一発斬り込んでったんです。そしたらその時どこからか迷い込んできた黒い猫、麒麟と将校の前を一瞬横切った。そしてその次の瞬間には、将校の体は五メートル先までブッ飛ばされていたそうですよ。あばら骨を折って内地に帰還です。戦後は腕のいい整体師になって繁盛したって話です。剣道の先生としてもえらい有名だったそうでね」
それから麒麟の味だとか蛙や雀や山椒魚もイケるだの、話が弾んだんですけれど、店の女将がお茶を出しながらこんなことを言ったんです。
「あら、麒麟斬りね。本当は斬ったんじゃなくて蹴られたのにね」
これはまた上手い事を言うなあ、と私は感心したんですが、親父さんもまた黙ってはいなかったわけで。
「麒麟ゲリがなまって麒麟ギリになったっていうのが、有力な説やね。切らなかったから逆に命拾いしたわけだ。人間万事塞翁が馬だか麒麟だか。そういやあこの刀とは別に、実際に麒麟を解体したって短刀が奥にあるんですわ。麒麟裂き、ってんですけどね。ちょっと持ってきますわ」
そう言って親父さんが席を外して店の奥の方に行っている間に、私は女将に聞いてみたんです。
「この店には、なんとか斬り、って刀、何本くらいあるんですかね?」
「いっぱいありますよ。鬼斬りに石灯籠斬りに虎斬り、坊主斬り、飛燕斬り、大蛇斬り、蜘蛛斬り、猩猩斬り、雷斬り、山姥斬り、海斬り、山斬り、川遊斬り、滝斬り。お蔭でこの店のやりくりもキリキリ舞いですよ。ホホホホ」
全く私の友人もとんだ店を勧めてくれたもんです。
その日は手持ちの金がなかったので帰りましたが、結局は三顧之礼でその麒麟斬りを手に入れまして、ずっと大事にしておりますよ。
麒麟ってのは見掛けによらず、鳴き声は牛とそっくりなんですってね。旨いかって?モゥ、そりゃあ絶品だそうで。


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