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『鬼滅の刃と鬼の末裔』

巌男はコンビニでジャンプを立ち読みしていた。お気に入りの『鬼滅の刃』はその週で最終回だった。
最終回の内容はそれまでの戦闘シーンの鬼気迫る切迫感のある内容とは違っていて、どこか少女漫画チックでほっこりと和める内容だった。
違和感が無くはなかった。傑作漫画が急に凡作以下に落ちたような気もしないではなかった。「まあ、ジャンプもかなりこの漫画では稼いだ事だし、最終回くらいは漫画家の好きなように描かせたのかなあ」などと釈然としないながらもそう考えた。そういう下世話な想像をかき立たせてくれただけでも、いい最終回だったなと巌男は皮肉っぽく考えたのだった。

「別にこんなものをわざわざ最終回に持ってこなくてもいいだろう」と思ったりもしたが、あの最終回がないと鬼のボスである無惨がまだどこかで生きているようで気色悪い。漫画家としてもあの最終回を描くことで良い厄落としになったろう。『鬼滅の刃』のような漫画を描き続けていた為に、精神的にはかなりの大ダメージを受けていたに違いない。

巌男がこんなにも漫画に夢中になるのは本当に久しぶりだった。間違いなく今まで彼が読んできた漫画の中で一番の傑作漫画が『鬼滅の刃』と言えた。

主人公のタンジロウははっきり言って弱い。敵である鬼は圧倒的に強い。だからこそ読んでいてハラハラする。それにタンジロウは自分の弱さをよく理解している。その謙虚さがいい。他の漫画みたいに、身の程知らずのヒーローがたまたま偶然が重なって強敵に勝つという、そんな少年漫画に有りがちな軽い感じはあまりない。集団プレーで様々な工夫をこらして敵に勝つ。敵との戦闘シーンには非常に切迫感がある。他の少年漫画に比べると命が重く描かれているように思える。

巌男の祖先は信長の軍勢にあっと言う間に蹴散らされて逃げ延びた落ち武者だとは聞いている。「勝ち目などなかった筈なのによくやるよなあ」と思うことはある。大昔には漫画のような命の取り合いも確かにあったのだ。今から思うとまさに漫画みたいな話にしか思えない。

信長は魔王とか鬼とか呼ばれてなかったかな?では信長は鬼みたいに人を食っていたか?ある意味食っていたのだろうが彼は支配者階級なのだから飢えとは関係なかったろうし、文字通りの意味では人を食ってはいなかった。つまり人肉など食べていなかったと思われる。

巌男は何故こんなにも『鬼滅の刃』が読者を惹きつけたのかを、コンビニを出てからも考えながら歩いていた。もう少しでその答えが分かりそうな気がしていた。そこへ突然、赤ん坊のけたたましい泣き声が聞こえて来たのだった。


昼下り 赤子ギャン泣き いと煩し

駅地下のモール街、父母は子をあやす。

子を彩す。綾す。文す。怪す。妖す。過す。誤す。操す。危す。荒す。

巌男は毎晩酒を飲むが、タバコは吸わない。若いから加齢臭もまだない。自分が子供の所に行ってあやしてあげたい気分だった。そして親に「お前たちは臭い」と皮肉ってやりたい気分だった。

ギャン泣きしている子供の親は、絶対臭いに決まっている。ヤニ臭いか酒臭いか汗臭いか加齢臭があるのかは知らない。だが、頑張ってあやせばあやす程、必然的に密着して自分の体臭や口臭を子供に嗅がせる事になるのだから、全くの逆効果。子供は大人よりも臭覚が敏感だが、親は自分の体臭や口臭に対しての自覚症状がないから、子供をあやす度に報われない努力を繰り返す事になる。

あのギャン泣きしている子供は生命保険目当てに殺されて、事故として処理されるのだろう。
ベーシックインカムが導入されれば、わざわざ保険をかける人も減るのだろうが、ベーシックインカムなんて制度は保険会社にとっては面白くない制度なのだろう。殺人事件が起こって、裁判や捜査などで無駄に税金が使い込まれるよりはマシなのに。
そもそも生命保険なんて全くおかしな制度だ。イギリスで始まったのだとか。誰が先に死ぬのかパブだかカフェだかで賭けをしたのが始まりなのだとか。イギリス人は賭けばかりしている変な国民だ。

血は泥よりも濃く、ママはフードを育てない。
発情期の猫は騒がしく、泣き叫ぶ人間の赤子のように精神を逆撫でる。
飢えた猫は共食いをし、飼い主の死体さえも食らう。

巌男は子供の頃に雌猫を飼っていた。名前はモンロー。
ある日、巌男が学校から帰ると子猫の脚が玄関先に転がっていた。モンローは子猫ではなく大人の猫でお腹が大きかった。妊娠していた。子猫を産んで体力を使い果たし腹をすかしていた母猫のモンローは、自分が産んだばかりの子猫を足だけ残して食っていたのだ。

巌男は子猫の脚を見て、庭の片隅に走り出して思わず胃の中のものを戻してしまった。もしもモンローが巌男が吐いているのを見たならば、「勿体ない」とたしなめただろう。
家族の者に見られるのはまずいが自分で片付けるのも億劫で、子猫の脚を眺めて手をこまねいていた巌男だが、お腹が小さくなって身軽になったモンローがひょっこり現れて、残されていた子猫の脚までもペロリと平らげてしまった。それを見て巌男はまた吐いてしまった。

昔付き合っていた恋人もたまたまモンローという同じ名前の雌猫を飼っていた。元々病気持ちの猫を彼女の妹が拾って来て姉に押し付け、とうの妹の方は海外留学してしまった。病猫を押し付けられた恋人は何度も動物病院に通ったが、その甲斐もなく晩秋の頃にその猫はひっそりと死んでしまった。その夜は彼女はずっと泣き通しで、次の日は大事な仕事をすっぽかしてしまう程だった。そしてそのまま職場復帰する事もなかった。

彼女は東京生まれの東京育ちだが、父親が東北岩手の出身だった。夏休みには良く祖父母の家に遊びに行った。巌男とは宮沢賢治のことや北上川で体験した砂金取りの話をしたりしたが、こんな事も言っていた。
「大昔、飢饉の時には犬や猫も食べたし、死んだ女房子供を塩漬けにして食べたこともあったって、お婆ちゃんから聞いたことがある」

「モンローは鬼猫だったのかも知れない」と何故か巌男は思うのだった。
「鬼の猫だからまだ死んではいない。きっとどこかでまだ生き続けているのだろう」と。

『鬼滅の刃』にどうしてこんなにも心惹かれるのか、それを巌男はずっと考えていたところだった。そしてようやく分かったのだ。自分も鬼の末裔なのだと言うことが。自分だけではない。全ての人間が鬼の末裔に違いなかった。普段は忘れているだけで記憶の底に眠っていても、『鬼滅の刃』のような作品に出会うと鬼の血が自然と騒いでしまうのだ。

鬼滅の刃は人の心を映す鑑だ。誰もが人を喰って生きている世の中だ。いつか鑑を見た時に自分の醜さに気付かされる。

戦争中、日本兵が人肉を食べたという話はよく聞く。そして「人肉の味はどうだった?」と問えば、「美味だった」と殆どの日本兵が答えたとモノの本には書いてある。牛肉や豚肉や鶏肉がオスよりもメスや子供の肉が美味なように、人肉もきっとそうなのだろう。

モール街の通路ではまだ子供がギャン泣きしていて、親達はお手上げ状態だった。だがしばらくすると、巌男とは同年代と思われる男が通りがかり、子供をなだめてあっと言う間に静かにさせると、親達と二言三言言葉を交わし直ぐに立ち去ってしまった。

巌男はその通りがかりの男を羨ましく思った。あんなふうに振舞えたら良いのにと思った。ギャン泣きする子供に近付くのは勇気があるというよりも殆ど無謀な行為のように巌男には思えた。「あの男は宗教家か?」と巌男は思ったが、今時ギャン泣きする子供に近付くようなもの好きな宗教家がいるとも考え難かった。

臭いのが悪いのか、泣くのが悪いのか、それが問題だ。

今日も何処かの泣き虫な子供達が、生命保険目当てに処分されていた。鬼の時代はもう直ぐそこまで来ている。年金制度は破綻寸前で、消費税は50%くらいに跳ね上がるのではないだろうか。幾ら助成金を出して束の間をしのげても、後で大増税が待っているのであれば元の木阿弥だ。政治家も官僚も年寄りばかりが増えたから、「自分達がくたばるまで何とか国が保ちこたえてくれさえすればそれで御の字」と言ったところではないのだろうか。
まるで泥舟と知りつつもその船に乗り込んで大海へと漕ぎ出して行かなくてはならないような状況なのだが、人間が人魚に進化でもしない限りは生き残れそうにない。
王子様をナイフで刺し殺せない人魚姫は泡になって消えてしまう。海上で日の光に晒された鬼は風の前の塵のように吹き飛んで消えてしまう。

『鬼滅の刃』を読んでホッコリしていたさっきまでの巌男の心は、日本刀の束に使われている鮫皮のようにいかつくゴリゴリとしたものになってしまっていた。

モールの映画館では『劇場版鬼滅の刃 無限列車編』が公開されていて、大変な人だかりで巌男は入る気になれなかった。無限列車とはきっとこの国や人生そのものなのだ。偽りの夢を見させられながら走り続けるのだ。醒めることなど決してない。

いつも通りの下らない夜だった。モンローは一体どこへ消えてしまったのだろう。


おしまい

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