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20/02/05 橋本晋哉チューバリサイタルプログラムノート

昨年の第一回目のリサイタルのプログラムノートです。備忘録として(紛らわしくて申し訳ないのですが、noteの仕様上投稿日を設定できないので……)。

program

1. パウル・ヒンデミット 《ソナタ》 バス・チューバとピアノのための (1955)
Paul Hindemith: Sonate für Basstuba und Klavier
Ⅰ Allegro pesante
Ⅱ Allegro assai
Ⅲ Variationen: Moderato, commodo

2. 甲斐直彦 《レジェンド》 フレンチ・チューバ、またはバス・トロンボーン、サクソルン・バスとピアノのための (1962)
Naohiko Kai: Légende pour Tuba Ut ou Trombone Basse ou Saxhorn Bssse Sib et Piano
Ⅰ Andante a piacere
Ⅱ Allegro ma non troppo

3. 金光威和雄 《ソナタ第1番》 チューバとピアノのための (1967)
Iwao Konko: Sonate Nr. 1 für Tuba und Klavier
Ⅰ Allegro
Ⅱ Adagio
Ⅲ Vivo

♭ ♭ ♭ 休憩(15分)   ♭ ♭ ♭

4. 徳永崇 《御祝方式》 (2014)
Takashi Tokunaga: Goiwai System

5. 夏田昌和 《下方に》 バス・チューバとピアノのための (2020) 委嘱初演
Masakazu Natsuda: Vers le bas pour Tuba Basse et Piano

6. 杉山洋一 《天の火》 (2015)
Yoichi Sugiyama: Amë nö fï – Heaven’s Fire

曲目解説(ヒンデミット〜金光)

チューバという楽器は、巨大化しつつあるオーケストラや吹奏楽の編成の中で低音を支える、という役割を期待されて19世紀半ばに誕生した。この楽器に独奏楽器としての役割を与える試みが行われたのは20世紀に入ってからのことで、最も早い例としてはアレクサンダー・チェレプニン《アンダンテ》(1939)をはじめ幾つかの曲を挙げることができる。今後この年号は更新されてより早い時代のレパートリーも明らかになってゆくと思われるが、とはいえレイフ・ヴォーン=ウィリアムズの《チューバ協奏曲》(1954)と今回取り上げるパウル・ヒンデミットの《ソナタ》(1955)がチューバ独奏曲のレパートリーの代表としてある種の分水嶺となり、1954-55年が「以前/以後」として扱われる年号となる認識は当分変わらないだろう。
パウル・ヒンデミットはその生涯において、オーケストラに用いられる楽器を対象とするならばほとんど全てと言って良い、幅広い範囲の分野を対象としてソナタを作曲している。《バス・チューバとピアノのためのソナタ》は、《トランペットとピアノのためのソナタ》(1939)や《ホルンとピアノのためのソナタ》(1939)からの一連の金管楽器のためのソナタの最後の曲であるだけでなく、20を超える様々な楽器のためのソナタのシリーズの最後の作品である。この曲について語る時まず最初に触れられるのは、彼が常に批判的であった12音音列に対する試みであろう。完全な12音の音列により主題の形作られる第3楽章以外にも、全曲にわたって断片的ながら音列を用いることを試みた幾つかの動機を見ることができるが、それらは逆行、反行といった操作を受けることなく、文字通り単に「試み」として用いられたもののように見受けられる。しかしながら我々がより注目すべきは、ヒンデミット本来の持ち味と言って良い、多彩な動機操作手法、構成力で、前述の音列的主題を用いたポリメーターやヘミオラ、中心音の推移や変奏技法など、10分余りのこの曲のなかにそれらの魅力がふんだんに注ぎ込まれている。
さて、それでは日本におけるチューバ独奏曲の成り立ちはどうだったのだろう?「日本人作曲家による最初のチューバ独奏曲」ということであれば、当時パリに留学していた甲斐直彦が、パリ音楽院の試験曲として作曲した「レジェンド」(1962)が 、その最も早い例と考えられる。緩急二部の形式からなるこの曲は、厳密には現在のチューバが指定されているわけではなく、(チューバのオクターブ上の音域を持つ)フレンチ・チューバ、バス・トロンボーン、サクソルン・バスの楽器指定がされているが、これは当時のパリ音楽院が前述3つの楽器を一つのクラスとして扱っていた事情があり、フランスにおいて主に使われていた「チューバ」は、このフレンチ・チューバやサクソルン・バスであった。このように、1960年当時は現在のように「チューバ」と一言に纏められない、国、地方による様々な楽器、用法のヴァリエーションがあったことを鑑みる必要がある。
日本でのソロ・チューバの初めての演奏会は1965年に4名の奏者の共同により行われており(注1)、その際にヒンデミット、ヴォーン=ウィリアムズの両曲も初演されているが、演奏者の一人であった貝島克彦が、後に金光威和雄に委嘱して初演した「チューバとピアノのためのソナタ第1番」(1967年)が、日本におけるチューバ独奏曲の最初の例であると考えられる。金光は著書「楽器学入門 - オーケストラの楽器たち」のチューバの項でも自身のソナタ(第1番と2番)に触れ、「日本では、本格的な独奏曲としては、私が作曲した2曲のチューバソナタがあるだけです。」と述べ、当時国内国外での再演が重なったことにも触れている。急-緩-急の典型的な三楽章形式で書かれたソナタ第1番は、技巧的な動きが不得手な楽器に対峙するにあたって、ピアノパートと交錯するヘミオラや、不均等なフレーズの配置、チューバの音域を避けたピアノの音の配置、チューバのオスティナート的扱いなど、ヒンデミットに共通する音楽作法がみられて興味深い。(橋本晋哉)

パウル・ヒンデミット Paul Hindemith 
1895年生1963年没。20世紀を代表する作曲家の一人。また、指揮者、ヴィオラ奏者としても活躍した。後期ロマン主義、表現主義的な初期を経て、新即物主義、新古典主義的なスタイルへと変遷が見られる作品群は600を超える。実用音楽を提唱、また初期の古楽演奏の復興、「作曲の手引き」をはじめとする音楽理論書など、幅広い分野にその足跡を残す。

甲斐直彦 Naohiko Kai
1932年生まれ。パリ国立高等音楽院にて作曲を、エコール・ノルマルにてピアノを学ぶ。帰国後東京藝術大学にて教壇に立つ。代表作に《ピアノのためのエッセイ》 (1972)、《ヴァイオリン協奏曲》(1968)など。

金光威和雄 Iwao Konko
1933年生まれ。東京藝術大学にて作曲を学ぶ。第26回および第27回日本音楽コンクール作曲・管弦楽の部で第2位受賞。1961-1999年、武蔵野音楽大学講師、助教授、1999-2013年、桐朋学園芸術短期大学講師、特任教授。著書に「楽器学入門 - オーケストラの楽器たち」(音楽之友社)。


(注1)「日本最初のチューバリサイタル」1965年12月5日於東京文化会館小ホール。出演したチューバ奏者は貝島克彦、多戸郁光(幾久三)、稲田達雄、宮川暉雄の各氏。

徳永崇 《御祝方式》 (2014)

本作品は、岩手県遠野市に伝わる秘謡「御祝」(ごいわい)から作曲の契機を得ました。「御祝」とは、男性群が歌う「謡」と、女性群が歌う「民謡」が同じ場で同時に歌われる音楽です。通常、結婚式や新築祝いなどのおめでたい席で披露され、例えば男性が「高砂」、女性が「萬鶴亀節」(まがきぶし)といった具合に2つの歌を掛け合わせることで、贅沢かつ祝祭的な雰囲気を盛り上げます。しかも、単に異なる歌が並置されるのではなく、合せるポイントや終わるタイミングが同じであるなど、そこには高度なアンサンブルが存在します。それはむしろ、相手の歩調を伺い気遣うという、思いやりの作法であるともいえます。日本文化の古層には、このように異なる存在の共存を許す、おおらかな雰囲気があるように思います。そしてこの感覚は、紛争や格差を生む世界の様々な問題に対し、多くの示唆を与え得ると感じています。私は作曲の際、「ハイブリッド」という視点で、そのような問題にアプローチしています。さて、本作品は、「御祝」の豊かな関係性に満ちた多時間的・多層構造を、テューバとピアノのアンサンブルに応用する試みです。単に、独立した2つの時間軸を並置するのみならず、常に相手の動向を感じつつ、合せたりずらしたりする様々な仕掛けを施しました。例えば、同時に演奏を開始し、それぞれにrit.やaccel.を経て同時に終わる、互いに異なるテンポで奏する中、突然の同期が現れる、などです。そこでは、アドリブでもなく、機械的な速度調節でもない、高度の「共感」を前提としたアンサンブルが必要とされています。結果として、演奏に多くの困難をもたらしました。この度、橋本晋哉さんと藤田朗子さんの演奏により、その試みが美しく実現いたします。お二人の織り成す多様な時間模様をお聴き頂ければ幸いです。(徳永崇)

徳永崇 Takashi Tokunaga
1973年広島生まれ。広島大学大学院教育学研究科、東京藝術大学音楽学部別科作曲専修及び愛知県立芸術大学大学院音楽研究科博士後期課程修了。ISCM World Music Days入選(2002/香港、2014/ヴロツワフ)。武生作曲賞受賞(2005)。在籍する作曲家グ ループ「クロノイ・プロトイ」の第5回作品展が、サントリー芸術財団第9回「佐治敬三賞」受賞(2010)。近年は日本の伝統芸 能に内在するハイブリッド性を研究し、作曲に援用している。作曲家グループ「PATH」及び、ピアニスト伊藤憲孝とのユニッ ト「山陽トクイ連合」メンバー。アンサンブル「アッカ」代表。広島大学大学院教育学研究科准教授。

夏田昌和 《下方に》 バス・チューバとピアノのための (2020) 

この小品は橋本晋哉さんの委嘱によって書かれ、初演して下さる橋本さんと藤田朗子さんのお二人に献呈されている。ソロ楽器としてのチューバのために書くのは初めてであったため、作曲過程で橋本さんには楽器の基本的な性能について何度も質問し、その都度丁寧にお答えいただいた。曲は、私の楽曲でしばしば出現する下降音型のモティーフを基調としており、題名もそこに由来している。
(夏田昌和)

夏田昌和 Masakazu Natsuda
1968年東京生まれ。東京芸術大学大学院修了後、パリ国立高等音楽院にて作曲と指揮を学び、審査員全員一致の首席一等賞を得て同院作曲科を卒業。作曲を野田暉行、永冨正之、近藤譲、Gérard Grisey、指揮を秋山和慶、Jean-Sébastien Béreauの各氏に師事。芥川作曲賞や出光音楽賞をはじめとする受賞や入賞、入選多数。フランス文化省やサントリー芸術財団など数多くの公的機関や演奏団体、ソリストより委嘱を受けて書かれた作品は、国内外の音楽祭や演奏会にて紹介されている。指揮者としては海外現代作品の紹介、邦人作品の初演やCD録音に数多く携わってきた。日仏現代音楽教会の設立に参画し、様々な演奏会や教育・啓蒙プログラムを企画・運営している。


杉山洋一 《天の火》 (2015)

ピアノのアルフォンソ・アルベルティに委嘱を受け、2014年春にクラリネットとピアノのために作曲。その後二重奏に朗読2人とギター、和太鼓をつけたヴァージョンが2014年秋、キューバのハバナで演奏された。チューバとピアノのヴァージョンは2015年、秋吉台国際芸術村にて橋本晋哉、黒田亜樹にて演奏。
「天の火」は、万葉集より狭野茅上娘子と中臣宅守との間で交わされた有名な相聞歌七句に基づく。これらは宅守が新妻を都に残し、流刑に処された時の、焦がれるような悲恋歌である。
チューバには奈良の「北山の子守唄」、ピアノには遊ばせ唄「おいよ才平は」の旋律が使われているが、作曲中親しい老夫婦のご主人が癌で亡くなったのが強く反映されている。チューバには狭野茅上娘子の、ピアノには中臣宅守の句が用いられている。(杉山洋一)

あしひきの山道越えむとする君を心に持ちて安けくもなし
君が行く道の長手を繰り畳ね焼き滅ぼさむ天の火もがも
我が背子しけだし罷らば白妙の袖を振らさね見つつ偲はむ
このころは恋ひつつもあらむ玉櫛笥明けてをちよりすべなかるべし
狭野茅上娘子

今日もかも都なりせば見まく欲り西の御厩の外に立てらまし
畏みと告らずありしをみ越道の手向けに立ちて妹が名告りつ
我が身こそ関山越えてここにあらめ心は妹に寄りにしものを
中臣宅守

杉山洋一 Yoichi Sugiyama
1969年生まれ。作曲をF.ドナトーニ、三善晃、S.ゴルリ、指揮をE.ポマリコ、岡部守弘の各氏に師事。95年以後ミラノを中心に日本とヨーロッパで作曲と指揮活動を続ける。

西村沙知さんによる評へのリンク。


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