【お金の事】3回目、お金の存在理由

さてさて、3回目。
板橋的にはこのnoteでお伝えしたいのは「お金に対する考え方」なんですよね。
制度的な事はたくさんありすぎて、正直どこから伝えたら良いんだろうというのもありますし、知らない制度もありますのでそれは一旦置いておきます。
なので、それとは違う角度から攻めていきたいと思います、はい。

そもそも論なんですけど「現代のお金は信用の価値が数値化した物」という事なんですよね。
だって、昔は物々交換でのやり取りが当たり前でした。それだとお互いのニーズ(需要)・欲しい物が合ってあれば良いのですが、ニーズが合ってないと交換が成立しないですよね?
例えば、お米を含めていくつかの作物を育てている農家の乙さんに、米農家の甲さんがお米を持って行ってお米と換えてもらうことなんてないですよね。お互いにお米は持っているんですから。(注・品種がどうこうという事は無しで考えてます)
というわけで、ここにはお互いのニーズはありません。交換不成立です。

後日、乙さんの所へ根菜ばかり育てている丙さんが「お米が欲しいからこの大根と換えてくれ」とやってきました。が、乙さんは「うちでも大根は作っているからいらないよ。むしろ新しい農具が欲しい」と言いました。
丙さんには「お米が欲しい」というニーズがありましたが、乙さんには「農具が欲しい」というニーズがあっても、「大根が欲しい」というニーズはないわけですよね。結果、交換は不成立になってしまいました。

こういうやりとりが続く中「物との媒、代わりになる物」があれば交換がスムーズにいくんじゃないかという事で、お金の概念が生まれたんですよね。結果、お金と物との交換が始まったわけです。昔は石のお金がありましたけど、ちょいと不便だなという事で、今度は手軽に扱えて腐食や劣化のしにくい金属が貨幣として使われ始めたのです、が・・・それでも昔は物々交換の延長上にありました。
例えば、お米10升=金なら10グラム、銀なら100g、銅なら1000gのように換算されて、お金の流通が始まったわけっス。この考え方だと、お金も物って考え方ですよね。
で、大切な事なんですけど「この「物々交換が経済学の考え方」なんですって。

世の中のシステム的な事で言ったら、人が働いて物を作る・生産(「供給」)する理由は、誰の欲しいという「需要」を満たしてあげて、その対価として「お金」を貰うって事じゃないですか。それで自分の目的や生きるという「需要」を満たす為、誰かが作った(「供給」した)物に対して、「お金」を払っているんですよね。

で、ですね。
フランスの経済学者でJ・B・セーという方がおりまして、この方が「働く事で生産された物やサービスは[必ず]他の生産された物やサービスと交換される」と言いました。セイの法則というのですが、ここには預金する考え方はありません。ですが、ですぞ。この「需要=供給=お金=需要=供給=お金・・・」という図式なわけですから、この「需要・供給・お金」の3つは循環し続けて停滞する事は無い‼︎ という考え方が経済学の前提だそうですぞ。

・・・あれ?
それって、おかしくないですか。
まぁ、投資は誰かの仕事にはなってますけど、個人の貯金や会社の内部留保なんかでお金が停滞してますやん・・・
しかし先ほど書いた「物々交換が経済学の考え方が前提」なんだそうです。
はてさて、じゃあ世の中の経済学者のどれだけの人がこの考え方が変だって気づいているのかなぁ〜って話ですよ。

あれれれ〜
板橋は最初に「現代のお金は信用の価値が数値化した物」って言ってましたやんか・・・(4回目へ続く)

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