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「依存」「共依存」との縁切り(ぐだぐだと愚痴っぽいかもです)

母親に縁を切る宣言をした。

父、母、姉と縁を切るという宣言は私には到底受け入れることのできない決断だった。

私は40年以上、自分の生まれたときの家族がいつの日か手を取り、心底理解し合えなくても一緒に旅行にいけるくらい大人の対応ができる家族になることを夢見て、努力してきたのだ。

いつの日か、父、母、姉と私の4人で仲良く食事ができる日を夢見て、それを私の人生の目的と設定して、私は生きてきた。

母、姉に嫌われないことを目標としていたことにも、ずっと気付かなかった。無意識で目標だった。

父、母、姉と私の4人でいつの日か。という目標も自分では無意識の目標だった。

人は、というか、私という人間は、

「虐げられれば虐げられるほど、自分がなんとかしないといけない」

とおもってしまっていたらしい。

最近、母親から連絡がくるようになってきていた。

桃を送る。とか、青汁を大量に買ってしまったから送る。とか。

父が失明するかもしれない。とか、姉の結婚生活に問題が起きた。とか。

私は自分の精神疾患の状態がある程度落ち着いていたので、連絡頻繁にしないで〰と言いながらも、簡単に返信し、自分が平常心で対応できているかを観察しようと思った。

ある程度、過去のことは流せるようになってきていた。

数か月前までは、何かの拍子に過去の記憶がよみがえり、あのときはぁ〰!!この〰!!!許せん〰!!!!みたいになっていたのだけれど、もう、いまはそんな感情がでることもない。

ただ、


現在進行形で、母は私の話を聞かない


のである。

現在進行形で、過去から何も変わらず、


私自身がどう感じているのかとか興味がない


のである。


話はいつも母親自身の話にすりかわり、どこにも


「あなたはどうおもったの?」


という私に関心をもつ会話は成立しない。


なので、私が以前、勧めた本とか、YouTubeとか、一切みてない。私が何に興味を持っているとか関心がないのである。

私が以前これいいよ!と勧めたYouTube動画と同じ人が配信している動画を私に勧めてきたりする。


このときに、私はやっと気付けた。


あぁ、母親は私のことを知ろう、知りたいという気持ちは一切ないのだな。と。


そんなことすら、私はわからなかった。

「わかっていたつもり」で、母が私自身に興味がない。ということは「知っていると思っていた」のだけれど、実際には、腑に落ちていなかったというような感覚。

あぁ、母は母の中の空想の私しかみておらず、本当のリアルな私に関心がないし、そもそも、リアルな私がいるってことがわかってないんだな。なんて思っていた。

そして、気付いた。


私は結婚生活で精神疾患になり、別居し一度実家に帰った。

実家で生活する3か月くらいは、日中はほぼ寝て過ごし(猫さんがいてくれた)、夕方〰明け方はずっとひたすら泣いていた。

このとき、母は、いつも母がそうであるように、最初やさしい声をかけて、その後自分が飽きるか、もう我慢できなくなると「いい加減にしろ!」と怒鳴りつけた。

父は、腫れ物に触るように一切私に関わりをもたなかった。でも、それまで父は私に暴言を吐いていたので、腫れ物にさわるように関わらないことが父の愛情なのだと思い込んでいた。

以降、離婚後も、父、母、姉の誰も、

「あなたは大丈夫なの?」

と、気持ちをたずねてもらえることはなかった。

退職し、まったく動けなくなって、精神疾患がかなりの状態になり、自傷行為も激しくなってきたときですら、誰も私の手を握ってくれる人はいなかった。(猫さんがそばにいてくれた)

それが、私が仲良くすることを人生の目的としていた私の家族なのだ。

私がボロボロに傷ついて、どうしようもないときに、寄り添ってくれることのない家族。

そんな人たちのために、どうにかこうにかと考えている私って愚かすぎて、なんというか、もう馬鹿につける薬はないとはこういうことだと思った。


母にラインをしていて、どんどん気付いていく。

母がリアルな私に関心が全くないってこと。

母が傷つくくらいなら、娘から離れて見守るというのが愛情だという考えを私に押し付けていることを。


そして、私が家族に執着していることを。


もう、いらないと思った。


「あなたはどう思うの?」

「あなたの話を聞かせて?」

「あなたがどう感じているのか聞きたい」


そんな風に私に関心をよせてくれないばかりか、私が「I(アイ)」メッセージで、私はこう思っている。と伝えたところで、馬耳東風がすごい。笑


これは、たぶん、人の心や人格などを学んでこなかった、まぁ、いわゆる毒親になる人たちにあてはまるような気がするけれど、

「縦の社会」の考え方しかしらないのが一因なのかもしれないと思う。

自分がたとえ何もしなくても「親」なだけで、もう偉いのである。

末っ子がどんなにやさしいことをしてくれても、「末っ子」なだけで、もう彼らの奴隷であり、意見を尊重する必要はないのである。


母としばらくラインをしていたあと、私は、

もう、私と関わらないでほしい。

と、送信した。


私は、お父さん、お母さん、お姉ちゃんと仲良くできるにはどうしたらいいのか、やり方がわからなかったけど、それだけに心を費やしてきた。

お父さんには交換日記を。でも返事はなし。

お姉ちゃんからは、わたしのことを恨んでいると私が感じるような言葉ばかりだった。(10年前に一方的に絶縁されていたけれど、私から和解を申し出ていた。でも姉は私のことをいまだに強く恨んでいた。)

お母さんは、いつまでも、わたしが何を言っても、お母さんの苦しみを和らげてほしいと私に要求してくる。

お父さん、お母さん、お姉ちゃんが喜ぶ方法はひとつだけ。私が自分を殺してみんなの犠牲になって生きること。

私が犠牲になり続けていると、末っ子を解放してあげないとね。って話がでる。

私が自立して、自分を大切にしようとすると、お母さんは「勝手にすればいいやんか」と突き放し、お姉ちゃんはお母さんのことをすべて受け入れろと、私にまた奴隷をやれという。

自分を犠牲にしても、お父さん、お母さん、お姉ちゃんの奴隷でも、生きていけるのであれば、私はやり続けた。

でも、その状態だと、結果、私の精神は崩壊して、仕事もできなくなって、生きることができない状態になってしまう。

私は生きないといけない。

お父さん、お母さん、お姉ちゃんはわたしを生かすことすらできない。

だから、もう連絡してこないでほしい。

私は生きたい。自立したい。

私は、幸せになりたい。

だから、もう関わらないでほしいし、お父さん、お母さん、お姉ちゃんの問題もそれぞれ頑張って解決してください。

お母さんがどんなに苦しくても、もう私に助けを求めないで。

お母さんがお母さん自身で解決して。

お父さん、お母さん、お姉ちゃんと関わらなければ私は幸せになれる。

私の気持ちは理解されない。どれだけ私がお父さん、お母さん、お姉ちゃんのためにこころをくだいてきたことも。

私のひとりよがりで、40年以上頑張ってきたやり方は間違いだらけで、いい方向には何もいかず、どんなに反省しても、何をやっても、うまくいかなかった。

私にとって一番つらい決断である、家族と縁をきって、自分を尊重するという選択をしないといけないなんて、神様は本当に残酷だと思う。



と、ここで、母が「これから家にいってもいい?」と聞いてきた。

私は「いいよ。会うの最後になるかもしれないから。」と返信。


母が来て、話をしていると、いつもの通り、演劇、ドラマのような口調になり、(私から見ると自分に酔ってるな〰という感じ)激しい口調で話し始めたので、

「あのね、感情に任せて話しているから、聞いている側が不愉快に感じるの。私が話しているみたいに、たんたんと、感情と切り離して話してくれる?でないと、聞くに堪えないよ?」

と、そのたびに促し、私は一切感情的になることはなく、

私の中で「もうこれが今生の別れになっても私はそれを受け入れる」という覚悟ができつつあった。

たぶん、私は冷静で、でも、冷徹ではなく、父、母、姉のことを本当に大切に思っていて、脅しとか相手をコントロールしたいという意思が全くないということは母に伝わったのではないかと思う。

私は一貫して、

「父も、母も、姉も、リアルな私に関心がない。私がどう感じ、何を思っているのか、知りたいなんてこれっぽっちも思っていなくて、私はこういう人間だと決めつけられている。私がこんなにひどい精神疾患を患っているのに、誰も私の家にきて、私の手を握ってくれる人はいなかった。過呼吸になっているときに、大号泣しているときに、背中をさすってくれる人はいなかった。私をすり減らすだけの、ただの血のつながりは、もう、いらない。と思った。」

ということをいろんな伝え方で話し続けた。

すると、母が話すいろんな話を聞けば聞くほど、「母がいかに私に関心がないのか」ということをどんどん実感できた。

これまでは、母の「嘘」が私のめくらましになっていた。

たとえば、

「前の会社にいたときだって、すごい仕事を乗り越えて、キラキラ輝いて、やっとここまできたって。年収だって高くなって、どんどんまたきれいになって、よかった。って、ずっとあなたのことをみてきた。」

と、母はいった。

これまでの母の嘘でめくらましされていた私は

「お母さん、ありがとう。私、頑張ったよ!頑張っている姿をみてくれてありがとう!」

と、さらに自分の心に蓋をして、鞭をうって、がむしゃらに働きつづけた。

母の嘘のめくらましがはずれた私は

「え?本気でそれ言ってんの?異常に働きすぎて、熱が40度近くになっても翌日福岡出張とかで(コロナ前です)休み中でも請求書の送付が完了してないって連絡がきて(担当は私ではない)間に合わないと工期が遅れるから22時過ぎに出社してたりしてたの知ってたよね?辞める前のときは、他人の上司が 大丈夫?おかしいよ? って私の精神状態が崩壊しているのに気づいたんだよ?一番近くでみていたはずのお母さんが全く気付かないで、キラキラしてた!なんていうのが本当におぞましい。それがみてない。私に関心がないっていってんだよ?」

と、現実がみえるようになった。

2,3時間ほど話したところで、母が、「私もあなたの通っていた心療内科に行く」と言い出した。

こういうの、絶対行かない人だった。

占い。とか、スピリチュアルカウンセリングとか、お寺とかに行って、演技がものすごくうまいので、素晴らしい人間像の嘘を信じて称賛される場所にしかいかない人だった。

自分の真実が見抜かれると、ひどい!といって、怒って逃げ帰る。絶対自分の嘘を見抜かない人の話しか聞かない人だった。

私が通っていた心療内科の先生は、絶対母の嘘を見抜くと思う。母の話の矛盾を見抜くと思う。

それに、自分は精神病院にかかるような人間ではないと豪語していたので(私が心療内科に通っているのに。助けられているのに。)母が心療内科に行ってみるというのは、なかなか、すごいことだと思った。

これから、母が心療内科に行くことができたか、通い続けることができたか、それは私の知ることではない。

私は、もう2度と会うことはないのかもしれないと思っている。

私は、たぶん、「家族へ依存」していたのだと思う。

家族が不仲な人はダメ人間なのだと、教え込まれてきた。

最近、おもしろい現象として、頭の中にふと、わく言葉が、自分の考えではなく、母親に刷り込まれた考えなのだと、気付くことがある。

たとえば、母親からもらったオリーブオイルを使って作った料理を食べているとき

「こんなおいしいオリーブオイルを送ってくれたお母さんのことはやっぱり大切にしないといけないな」

なんていう考えが浮かぶ。

浮かんだ瞬間、自分の考えではない。という強烈な違和感がある。

私の考えは

「オリーブオイル、おいしい。お母さん、ありがとう!」

以上

そのあとの「お母さんを大切にしないといけないな。」なんていうのはない。ありがとう!感謝!で終わり。


「依存」「共依存」って立ち直ることが本当に難しいらしい。


そもそも、自分が人間関係の「依存」「共依存」になっていることに気付くのがとても難しいのではないかと思う。


それは、

自分自身の力を信じることができていなくて、

だから、

他人にも立ち上がる力があるということを信じられない

からなのかもしれないと思う。


その夜、なんとなくインド映画の「きっとうまくいく」を見た。

上映当時、結婚相手の転勤で地方に住んでいて、公民館に観にいった。

私の記憶では、ものすごく、苦しい映画だった。いいことを言ってくれている映画だけれど、途中からずっと泣きどおして、心がえぐられるように苦しくて、最後まで観ていることが苦しかった。

なので、あぁ、苦しい映画なんだよなー。でも、いま観たら違うかもしれないから観よう〰。と思ってアマゾンプライムで視聴した。

。。。。。

なにがそんなに苦しいのか全くわからなかった。

自分のやりたいことをやろうぜ!勇気持とうぜ!って映画なんだけれど、私は心に蓋をしまくっていて、自殺した人に自分が重なりすぎていたのかもしれない。

The Greatest Showmanも同じ。映画館でみたときは心が痛くてみるのがつらかった。This is ME!の歌の勇気が苦しかったのだと思う。

いまは、ふつーに、おぉ、いい映画だな。としか思わない。

よかったな。と思う。

家族、もう、いーらね。と家族を恨むことなく、心穏やかに思えることができた記念カキコ。


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