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「うるさい」「だまれ」発言を遮って話に耳を傾けることをしらない両親に育てられたのであれば大人になったいまこそ自分の感情、気持ちに耳を傾けてくださいという話

私には「自分軸」という考えが全く理解できませんでした。

アドラー心理学の「嫌われる勇気」という本をたまたま書店で手に取り、読みましたが、「自分軸」が一ミクロンも身体の中にないので、全く理解できず、新しい考えだともわからず、すぐにアマゾンマーケットプライスで中古転売しました。

いまから7年前に「自分軸」とアドラー心理学という言葉を知り、それから4年後に、真剣に「自分軸」というものを自分に取り入れようとおもう出来事がありました。(交際していた人と問題がこじれてしまうことを友人に相談したときに、友人から、私が他人軸であること、課題の分離ができていないことを指摘してもらったのです。)

「自分軸」が全く私の概念にない理由は、幼少のときから意見をきいてもらえなかったことが原因です。

私の両親は、子供だけでなく、大人からでも他の人の話を聞くということを知らない両親です。

私の両親は、父親、母親ともに、少し話を聞いただけで、自分の解釈ですべてをわかった気になり、話をさえぎり、自分のおもう解決策だったり、自分の意見を押し付けます。

夜、私が寝ていると、両親の壮絶な夫婦喧嘩がはじまります。喧嘩しているのもイヤでしたが、ものすごくうるさく怒鳴りあっているので(父親、母親ともにお互いの話を聞くということを知らないので、お互いがお互いの言葉にかぶせて怒鳴るのでとてもうるさいのです。)私は目を覚まし、喧嘩をやめてほしいとお願いしにいきます。

かならず父親、母親両方から「うるさい」「だまれ」「だれにむかってものを言っているんだ」「子供の口出しすることではない」と、私の喧嘩をやめてほしいという言葉に耳を傾けてくれることはなく、大きくなるにつれて、「そもそもお前は偉そうな口のききかたをするようになった。誰に飯を食わせてもらっているんだ。」等々喧嘩をやめてほしいだけなのに、夜中に私も怒鳴られてとても嫌な気持ちになっていました。

一方で、両親とも私のことはかわいかったので、私がほしがるものを与えてくれたり、私の進路のことを親が真剣に考えてくれていたりしました。(私の意見を尊重するということを知らないので、結果私が望んでいるものとずれていたりしたのですが)

高校生のころ、満員電車で通学していた時、頻繁に痴漢にあうことが続くことがありました。

ずっと記憶に残っている恐怖かつとても不快な記憶は、とても太った人に端に押し付けられ、お尻を触られているので、「やめてください」と小さい声で抵抗し、おもいっきり腕を伸ばして触れないように抵抗するのですが、お腹の肉があつくて、どんなに押しても力が吸収されてしまうのです。そして、私は肉団子の中に押しつぶされて、「うるさい。黙れ。」と耳元でささやかれました。

私は痴漢にあうことがおおい人生で、幼少のころからよく痴漢にあっていました。父親も母親も現実を直視せずに、みないことで蓋をして平和を装うやり方をする人なので、私の恐怖は置き去りでした。また、父親は愛情表現がゆがんているので、私が3歳ごろのとき、私のことがかわいくで、頬をなめながら私の陰部をなでていました。とても気持ちが悪かったので、泣きながらやめてほしいと父親、母親に要求しても、叫んでも、父親も母親も笑っているだけでした。

これが、高校生のときの電車での痴漢体験の状況とよく似ているのです。どんなに嫌だと叫んでも、やめてほしいといっても、私の声は誰にも届かず、力はおよばず、まさにのれんに腕押しで、なんの手ごたえもない。そして、だまれと脅される。どんなに叫んでもどうしようもないので、脱力して、恐怖に、自分の苦しみに蓋をする。

結婚後、夫だった人はいわゆるモラハラ夫と定義されるような言動をするようになりました。彼が受け入れることのできない要求を私がすると「じゃあ離婚するしかないな」(実際は離婚するつもりなんてなかった)「言うとおりにできないなら、慰謝料請求するよ」など、いろんな脅しを私にかけてきていました。私は自分がしたいことがわかっても、あきらめて脱力してしまうのです。相手の要求を受け入れると精神的に崩壊すると、きっと私がわかっていたのであろうとき、私は鼻血が止まらなくなりました。この要求は受け入れてはいけない。そう身体が私に訴えていたのです。実家に避難し、鼻血がとまらない。相手の要求は受け入れられない。と父親、母親に泣いて守ってほしいと懇願しました。父親と母親はわたしの言い分を「わがままな娘」と笑って一蹴し、むかえにきた元夫へ「こんな娘だけれどよろしくお願いします」と頭を下げました。

そして、私は精神に異常をきたしました。

ずっと抑えつけられて育てられてきた結果、自分の要求が一番大切なのに、周りに反対されるとひっこめる以外の術を知らないのです。

足並みをそろえるとか、相手を尊重するとかは、自分の意見、要求をひっこめることとは全く別の話であるということ、やり方を知らないのだということを知らなかったのです。

何よりも大切なことは「自分の感情」「自分の気持ち」です。

いつも「自分がどう感じたのか」を一番大事に考えること。それが「自分軸」です。

「他人軸」が強い私はいまでも悩み事を考えていると、自分の気持ちを考えていたはずなのに、いつのまにか「周りや相手の状況」や「相手の気持ち」を優先的に考え、あの状況なら仕方ないか。と納得して終わらせようとしてしまいます。

結局この「他人軸」視点で何を言っても、どう行動しても、自分自身がHappyだと思う解決策にはならないのです。職場で有能だと評価され、給料が高くなって、でも、息苦しくなっていくばかりなのです。

どんなことがあっても、「自分の気持ち」を最優先させる勇気が大切なのです。

「やりたくない」とおもうきもちの裏にどんな感情があるのか。どうして「やりたくない」とおもうのか。

たとえば、ここで「どうしてやりたくないと言えないのか」と考えるのが「他人軸」の落とし穴です。どうして言えないのか。の答えは周りに依存する可能性が高いのです。

よくハウツー本や自己啓発本などに「私は」を主語にして話す。という技法が書かれていますが、感情を伝えると、言葉ではなく、思いがそのまま相手のハートに伝わるということを何回か経験しました。

まだ、私も「他人軸」が抜けきらず、時々、あ!自分の気持ち中心に考えてみようと意識を戻さないといけない状態ですが、一度自分の気持ちが相手のハートに伝わるという経験をすると、すこしずつ上手に伝えられるようになって、すこしずつ自分の気持ちを大切にできるようになって、すこしずつ自分が無力だとあきらめることから解放されるのかもしれないな。と思います。

2021/7追記

アドラー心理学の根底として「自分の主張を聞こうともしない人との縁なんて切ってしまって構わない」ということがあります。

自分の目的がたとえば「この会社やめたい」というのが先にあって、自分の主張を聞いてくれない状況を自分で作り上げていることもあり得るのでよく落ち着いて考える必要はあるという前提がありますが。

私の父親の話を遮って黙れ!というのは、私の人格を否定しているからなのだと思います。お前(私)の話に耳を傾ける必要はない。という俺は父親なんだぞという縦の関係で私のことを見ている父親です。

私はまだ「横の関係」を築けるよう心掛けている段階ですが、きっと「横の関係」で対人関係をとらえられるようになってきたら、「え?何を言ってんだこの人は?」とびっくりして何も言わないですっこんでることなんで自分の選択肢になくなるのではないのかな。と思っています。

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