20240224

  • 連日の雨の中を自転車通勤したり自転車通勤したり自転車通勤していて「体力が奪われる」というのはこういうことかと実感している

    • なんでリモワさせてくれないの???

      • 狩猟採集時代だってたぶん雨の日はあんまウロウロしないでその場でじっとしてできることしてたと思うよ

        • なぜ現代人だからという理由でハイテク雨具に身を包んで通勤しなければならないのか理解に苦しむよ

  • 面白かった

    • 研究者ほど研究ができない(大学の授業とかその準備とか事務仕事とか科研費の調達とかいろいろにリソース割かれすぎるから)という話、SNSなんかでもよく聞くけど、本当に研究だけしたい研究者も世の中にはたくさんいるだろうに大変そうすぎるなと思った

      • 大学に所属している研究者のなかには教育の方に比重を傾けたい先生もたぶんそれなりにいて、どっちが多数派かはわからないけど、大学のシステム的に研究以外の業務をすることが苦痛でない人のほうがストレスフリーにうまくやれる構造が出来上がってしまっている。以前ゆる言語学ラジオに出演されていた伊藤悠馬先生は出勤簿のハンコを押すのが苦痛すぎて大学勤務を断念したそうだし(出典)、たぶん企業に所属している研究者もただ研究だけしていればいいというわけにはいかなくて、研究者にもコミュニケーション能力は当然のように要求されて、中には社内政治みたいなものに苦慮して消耗する人もいるのだろう。つらい

      • 文系はその点であんまりお金がかからなくていいな。専門にもよるだろうけどコンスタントな必要経費はせいぜい資料代や消耗品ぐらいで、何千万もする機械や鬼のようにハイスペックなパソコンを導入する必要もない。フィールドワークするタイプの研究だと旅費もかかるし体力もいるのだろうけど、なんらかのまとまった成果を出そうとしたときに青天井にお金がかかりまくるようなものではなさそうだ。そのせいでかは知らないけれど文系学部の研究費が削られたり某元府知事がドヤ顔で反知性を公言したりする(出典)という負の側面はあるにしろ、文系研究者が個人レベルでできることは、理系研究者のそれよりも多少のレンジがある。最悪、大学や企業に所属しないまま研究することすらできる。そうすれば大学の雑務で消耗することなく、自分のやりたい研究をやりたいだけやれる

        • そういうそれほどお金がかからないことにも興味をもって、それを専門にしたいと思う人もいるというのもべつに悪いことではないよなと思う。そういう人ばっかりだとそれはそれで困るけどたぶんそうはならない、文学とか哲学とか法学とか文化人類学なんかには欠片も興味がわかないという人も多い、というかそれが圧倒的多数だと思うから

        • 学問の世界では研究費をどのくらい獲得できるかとか世界的な功績を残せるかとかが優先されがちだけど、個人レベルでできることを細々とやっていって、取るに足らない些細な発見が星の数ほど生まれては消えていくみたいな営みは美しいものだと思う。博士号を持っていなくても、大学や企業に所属していなくても、なにか専門分野をもってそれに打ち込めるし、それにお金が必要だとなったらなんらか集金できる手段もある、っていう社会のほうがいいなと思う。俺の役に立たないものには金なぞ出さんし許さんぞという意見が過半数を占めるような社会はゴミカスだ

          • 本当につくづくBIがあったらなぁと思うな

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