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⚾️グラウンドにいた、優しいオジサン。

前髪がおでこにはりついてしまうような、そんな湿気の凄まじい日。太陽が隠れていたことが、唯一の救いだっただろうか。

懲りもせず飽きもせず、私はまたグラウンドへ向かった。

大学野球の春季リーグ戦が終わって二カ月ほどが経過。いよいよ夏本番。秋季リーグ戦に向かって、各地でオープン戦が行われる。


今日もまた人気のない僻地。観客がいないことが慣れっこであっても、やっぱりどこか寂しい。そんなことを考えていたら、隣に人が座った。


「もう試合始まってるんだね、今日は誰が投げるのかな」


後方に座る選手に話しかけていた。やり取りをみるに、常連の観客だろう。白いキャップに半袖のTシャツ。見るからにアスリートの、優しそうなオジサンだった。

私は黙って試合をみていた。あんまりまわりのことは気にしないタチだけれど、少しそのオジサンが気になった。

オジサンはストライクをとるたびに拍手を送っていた。投げ終わった選手が横を通ると「本当にいい投球だったよ。感動して涙が出そうだよ」と、まるで実の息子をみるようだった。



こういうのでいいんだよ。



球場にいくと、色々な人が隣に座る。オジサンみたいに優しい人もいれば、辛辣な言葉を投げつける人もいる。酷いとプレーどころか人格否定や差別的な表現だって飛ぶこともある。

綺麗な言葉だけをいえとか、いいことばかり考えろとかそんなことはいわない。誰がなにを思おうと自由だし、それを止める権利なんてない。私だって、試合展開によっては『なにやってんだよ』と思うことだってある(実際口に出すかは別として)。でも、それでも、優しさは忘れないでいたい。


とても気分のいい数時間だった。清々しいというか、優しい空間に包まれていた。オジサンは選手一人ひとりに声をかけていたが、余計なことは一切いわない。「最近どう、頑張ってね」と、たった一言だけ。選手もきちんと受け答えをしていて、信頼関係があるのだと感じた。

オジサンは試合が終わるないなや、さっさと帰っていった。選手に気をつかわせることもなく、最後まで紳士だった。

色々な応援の形がある。私はそれらを否定するわけではない。ただ、このオジサンのような優しさに溢れた応援が好きなのだと、改めて感じた。心が洗われたようだった。

昨今、SNSで手軽に書き込むことができる。選手のプレー、人柄や成績など様々な情報を手に入れることができる。物凄く辛口な書き込みをみかけるたびに、学生でもここまでいわれてしまうのかと、不憫に思うことがある。

言論の自由とはいうけれど、やっぱり相手を貶すような物言いは好きではない。たかが学生野球、されど学生野球。学生だから、プロだからと区別するわけではないが、学生野球は優しさが溢れる場であってほしいと願っている。


―――


真っ直ぐに試合を見て、選手に拍手を送るオジサンの姿を、隣で微笑ましく見ていました(無言で)。野球をみていて、久しぶりにあたたかい気持ちになりました。

あのオジサンはチームのファンなのだろうか、それとも選手の保護者なのだろうか。謎に包まれたままですが、自分の心まできれいになったように感じます。

野次を飛ばす人、選手を査定する人。色々な応援のかたち、野球観戦の方法があって良いと思っています。誰も間違いではないし、かといって正解もありません。

それでも私が甘すぎるのか、やっぱり辛辣な言葉は好きではないです。選手を馬鹿呼ばわりしたり、必要以上に責め立てるのは、どうしても見ていられません。

野球って勝敗が必ず決まるので、ゲームの展開によってはいいたいこともたくさんあろうかと思います。私も熱が入れば色々考えることはありますし、口に出そうになることだってあります。

でも、やっぱり、優しい言葉で溢れる人でありたいなって、偽善者かもしれないですが、そうやって思うのです。綺麗ごとばかりで生きられないけれど、そっちの方が豊かな人生を送れる気がします。

オジサンみたいな人に応援されている選手って、とても幸せ者だな。私はそう思いました。前向きにしてくれる、自己肯定感を高めてくれる。そういう人ってとても貴重ですし、大切にしたいと私は思います。

優しさは強制されるものではありませんが、温かい人間でありたいなと改めて感じました。オジサンはリーグ戦へいくのでしょうか。いつかどこかでまた見かけたらいいな。そんな心温まる一日でした。


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