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今、少年野球は大人の趣味である(1)

 地域に根ざした少年野球チームで色々問題が起こるとき、そこにはだいたい困った大人(監督・保護者・審判等)が絡んでいる。
 そういう大人たちを観察してみると、少年野球が単なる趣味になっている大人がいかに多いか分かるだろう。

 それが悪いとは言わない。親以外の大人はほぼボランティアの活動であるから楽しくなければ続かない。指導者も審判もみんなが「やりたくない」と去ってしまえば現在のような少年野球チームのシステムは立ちゆかなくなる。趣味であれなんであれ、活動を支える大人たちの存在はとても重要だ。
 
 ところがそうした状況にあぐらをかいて、大人たちが好き放題やり過ぎているのが現在の少年野球の世界だ。
 大人の草野球チームなら好き放題やって結構。しかし少年野球は子どもが主役の活動であり、大人の楽しみが優先されすぎると必ずそのしわ寄せが弱者である子どもに行く。そこが問題なのだ。

 大人の楽しみが優先されすぎると何が起こるか。
 ほぼすべての大人は自分の関わるチームが「試合に勝つ」ことで興奮と幸福感を得られる。だから勝つために手段を選ばなくなる。それが子どもに対する暴言、ケガを押してでも出場させるような虐待(あえて虐待と呼ぶ)といった直接的で分かりやすい言動を引き起こすのはもちろんのこと、大人同士の幼稚な駆け引きにつながることも多い。

 少年野球の世界に限らないだろうが、その競技の底辺にあたる部分では「正々堂々」という言葉が全く当てはまらない小競り合いが日々当たり前のように起きている。
 監督同士の不仲や強いチームへの嫉妬を起因とした嫌がらせ、審判の偏った裁定、ヤジのような声出し。
 同じチーム内では「うちの子の方がうまい」という親同士のマウントの取り合い、監督にいかに気に入られるかという政治活動等・・・第三者が聞いたら「本当にそんなことがあるんですか?」と耳を疑いたくなるような幼稚な言動が「子どもたちのため」という言葉を隠れ蓑に横行している。
  
 それだけではない。一見健全にみえるチームでも、監督やコーチがそのコミュニティにおける自分自身の立場を守ることを優先し、改革などに消極的になったり、上層部や声の大きい保護者におもねって問題解決に踏み込まないなど、子どもに対する配慮が後回しにされるケースもある。

 そういう大人たちの言動は子どもたちに必ず漏れ伝わる。大人たちは例え隠しているつもりでも必ず雰囲気を察し影響を受ける。敏感できちんと理解できる子は、高学年にもなるとこうした大人たちの身勝手な快楽主義に反発するようになるが、大人はそれを「反抗期」と片づけて深く考えない。
 
 こうした状況は「子どもたちが野球を通して成長する」という少年野球本来の目的から大きく逸脱する要因になっていることは言うまでもない。いや、そもそも少年野球の本来の目的はそれで正しいのだろうか。

 実は少年野球は、野球が好きな大人が子どもを使って野球を楽しむ場という方が、私は正しい気がしている。

(2)につづく。

  

  
 

 

 

 
 

 

 

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