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連載 | BASE ART CAMP interview vol.6 【伊藤東凌】

《BASE ART CAMPを通して目指したいこと》

BASE ART CAMPはBASEのメインプログラムとして2022年に開講予定のビジネスパーソン向けの実践型ワークショッププログラムです。京都にゆかりのあるアート、演劇、映画、音楽といった多様なジャンルのプロのアーティストが講師となり約半年間のプログラムをおこないます。創造の原点に触れるような実践的なワークショップを中心に、アーティストの思考や制作プロセスから人生を生き抜くための術と知恵を学びます。

BASE ART CAMPを運営する「一般社団法人BASE」は、6つの芸術拠点と京都信用金庫が共同で立ち上げた団体です。今回お話をうかがうのは、6つの芸術拠点のひとつである「両足院」の副住職・伊藤東凌さん。建仁寺の塔頭……いわゆるお寺でありながら、国際写真祭「KYOTOGRAPHIE」の会場になるなど、京都に欠かせない「表現の場」となってきた両足院。BASE ART CAMPではどのような形で関わるのか、寺院や仏教と芸術の関係性についても教えていただきました。

自分の深い部分を表に出す最初の一歩を両足院として繋がりたい

ー:今回、両足院はどんな関わり方をBASE ART CAMPでおこなうのでしょうか?

両足院の境内を、ワークショップの会場として開放いたします。 BASE ART CAMPはいままでにない新しい芸術を学ぶ場所だと思いますので、そこに宗教施設である仏教寺院が関わることができるというのは、京都で新しいアートを知る機会において、大きな意義があるんではないかなと思っています。

ー:伊藤さんは講師ではなく、場所を開放されるんですね。

そうなんです。なのでプログラムの具体的な内容はあんまり上手く喋れないんですよ。すみません(笑)。

ー:以前から芸術祭の会場になっている両足院ですが、BASE ART CAMPとの関わりで期待する部分はありますか?

ものをつくる時って、自分の深い部分と向き合ってから、その感情や完成を作品として表に出すものだと認識しているんですけど、普段の生活って、あまりそこ……自分の深い部分に向き合えないじゃないですか。忙しくてそんな時間とれないって人も多い。

ただ、お寺というのは自分の深い部分と繋がることができる、そういう場所です。 お寺のなかで自分の深い部分としっかり向き合って、それを表に出すという勇気というか、はじめの一歩を、両足院として繋がることができるならば、それは素晴らしい機会だなと思っています。

自分は技術がないけれど、表現者と並走したい


ー:仏教って表現が豊かですよね。仏教の世界観を表すための曼荼羅や、お経ひとつとっても多様な解釈ができますし。仏教自体は人が生み出したものですが、その表現に人の想像力が追いつくかと言われたら、かなり先を行ってる感じがします。

確かに、仏教世界の表現って豊かですよね。ただ私としては「すごい世界観だ」って仰々しく構えてもらわずに、日常生活のなかに仏教の教えを取り入れて欲しいと思っています。そのためには、時代に合ったカジュアルでいろんな形の表現が、仏教やお寺にも必要だなというのは前から感じていまして。

昔ながらの表現も大事ですけど、現代って一昔前には考えつかなかったような技術革新も著しいですよね。 デジタルを活用したり、新しい素材を組み合わせてみたり……。仏教世界の表現はもちろん、両足院を表現の場とする機会には、新しい選択肢を積極的に取り入れていきたいですね。

ー:そういう柔軟な考えを伊藤さんが持っているのは、なにかきっかけがあるんですか?

昔、祖父が住職をやっていた時代ですが、両足院は観光スポットとして一般客に開かれていたわけではありませんでした。しかし、幼少期の私がここの廊下を走り回っているすぐそばに、由緒ある掛け軸がかかっていたりしたんです。襖絵が長谷川等伯の作であるとか。とくに観光客に見せるためではなく、日常の延長線上に、今では博物館に所蔵されているような品々があった。しかも見るだけではなく使っていました。

つくりだされたものの用途を殺して仕舞ってしまうのではなく、変化するライフスタイルに合わせて語り継いでいくといういいますか、変化を恐れないといいますか、そういう空気感は私がここで育っていくなかで教えてもらった事かもしれません。ただ、いつの時代も新しいアイデアを受け入れ、生み出していかなければいけないんだっていうのは、お坊さんとしての自覚がより強くなってからではありますね。

ー:創作に関するお話をされる際のモチベーションなんかは、他のお寺さんよりも積極的な気がしますね。

「表現する」っていうことにすごく憧れを持っているし、同時に大事だなって思ってるんですよね。私自身は写真が撮れるわけでもないし映像を編集できるわけでもない。そういう技術はないんですけど、ある意味での表現者として生きていきたいとは思っています。

だったら、創作ができる技術力を持った人に、自分のメッセージを伝えて一緒に表現してもらうというか、彼らと並走したいというか……。両足院をさまざまなつくり手に開放して、つくり手のアイデアに触れて、「人間とは何か」という問いの理解探求をしている感じかもしれません。「お寺というのは自分の深い部分と繋がることができる」と先述しましたが、それは副住職の私自身もそうなんです。


「自分の進む道とは?」という問いへの触発になる「寺院」という場所


ー:「自分の深い部分と向き合う」って、伊藤さんが話すと納得感がありますね(笑)。ありがたいお説法というか……。

わはは(笑)。社会人ともなると、ついつい自分のリズムを無視して世の中のリズムに合わせた生活になるので、本当にやりたかったことや、本当に言いたかったことを我慢しないといけないタイミングが多いと思うんです。アートを通じて、皆さんが自分のために、自分に向き合う時間をつくるというのは、BASE ART CAMPのテーマに合っているんじゃないかな。

ー:「KYOTOGRAPHIE」の会場になるなど、両足院はこれまでもたくさんの芸術活動に参加されていると思うんですけど、会場としていろんなアーティストが活用するにあたって、普段どういうことを考えたりしていますか?

「KYOTOGRAPHIE」はもちろん、さまざまな若手アーティスト、伝統工芸に関わる職人の人々と両足院は関わってきました。いろんな形の表現、いろんな手法の制作物が、ここ両足院を舞台に展開されていくなか、ずっと両足院として一貫してきたのは、お寺の場所を単なる展示会場として貸し出すのではなく、ともにつくっていくスタイルをとってきたことですね。

テーマやコンセプトがもう確立されていて、アトリエにこもってつくりだされたものを場所を貸してポンと出す形ではなく、勉強会やワークショップをアーティストと一緒に開いて周りを巻き込むようなことをしています。人を巻き込んでいくうちに、いろんな人の目線を知ることができて、なんというか「こんな可能性があるんだ」って気づきがあるんです。新しい角度の発見に、毎回驚かされている感じがしますね。

ー:この両足院にいると、自然と考え事をしたくなりますね。繁華街からはそう遠くない距離なのに喧騒は届かなくて、庭も美しくて。

アーティストが、ひとつ作品をつくり出して展覧会で発表したとしますよね。それで、また次の展覧会に向けて半年とか1年……、次のフェーズに向かってどうやってリセットしようっていう時に、お寺で鳥の声とか風の音を聞きながら、自分はどこに向かっていくんだろうっていう深い思考を生む場所としてはいいなと思っています。

今回は年単位のリセットではないと思いますけど、参加者の人が、仕事や日々の忙しさに埋もれて自分の奥底にあるものが見えなくなっているとしたら、ぜひ両足院の縁側で静かに思考して欲しいですね。作品づくりや作品づくりの構想から、この先の自分自身の進む先を考えるきっかけになるんじゃないかな。

ー:すごく贅沢なプログラムですね……!

何かをスタートしようとするための構想場所として、両足院は最適だと思いますね。


小さな日々の違いに気づくことが、表現力を高めていく


ー:普段、両足院でのお仕事ではどんなことを心がけていますか?

心がけていることですね……。毎日同じことを繰り返すことは心がけていますね。

ー:同じことを繰り返す?

昔は、それって何も変化がなくてすごく退屈そうだな、やだなあって思っていたんですよ。掃除・お勤め・座禅、いろいろなことを毎日繰り返すことによって、「毎日同じことができるって幸せなんだな」ということに気づきました。さらに、毎日の繰り返しのなかで、その日その日の細かな違いに気づいてくるんですよ。

今日の掃除は無駄な動きがなくてよかったなとか、今日の座禅はいつもより背筋が伸びていた気がするなとか。これが週1回だと、小さな変化に気づけません。遠くに行く旅も素敵ですけど、自分の暮らしにある微細な違いを発見するということに、意識を向けられるようになりました。

ー:素敵です。その発見は、作品の表現にも繋がっていきそうですね。

自分のなかの細かなわくわくや違和感を見つける、その探究心っていうのは生活のなかでついつい大人はなおざりにしてしまいますけど。それを意図して引っ張り出すっていうのはできるんじゃないかな。

景色のなかに自分の意識を溶かして、京都で学んで欲しい


ー:京都の場所で学ぶ意味についても教えてください。

京都ですね〜。これはいつも言ってることなんですけど、 京都は是非、歩いて欲しいですね。そう、京都は歩く街です。

街のサイズ感もコンパクトだし、老舗に出会ったり新しい店に出会ったり、豊かな自然に出会ったり、歩いているだけでいろんな発見がある。個人的には、鴨川を北に向かって歩いてもらうといいと思います。街ナカから歩き始めて、丸太町、今出川、北大路……と北上するうちにだんだん山の景色が近づいてくる。街から自然へのグラデーションが本当に美しいんです。歩いているうちに、見える景色のなかに自分の心の移り変わりが見えると思いますね。

さっきから「自分と向き合う」みたいなキーワードを言ってますけど、別にこれってお寺で座って考えるだけじゃないと思います。とはいえ歩くだけでもそれは違う。「今日はこの花に自分の意識が向くんだ」とか「川の流れに、水面に反射する光に意識が向くんだ」とか、周りと照らし合わせて自身を知るという機会はすごく多い。

京都には自分の内面を引き出せる場所がすごく多いので、京都を歩いて、食べて、空気を浴びて、それからお寺にも立ち寄ったりして。ちょっとずつ自分で自分を解放したなかから見つけられる新しい自分というのは、作品づくりにはもちろん人生そのものにも必ず価値があると思います。


▼インタビュー動画



▼プロフィール

京都「両足院」副住職
両足院で生まれ育ち、3年間の修行を経て僧侶に。
アメリカFacebook本社での禅セミナーの開催やフランス、ドイツ、デンマークでの禅指導など、インターナショナルな活動も。


《 一般社団法人BASEとは?》

京都の現代芸術の創造発信拠点として活動する5つの民間団体と京都信用金庫の協働で立ち上げた団体です。コロナ禍を機としてアーティストの制作活動のみならず、京都の文化を担ってきた民間の小劇場、ミニシアター、ライブハウス、ギャラリーなど芸術拠点の経済的脆弱性が顕在化し、今なお危機的状況にあるといえます。そのような状況を打破するために、THEATRE E9 KYOTO、出町座、CLUB METRO、DELTA/KYOTOGRAPHIE Permanent Space、kumagusukuの民間の5拠点がこれまでにない社会全体で芸術活動をサポートしていくための仕組みづくりのために立ち上がりました。

◆BASE ART CAMP について詳しく知りたい方はこちら

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