「終幕キネマ」【アニメと漫画と暮らしの日記】

9月13日(水曜日)

 開館直後の図書館に突撃し、『万葉集』の「巻六」を読み切り、ずいぶん御無沙汰になっていた『資本論』に手を伸ばし、剰余価値うんたらかんたらの論にゆっくりと付き合っていく。果たして30代のうちに『資本論』の「第三巻」まで読み切られるのだろうか? という危惧を抱くが、とりあえず坐骨神経痛とか腰痛とかヒザ痛とかの対策本に手を伸ばして、お茶を濁す。マルクスはたぶん腰痛だったと思う。
 昼前に再度入館し、加藤典洋の文芸評論を読んだり、北海道の旅行ガイドブックを読んだりする。それから、新しくオープンした定食屋に向かうが、敢えなく『本日は終了しました』の貼り紙を眼に突き刺され、ショックを引きずりつつセブンイレブンで弁当とラーメンサラダを買って帰った。

9月14日(木曜日)

 児童コーナーに行き、とても久々に『ポプラディア』に手を付ける。「う」で始まる項目を全て読み終える。一段落したので、そのあとは子供向けの政治の本を読んだり、ご当地グルメの作り方が書かれた本を読んだりしていたのだが、『いったいなぜ俺はこんなことをしてるのだろう』という思いがせり上がってきて、むなしくなって、雨脚が弱まるのを見計らって退館した。
 頼みの綱の蕎麦屋さんも臨時休業で、仕方なくガストに行って、日替わりランチをブチ込んで15分で退店し、マツモトキヨシで洗濯用洗剤と柔軟剤とマスクを買って、帰った。

9月15日(金曜日)

 診察と注射を終え、処方された薬を受け取り、食堂でラーメンを食べる。ここのラーメンを食べなくては帰られないのだ。
 足は図書館へと向かう。『万葉集』の「巻七」を読み始める。それから紫式部ではなく清少納言に挨拶して、岩波の黄色の『枕草子』を読み始めようとするも、歯が立たず、ビギナーズクラシック的な本を参照するが、清少納言の文体が正直言うとあんまし肌に合わん。どうやら『源氏』にしばらく付き合っていくほうが良いようだ。
 さて美術館の開館時刻になり、入館して、障害者手帳を見せて展示室に入り、展示されている全ての写真を見る。といっても写真の味わいかたなど知っているはずも無く、驚くほど短時間で展示室から出てしまう。

 × × ×

「週刊少年ジャンプ」41号。新連載『魔々勇々』。

『テンマクキネマ』の終幕である。連載回数21回の短期終了。全3巻ならば短編映画並みに速く読んでしまえるかもしれない。それで良いのかどうかは別としても。
 なにが悪かったのだろうか。「映画」というテーマがいけなかったのだろうか。
「映画的手法」というタームがあるように、現在の漫画という表現形式は映画に強く影響を受けている。アニメもまた然りで、実写映画1000本観てなきゃ監督に成れないような幻覚すら見える。ただ、『「映画」というものに傾斜しすぎているのではないか?』という疑問も個人的には持っているのだが。
 それはともかく、「映画」というテーマが読者層に響かなかったことが、『テンマクキネマ』打ち切りの一因であるのは確かだ。
 ところで、私の住む街は人口10万人台の地方都市だが、映画館が1つも存在しない。郊外のイオンモールにシネコンがあるのだが、住所は「市」でも「町」でもなく「村」である。したがって私の住む「市」には映画館は存在しない。
 ところで『食戟のソーマ』に続き、このコンビの作品は今作も、主人公とヒロインの関係が淡白なままだった。短期終了というのもあるが、ハジメと姫希(雛希)の関係は淡白なままだった。
『食戟のソーマ』のソーマとえりなの如く、長く連載が続いたとしてもハジメと姫希の距離は縮まらぬままだっただろうか? 私は、むしろ逆に、『『テンマクキネマ』が長期連載になっていたら、濃厚なラブコメ展開が待っていた』と考えていたりするのだが、幕は半ば強制的に下ろされた。

『ドリトライ』。主人公の親父が果てしなく殴られる。親父が殴られるのは『PPPPPP』の最終回もだった。

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