かつての修行先~銀座7丁目~ 「バー アールスコート」
はじめましての方ははじめまして。私、東京は神楽坂にある「Bar Tarrow's」の主をしております。現在コロナ災禍によって自粛休業中となっております。サポート、スキ、フォローいただいた皆様、本当にありがとうございます。励みになります。
今回は主が社会に出て最初の修行先となった銀座のバーのお話を。このお店には約5年の間お世話になりました。長いのでお覚悟を。(笑)
アポ→面接→15分で就職決定
主が大学生時代に就職活動をする際、担当のゼミの教授からの伝で銀座のとあるバーを紹介された話を以前書かせていただきました。(Bar Tarrow'sって を参照)普通は大学生→社会人へのステップとして就職活動というのがあると思います。
大体、企業説明会なんぞに顔を出し、エントリーシートを出して企業に応募をする。その後書類審査をクリアし、一時面接、二次面接、最終面接を経てはれて内定をもらう。こんな流れだと思います。主の場合は違いましたが。
まず大学のゼミの教授からご紹介されたのは銀座7丁目の飲食ビルの地下にあったワインバーでした。(現在は閉店)
ワインバーのオーナーさんが教授のお友達らしく、近所のバーに色々と聞いてくれたとの事で表題にある「バー アールスコート」を紹介してもらいました。なんでもこの春で一人スタッフが辞めるので丁度人を探していたとか。そのお話を戴いてから数日後、実際に面談をしようと言われた主は、まだまだ着慣れないスーツを着て面接に望みました。履歴書を持って。
結論から言うと15分で面談は終わり、履歴書は一度も封筒から出す事無く主の就職活動は成就されましたw
当然のように雇用契約書も無ければ、給料の話も無く、「日曜祝日は休み。月曜~金曜は17時~2時、土曜は17時~24時。店には13時に入る事。」
これだけを伝えられ、「で、いつから来れるのかな?」と。当然のように主は「ご迷惑でなければ明日からでも!」と答えました。若くてバカですね(笑
今回は大学を卒業し、社会人として最初のバーテンダー修行をする事になった酒場のお話を。
とにかく濃いお店でした
かれこれもう20年以上前の話なのでうろ覚えの部分もあり、正確では無いかもしれませんが当時の銀座はとても輝いて見えました。2000年問題なんてのもありましたが時はITバブルの盛りでもあり、「銀座の客層も変わったな」なんてマスターの愚痴が多かった記憶もありますが、それでもまだ濃く残る昭和の匂いを漂わせていたのをはっきりと覚えています。うまく言えませんが、
「イメージ通りの世界だな、銀座って。」という感じです。
「アールスコート」のマスター、ここでは名前はお出ししませんが知る人ぞ知る方でした。業界的に、では無く、政財界の方で。いわゆる大御所様のご子息で、趣味が高じて銀座にバーを構えるまでに至った趣味人でした。なのでそんな人のやるお店ですから、常連さん方もそれはもう濃厚で。苗字だけでピンとくるような政財界の方々が多くお越しになっていたのを覚えております。他にもそうそうたる上場企業のおえらい様から胡散臭さ満点のよくわからない御仁、文壇界の大御所などなど。みなさんのお目当てはマスターとの会話と、コレクションでもある膨大な量の世界中の銘酒でした。
毎年棚卸しをするのですが2000本以上あったと思います。一晩中かかってやっていました。適当でしたがw
「うちは飲み屋だから。バーテンダーのお前さんはバーの修行をするといい。俺はおやじであってバーテンダーじゃねえから色々この辺のマスターに聞いてならうといいや」っていう人でしたので、直接マスターからカクテル指導等は受けなかったですね。ただしマスターには毎晩のようにカクテルを作っては出していて、やれ甘すぎるとか、やれ酸っぱいとかそんな事ばかり言われていました。
なので、バーテンダーとしての技術はマスターには無かったのです。だってバーテンダー修行をしていないのですから。その代わりではないですが、「ずっとお客さんをやってきた、今もしている、だから俺はうるさいぞ」こんな事をいう人でした。
「マスター、サイドカーの練習付き合ってください」と私が言えば、
「おう。ん、何だ、すっぱいなおい。ちょっとお前さん岸の所行ってこい」
と言って他所のお店に練習に行ったり。
「このウイスキー飲んで良いですか?」と聞けば
「いちいち断らなくていい、全部飲んでみて巧くやれ」
いつもこんな調子でしたので。カウンターに座ってこちらに注文ばかりつけてきました。シャツが大きいんじゃないか、髪が跳ねてるぞ、あそこのボトルが正面むいてねえな、カウンターに手を着きながら喋るな、首から上ぇ触った手で何かすんじゃねえ、タバコに火ぃつけるのはお前さんの仕事じゃないだろ、お客さんが火ぃ無くて困ってんだろボッとしてないで火ぃつけて差し上げろ、マティーニなんて巧く作れなくて良いからオムレツの練習しろ、、、、。
嗚呼。。。どれもこれも思い出しながら書いていますが、なかなか素敵なマスターでしたね。嫌な人なら5年も下で働けませんけれども。
技術より気持ち
マスターはバーテンダーとしての技術は無かったのです。ので、あまり技術を教わるという事はありませんでした。相当の数のバーやらなんやらに行っている人だったので、姿勢やらしぐさ、所作にはとてもうるさく、やれこういうカクテルならばあの店で勉強してこい、あそこの店長はセンスがいいとか、あの店の若い奴が出すチャームは面白いから試して来いとか、そんな事ばかりでした。口癖は、
「バー=酒じゃない。飲み屋で酒場で、オヤジがいるのがいいんだよ」
「別に日本一のカクテルなんて出さなくてもお客さんは喜んでくれるよ。お前さんが気持ちよく飲ませてくれさえすれば」
でした。こんな事言って、外に飲みに出てしまうのでお客様がせっかく来てくれたのにマスターがいない、なんて事もしょっちゅうでした。常連様が来ましたよと電話すると「よし、あと30分で戻るからお前さん繋いでおけよ!じゃあな」とか仰るもので。それはもう必死にお客様に楽しく飲んでもらおうと色々お話したりするのですよ。
もちろんお酒を出すのですが、当時というか、アールスコートのお客様だけかもしれませんが、常連様となるとお飲みになる物がきまってらっしゃるので、大体がウイスキーの水割りかストレート。たまにオンザロック、という方々ばかりで。お酒の話ってあまりしなかったのですよ。アールスコートにいた5年間はたぶん酒の話はお客様とほとんどしなかったように覚えています。
では何の話かというと、世情、政治経済、文壇、芸術、映画、音楽、歴史などなどいわゆる一般常識といいますか、普通の話ばかりでした。
「バーで最も高尚な話は女の話だな」なんて御仁も多く、それは楽しそうに色々と若造に教えてくれたものです。あまり役にはたちませんでしたが。
当時の私にできる事は知ったかぶりをする事ではなく、ひとつひとつのお話をよく聞き、楽しみ、関心を持ち、そして忘れない事くらいでした。次にお会いした時に、お話の続きをせびる為にも(笑)それじゃ接客になっていないと思われるかもしれませんが、もちろん日々の鍛錬の証としてカクテルを提供し、覚えた銘酒のおすすめをし、磨きぬいたオムレツの腕を披露したりもしていましたよ!でも皆様一流の店やら名店に行くような方々でしたから、私の技術なんてものをそこまで評価してくれていたわけではないと思います。
話を面白そうに聞く、関心を持つ、世辞は無く楽しむ。息子以下の年齢のバーテンダーがして差し上げられる事なんてあまりありませんでしたから。
でももっとお客様を楽しませたい、いいお酒を飲んでほしい!みたいな悩みを解決してくれたのはいつでもマスターの口癖でした。
「バー=酒じゃねえ。飲み屋で酒場で、オヤジがいるのがいいんだよ」
「別に日本一のカクテルなんて出さなくてもお客さんは喜んでくれるよ。お前さんが気持ちよく飲ませてくれさえすれば」
この気持ちというか、言葉は今でも大事にしていますし、これが主の酒場イズムの中心にあるというのは間違いないです。でも日本一とかなってみたいですね、目指した事も無いですけど。
自分の今後を決めた5年間の7丁目生活
東京都中央区銀座7-7-11菅原電気ビル地下1階「バー アールスコート」
この酒場での経験と時間は主の今後を決めてしまったといっても良いでしょう。濃厚な銀座のお客様、近隣の一流の飲食店の方々、銀座のホステスさん達、黒服の方々、同業の大先輩や同期、銀座のバーに勤めているのだという自負と責任。こんなものを20歳そこそこで覗いてしまったらもう戻れませんでした。決して給料もよくなく、今で言うブラックもいいところ。雇用契約書すらなく、失業保険もない。そんなのは当たり前だと思っていましたし、そんな福利厚生以上の実入りもありました。経験、人脈は何よりも今の僕を支えてくれています。この後、主はもう2年半、銀座のバーで修行をします。そこは今も8丁目にあり、当時の事を色々と書きすぎるとお怒りの電話(笑)もかかってきそうなので銀座の修行先はアールスコートのお話だけに。
合計7年半、銀座7丁目、銀座6丁目で修行をさせていただきました。この街での経験は人生最良の7年半です。一番きつい時代でもありましたが。
そして7年半をかけて決意を固めました。
「自分には銀座でバーをやるという確固たる決意も、自信も無い。銀座の人間には僕はなれないし、他の街で生きていこう」と。
こう、なんというか。今でも僕は銀座が一番好きな町です。襟を正してでかけよう、おしゃれをしてから行こう、と思える街は東京で銀座だけです。
たった7年ちょっとでしたが、こう思ってしまったんですよね
「勤めるんじゃ無くて、通えるようになりたい」 と。
繋ぐべきご縁は繋ぎつつ、主は次の街の酒場へと動きます。というよりご縁が繋いだ街、それが「神楽坂」でした。
またいつか、修行先のお話を書くときは、銀座から神楽坂へ移ったまだまだ若いバーテンダーのお話を書きたいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。長くなってしまいましたが、自身の振り返りもかねて書き連ねてみました。加筆、修正などして今後は修行先シリーズはマガジン化したいと思っております。
今後ともスキ、フォロー、サポート、お待ちしております!よろしくお願いいたします。