RTAという遊び #17

RTA走者は、ゲームに遊ばされていない。むしろ遊びを見出している。
ゲーム“を”プレイしているというよりも、ゲーム”で”プレイしているというべきだろう。
子どもは、遊び方を教えられなくても、遊ぶ。
一般的なゲームやスポーツでは排除されているような、人の遊ぶという行為の本質的な要素がそこにはある。

RTAは、e-sportsとしばしば比較される。
大技を行う前の緊張感は、スポーツと同じ。RTA走者の記録更新への涙ぐましい努力も、スポーツと同じ。
しかし、RTAでは笑いが起きる。
もとのゲームを知っているほど凄さがわかるし、“まっとうなプレイ”とのズレに笑える。

ディストーション
ニコニコ動画のMADムービー
マリオの顔に落書き

意図的に”バグ”(=Glitch)を起こすということが、RTAの特徴だ。
これが、e-sportsを含めた既存のスポーツと最も異なる点だ。むしろ、スポーツの規範性、与えられたゲーム性の否定≒バグこそがRTAの醍醐味である。
RTAにも、ゲームごとにルールは存在するが、それはゲームの内容に沿ったものではなく、あくまで競技として成立させるための必要条件としてのものだ。
規範から逸脱して何か“イケない”ことをやってる、見ているという感覚が、RTAの面白さの条件であるだろう。

RTAは本質的にスポーツやゲームという枠組みへのシニカルな態度がある。そして、閉じた“オレたちだけの”遊びという性質を持つ。
アウトロー。反骨。ヤンキー。

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