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冗談じゃなくこれは危機的状況ッ…

豆爆弾襲来‼︎‼︎‼︎


数時間前、

北海道に暮らして長いわしの携帯から、

地元にミサイルがぶち飛んできて
どこに落ちるかわからんからとりあえず避難せい
建てもんに入っとる場合は出んなヴォケ

…っていう趣旨の『Jアラート』が
ギンギンに鳴り響いた。

どうやら『そいつ』は、

広大な北海道のどこに落ちるのかはわからんが、
『どこかしらには落ちる』とのことだった。

加えてぶっぱなたれた時間は
朝7時半ごろであったにも関わらず、

アラートが出たのはその30分後。

はい、ICBMの飛行速度なら、
(時速およそ1,000-1,500km程度らしい)

もうとっくにいらっしゃってますよね。

北海道に。

そのように極めて危機的な状況下で、

単に避難せいと”だけ”伝えられたところで、

避難する場所がない。

『窓から離れてください』とあった。

可能であれば地下に篭れと。

あのねえ…

日本二度も汚ない爆弾落とされてんのに、
なんでわからんかなあ。

仮に小型核であっても、

確実に爆撃を避けられる場所に潜らない限り、
どこに隠れても無駄なんですけど。

爆心地であれば、
窓ガラスがぶち割れるほどの
衝撃波を喰らって無事な家屋は
日本にはほぼございやせん。

クソがつくほどの金持ちならば、
ひょっとして核耐久値の高い家を
持ってるかもしれんけどね。

…今改めて調べてみたけど、
やっぱりシェルター必要みたいよ。

普通の家屋では地震耐久高い建物でも、
核爆発には耐えられない。

一応避難について詳しく書いてあるつもりの
Webページもあるみたいだけど、

実際にある程度は訓練しておかないと、
いざという時動けないからね。

⬇︎


確かに核の規模によっては、
爆心地からの距離如何では
それほど被害を被らないこともある。

だが今回のケース、

どこに落ちるかわからないという大前提がある。

自分の頭上が爆心地となった場合、

地下に隠れたところで、
それこそ地下鉄くらいの
ガチの地下にでも篭らない限りは
爆撃を避けることができないのだ。

大規模であっても小規模であっても、

核は核。

爆心地から数キロメートルは、
大なり小なり何かしらの影響がある。

人々のまさに頭上で爆ぜた場合、
なんちゃら市なんちゃら区の
南条何丁目は壊滅状態になるだろう。

つまり普通の民家が立ち並ぶ一角の、
数百世帯がぶっ潰れることは
避けられない場合が多いということ。

それなのに、

『建物内に避難し、窓から離れて下さい』
『地下がある建物にいるなら地下に入って下さい』

そんななまっちょろい情報しか
発信できないのなら、

アラートを流す意味など
あってないようなものではないか。

なお、『有用な核シェルター』には
それなりの基準があるみたいなので、
共有しておきます。

⬇︎




その行政、頼れますか?


日頃の避難訓練はどうした?
避難経路の確保と住民への共有は?

無い…。

いや厳密に言えば『ある』んだけど、

自発的に情報を引っ張る必要がある上、
引っ張ったところで有用な情報とは
言い難いんだこれが。

一部地域では、

ミサイルの被弾を想定した
避難訓練が行われているのを知っていたが、

少なくともわしが住んでるくんだりでは、

まじで無い。

というかミサイルの脅威が出てきた時点で、
続々避難訓練をおっ始めた方が
良かったんではないかと思うんだが…

それについて適当に理由をつけて、
やらない理由を説明している
行政関係者の姿を何度か目にしたことがあるので、

国民保護のあれこれを
行政任せにもしていられないというのは
事実と言わざるを得ない。

だって普通に考えて、
『具体的な脅威への対策をやらない理由』
なんてあり得ないでしょ。

災害に関する避難訓練も、
もっと積極的に行ったっていいはずだと私は思う。

もしやるなら、私は積極的に参加する。

ざっくりとした情報ならば共有されているが…

大体において、

上記の有用な核シェルターの基準を元に
行政機関が公開している
避難に関する情報を参照してみると、

『それでどうやって命を守るんだい?
むしろ一箇所に人を集めるだけ、
大量死を招く恐れがありはしないかい?』

と突っ込まずにはいられないのは、
私だけだろうか。

核を積んでる恐れのあるミサイル避けのために、

ほぼガラス張りと言って良い
学校の体育館や教室に子供達を集めるなんて、
わしなら怖くてできないね。

むしろ学校が核シェルターを
作った方がいいんじゃないかな。

そのための費用を捻出できるだけのちゃんころは、
真面目な市民から十二分に収められてるはずだけど。

なお各地域の指定避難所については、
以下のサイトから情報を引っ張れるもよう。

⬇︎

これさあ…

あのー、シンプルに矛盾を感じるんだよ。

有用な核シェルターの基準が、

『爆心地から3.5km圏内内らばその地下に、
放射線をぶち入れない規格に基づき
鉄コン金クリートで設備すべし』

…ざっくりいうとこんな感じで
定められているのなら、

屋外の公園だとか、
ガラスまみれの学校の校舎内が、
どうして核ミサイルの避難場所として
有用になるのかって話なんだよね。

もっと単純な話をするけど、

実話に基づいた戦争フィクション漫画の
『はだしのゲン』では、
(キャラクターや組織名はフィクションだけど、
実際に起こったことを題材にしているという意味)

美しくない爆弾が落とされた
市街や人がどうなったのかが
事細かに描写されている。

学校やら市役所やら、
その辺の馬鹿でかい建物の内部や、
周辺にいた人々は皆、

一様にガラスが全身に突き刺さり、
一命を取り留めた人もいつまでも
体内からガラスの破片が出てきたのだという。
(この辺の話は井伏鱒二の黒い雨にも書かれてる)

少なくともはだしのゲンを読んだこと、
あるいは映画を見たことがある人にとっては、

核から逃れるのにガラスまみれの建物や、
公園への避難は有用ではないことを
簡単に推測できると思うんだけど、

そうした『参考情報』を
有意義に活用することも、
今の世の中では難しいのかね。

確かに私は幼い頃に戦火を逃げ惑い、
栄養不足で脚気になった経験のある
祖父母から育てられたため、

戦争に対する危機意識を育む
という点においては、
非常に恵まれていたと思う。

だから尚更、現在の行政機関が
私たち国民の身を守るために動いていないことや、

だからこそ我々が意見を出し合って、
具体的な対策を話し合える場所を
作る努力が必要だと兼ねてより感じてきた。

それにはまず、
声を出せる人々がどう団結していくかなんだろうけど…

どうすればいいんだろうか。
少なくとも私は自分のnoteの記事の
コメント欄を開けているし、

多分メッセージ等も受信できると思うので、
何かあればいつでも食らいついてもらいたい。

話を戻すけど、

爆心地からそれなりの距離があって、

『そこには衝撃波や放射能・爆炎が届かない』
ということが確約されているのならば、

ガラスまみれの建物や、
公園への避難も無駄ではないだろう。

だが今回のように
『どこに落ちるかわからない』状況ならば、

指定避難所に身を寄せては
却って危険を招きかねない。

しかしおそらく大抵のケースでは
落下地点を予測しきれず、

『どこに落ちるかわからない』状態で
ミサイルの襲来に備えねばならないことが主だろう。

であれば尚更、上記の指定避難所は、
避難所としては不適切であると言わざるを得ない。

なぜ地下がない。地下が。

北海道の市街には、潤沢な地下街が存在する。

まあ『潤沢』と言っても、
調べたところ以下のサイトに
掲載されているだけのようだが…


それでも情報が共有されないよりはマシというか、
少なくとも札幌近郊に住んでる人々なら
結構収容できるんじゃなかろうか。

さっぽろ地下街なら
何度か足を運んだことがあるが、
なかなかの広さである。
(東京くんだりには及ばんが…)

どうなんだろう。

みなさんどう思いますか?

多分だけど、行政機関に直接進言しても、
あんまり話が通らないかもしれないんだよね。

『対策はちゃんと練ってるんで、
ホームページに記載されている情報を
参照してください』

とか言われて終わるだろう。

いや、それ見ても矛盾点だらけで
頼りないから直接声掛けしてるんですけどね
って話なんだけど、

それをわかってもらうのは難しそうだから、
例えば勤め先に呼びかけるとか、

企業の伝手を頼れそうな人なら、
企業を介して行政への進言を試みるとか…

そういうのは有効なんだろうか。

行政を無条件に信じる理由がないなら、
行政を頼らずに情報を共有し合える
仕組みを作りたいものだけど、

私にはその案が浮かばない。

ただ私の発信がきっかけとなって、
その辺の行動力に優れた誰かに
火をつけられるのならば、

自分に出来る限りの助力は行いたい。

だって誰も助けてくれないもんね。
だから自分たちで自分たちを助けるんだ。



民衆の意識を高める必要性…あると思います。


YouTubeに以下のチャンネルがあるっぽいので、
念のため共有します。


行政が民間に向け発信している
あらゆる脅威に対する避難対策は、

一応情報量だけで申せば十分あると言える。

ただ目を通してみても、
中身が伴っているとは言い難い。

先に述べたように
避難場所は明示されているが、

その避難場所に足を運ぶことで
本当に避難できるのかどうかという
肝心なポイントが疎かになっている。

多分だけど、チラッと目を通せば
その矛盾点は誰でも理解できると思うんだよね。

そんなに難しい話じゃない。

なんつうか少なくとも私の目には、

『これで民間の安全を確保できると
言い切るんだとしたら、
行政の担当者はバカしかおらんのか?』

という感想を抱いてしまうほど、
子供騙しもいいところだと思った。

そこで気になったのが、

有事に際し行政が十分な避難対策を
実施していないことについて、
民間の危機感はどの程度のもんなのか?

ということだ。

つまり、行政が我々民間人の命を
種々の脅威から守るために何をしてくれているのか、

どのような対策を行なっているのかを
幅広い民間人がきちんと知っているのなら、

『具体的な対策を練り直す必要性』
が見えてくるはずだと思うんだよね。

理由については繰り返しになるけど、

どこに落ちるかわからないミサイルを避けるために
ガラスまみれの学校や公園に避難したところで、
そこが爆心地になったら大量死を招くから。

だから民間人が実際にサイトなどで
行政の対策に目を通しさえすれば、

逆に行政が民間人を
殺しに掛かってるのではないか?

といった疑念も生まれてくるくらい
露骨なもんだと思うんだが…どうだろう。

みんなはどう思う?

声をあげる民衆が相当増えれば、
行政は対策を練らずにはいられないはずなんだよね。

JAPANは一応、
民主主義国家として存在してるから。

それとも隠れ独裁国家なの?
もしそうなのだとしたら、
それに黙ってる国民って何?

権力に逆らえってことじゃなくて、

例えば自分たちが
生活のために属する企業や団体で、

有事の際の避難経路や
避難場所の確保に努めるとか、

日頃から危機管理についての声がけを行うだとか、

従業員各位と対等な
コミュニケーションを密に取っておくとか、

できることは山ほどありますよね。

ちなみに私の今のバイト先では、
その手の対策は一切なされておらず、
『何も起こらない』保証もなければ、
信用に足る情報も未だ出されてはいないのに、

通常通りに営業を行なっている。

あのー…事業所小さい建物なんですけど…
そこにいる人々どうやって避難させるんですか?

みんな死んでしまったら、
その日の売り上げなんて
なんの意味も無くなってしまうのに、

どうしてこのような時に人命を最優先し、
業務停止する覚悟も持てないんですか?

意味がわからないんですよね。

しかもそのような事柄に疑問も抱かず、

仮に疑問を抱いたとしても
それを上申できない企業なんて、
もはやなんのために存在するのか…

私の感覚では、どうしてもわからんのですよ。

ただ利益を生み出したところで、
その利益を還元する先(要は我々民間人)
をおろそかにしていては、

企業の存在意義を揺るがすと思うんだけど。

そうは思ってないんだろうね。

そう思ってたら、

Jアラートを受けた企業から、
業務停止を視野に入れた対策を
呼び掛けられるはずだから。

わざわざ従業員が声を上げなくてもね。

ちなみに私は企業へガッツリ進言して、
仕事を休むことを承諾させました。

だって嫌だもん。

避難できない小規模な事業所で働きながら、
いきなり頭上で爆弾爆ぜたら死ぬだけだから。

一応その他の従業員の安全も考慮して、
業務停止も視野に入れるべきだとも言いました。

だけどやっこさん、

その他の真面目な従業員たちの命を
ミサイルから守るという意識は
なかったみたいで、

普通に営業しとるそうです。

ほんま何もないことを祈るしかない。

確約できる情報は何もない状態で、

『ミサイルの脅威は去った』とだけ伝えて
一般メディアは満足してるし、
(ニュース内で『追加の情報収集を急ぐ』とか
言ってる時点で情報不足さを露呈してるのに、
それでなぜ脅威が去ったなどと
言い切れるのかまじで意味不明)

相変わらずJアラートの情報は更新されていない。

何考えてるんだろう、
みんな何を一番大事に思って生きてるんだろう…

みんな一生懸命生きてるはずなんだよな。

じゃなきゃ日本の治安
もっとくそになってるはずだし、

外国人から住みやすい国認定されて、
ゴロゴロ流入を許す事態にも及ばんはず。

それは日本国民が一生懸命生きてるからやと
わしゃ思うとってんけどな。

そう信じたくもあるしな。

生きたいから働くのであって、
生きるために働くのであって、

であれば、

生存を脅かされる状況下における
対策を練らずにただ人の労働力を使いまわして
金を得られればそれでいいという考え方が、

どうして罷り通るのか…
なぜそれで良いと思えるのか…

意味がわからないんですよね。

それでいいと思ってはいない人も
一定数いると思うんだよ。

じゃなきゃそもそも治安はもっと悪いし、
しょっぱい企業の勤めに
いつまでもしがみつく人は多分いないから。

”それ”ができるのはきっと、
『ある程度の利他意識を持った人々』が、

企業や集団の秩序を
守ってるからだと思うんだよね。

じゃあ何が問題なんだろう。

声を上げない。
声を上げるべき時に、声を上げない。

私に思いつくのはそれくらい。

いや気持ちはわかるんだけどね。

話して逆効果になるのも経験したことがあるんで、
怖がる人の気持ちはよくわかるけど…

でももうそろそろ声出していこうよ。

みんな一生懸命
自分なりに頑張ってるんだからさ、

誰にも文句言わせちゃならねえって。

自分の権利主張していいって。

私はそんなふうに思ってんだけど、どうですか。

多分だけど、

きっと多くの日本人が、

黒電話先輩のおもちゃが
我々の国土を実際に攻撃することはない
と思っているんだろう。
(それおもちゃじゃなくて大量破壊兵器なんだよな)

でももう来ちゃったからさ。

わし携帯嫌いで電話買うたん最近やから、

前から何度も来とったアラートを、
今日初めて聞いたのかもしれんね。

北海道ではわりかしJアラートが鳴る
っていう話を以前小耳に挟んだことがあったわ。

でもだとしたら…もうちょっと早い段階で
危機意識を備える方向に持っていけても
良かったように思うんですがね…

どうしてほったらかしてきたんですか?
どうしてなるようになると思えるんですか?

それとも『〇〇(具体的な地域)に落ちます』と
断言されたんは今回が初めてですか?

ちなみにJアラートは、

以下のサイトによれば段階を踏んで
安全を確保できるまで情報を共有し続けるという。


最初の避難アラートが出されてから約8時間。

未だに次の情報は来ない。

テレビ関連(一般メディア)の情報では、
『ヤヴァイ状況は避けられた』とされているが…

それでも、

『防災無線』や、
『避難警報の出所からの情報』を
優先するように

という通達があった。

つまりはJアラートや
防災無線から届く情報を頼りにしつつ、

避難が可能ならば速やかに避難し、
続報を待機する方が、
まだ健全な対応と言えるのではないか。

少なくとも私の身近には、
意見を共有できる人がいなかった。

結構話せる人々だと思ってはいたが、

危機意識に関しては…
壊滅的と言わざるを得ない。

残念だ。

彼らに対しぶち切れるようなことはしたくないが、

本日意見を呈したのは間違いではなかったと思う。

皆も身近な範囲に声を出していくことを
どうか恐れないでほしい。

だっていざってときには
誰も助けてくれないからね。



『別に死んでもいいや』と思ったとしても…


Jアラートがぶち騒いでから、

しばらく一般メディア系の生配信を見てたんだけど…

『別に死んでもいいかな』
とコメントしてる人が結構いるのが目についた。

でも私はそういう人々を批判したいわけではない。

私もどちらかといえば、

楽に死ねるなら
明日が来なくてもいいと思ってる方なので、

むしろ共感できる。

ただ私は、余計なお世話かもしれんけど、

生きたいと思って一生懸命生きてる人々がさ、

ごく一部の『別に死んでもいいや』
と思ってる人々のマイナス意識に引っ張られて、

その生活を脅かされるのは
シンプルに気分が悪いんだよね。

みんなはどうだろう。

本当に他人の不幸でメシが旨くなるの?

わしさあ、その心情だけは
どうしても理解できんのよ。

だって自分がそう思われたら辛くね?

自分が誰かから、

『あー、俺消えてなくなっても構わんし、
こいつが消えても別にいいや』

って思われたら嫌だからさ。

だからシンプルに自分も”それ”をしない。

何かの現象が目の前に現れたり、
何かの思いに囚われた時などに、

その逆張りをする癖が
ガキの頃からついてるから、

自分が消えてもいいやーって思った時に、

『他の人が消えてもいいと思えるか』とか、

『自分がそう思われたら嫌だな』
などと思うのが癖になっててさ。

そんなことに思いを馳せる癖がついとると、
どうしても見ず知らずの他人で、
なんなら自分を傷つけたことがある人であっても、

自分と同じく失敗しながら
一生懸命生きてる人なんだなって思えば、

私の知らないところで、
その人が幸せになる分には
一向に構わないとか思うんだよね。

『どうしても顔を合わせたくない』と思ったり、

信じられないくらい幸せになったと
聞かされることがあれば、
多少やっかむことはあるけどね。

だけど、別に相手の幸せを願わないまでもさ。

相手が不幸になったところで
自分が幸せになれるわけじゃないからね。

だから私は自分が辛いからって
他人の不幸を願う人の気持ちは
マジでわかんねえんだよ。

多分例の生配信を視聴していた人の中で、
北海道住み以外は皆他人事だったろう。

『あ〜…遠い地の出来事として適当に流されてら…』

と感じるコメントが割合目立った。

多分北海道住みは、
みんな大なり小なり腰抜そうになったか、

あまりにも平和ボケしてて
危機感を感じないかのどちらかだろうな。

平和ボケって言葉は
人を馬鹿にするように聞こえて好かんけど、

実際にこれまで携帯を所持し続けていた人々が
何度もJアラートを耳にする機会があったんだとしたら、

なんでこうも行政の対策を疑って行動しないのか、
少なくとも企業や町内会などで対策を練るなどしないのか、

全くその理由がわからないし、
その悠長な感覚は正直言って信じられないから、

『平和ボケ』って表現が適切に思えてしまうんよな。

私は頑張っている日本国民を
このようにいなすのは好きではないよ。

だけど優しくするにも限度があるよ。

ニートだとか精神病の人を
甘えてるなどと言っていなすのなら、

じゃあどうしてあなた方『聡くまともな人々』が、

行政に放置されている国民の危機に対し、
具体的な対策を練ろうと動けないんですか?

自分の声を発しないんですか?

そういうのを『平和ボケ』って
いうんじゃないんですか?

と私は思うんだがどうだろう。

ちな私は生まれて初めて腰が抜けそうになった。

小さい頃から原爆投下が
再び起こるのではないかと怖くてならず、
(多分生まれて初めて観た映画が
はだしのゲンだったからやと思う)

それが実現してしまったのか…
なんて思って茫然自失の状態になりかけた。

『どうしよう…避難できる場所が近くにない。
移動手段も徒歩かバスかタクシーのみ。
最も近い避難できそうな地下まで、
最速で1〜2時間かかる。』

なんてぶるぶるしてたら、

『ゴォォォォォォ』っていう聞いたこともない、
まるでジャムボジェッツが数機並んで
飛んででもいるような轟音が聞こえてきてさ。

家鳴りもすげーの。

(最近外国の戦闘機が
上空を飛んでる様子をよく見るので、
それかもしれないけど)

本気で死を覚悟しかけました。

あ、詰んだ…

Jアラート以外情報も来ないし、
テレビのニュースでも最も信頼できる情報は
ざっくり言ってJアラートか防災無線だって言うし、

だったらもう、最初の避難通告以外では、
防災無線も聞こえん辺鄙な場所に住んどるわしだら、

もう死ぬしかねえと思った。

しかも数年前、
『これが聞こえたら終了のお知らせ』
っていう話と共に、

国民保護サイレンの音をYRSGで聞いてさ。

そん時に『そこまでの事態には及ばんだろう』
と軽く流したくて仕方がなかった自分を恥じた。

いや起こっとるやないかーい。
数年越しに実現しとるやないかーい。

わーい。

わしの耳には
携帯のアラートしか入らんかったけど、

もっと都市部や防災無線が聞こえる地域に行けば、
あの音が聞こえたってことだよね。

まじどんだけ不安煽られたよ。
まじ心中お察しするわ。

こんな時に肩寄せ合いたいよな。

信じられるのは自分だけだとかスカして、
『なるようになる』という
思いに縋るのは実際辛いよな。嫌だよな。

自分が辛いのももちろん嫌だよな。

でもかといって第三者が不幸になったところで
別にこっちが幸せになれるわけでもないやんか。

それなのに、

なんで他人の不幸でメシが旨くなんのか、

どうしてもわからんのよ。

いや、例のコメント主が、
我々道住み人達の不幸を
願ったのかどうかは知らんけど、

なんだろう…楽にそうなるなら
いつ消えてもいいと私自身が思うから
目についただけなのかもしれんけど…

自分や誰かが、それも同じ国の人間が、
ある脅威に晒されているのに、

パァーと『俺しんでもイイカナー』なんて
言うような人間にはなりたくないなって思った。

私自身どうしても死にたくなるというか、
死ぬ以外に救いがないような瞬間を
数限りなく体験したことがあるから、

死にたいという人を
安易に止めることは逆にできない。
(勧めることもできないけど)

ただあの時は悪いけど、
自分の不幸が他人に伝播してもいいなどと
思われてるように感じて、

すんごいショックだったんだよな。

自分の幸せのために
他人に必要以上に関わらない
という心情は理解できる。

他人に関わったところで、
その人の幸せと自分の幸せのベクトルが違えば、

それだけでお互い気分悪くなることもあるしな。

そうなれば、

そのトピックについて話し合うだけでも
それぞれが幸せから遠のく恐れがあるので、

意見の合わない他人とは深く関わらないのは
むしろ賢い判断と言えるだろう。

ただ、やれるだけはやってみるというか、

とりあえず声を出してみて、
意見が合わなかった時に諦めるんでも
判断は遅くないと思うんだよね。

なんかこう、
他人の在り方を変えさせることはできないし、
そうしたくはないんだけど、

ただ無責任に情報を共有するのも好かんし、
自分が辛くて消えてなくなりたいからって、
他人も消えていいやって思うのは
なんか違うと思うんだよな。

自分が死にたくて消えてなくなりたいからって、

自分と同じ血が流れるというか、

同じ国に住んでる人が
ありえん恐怖に晒されてるのに、

それに知らん顔するような人間にはなりたくないし、
知らん顔もしてほしくないと思った。

なんだろう、
痛み分けをして欲しいわけではないんだよな。

それを願うことは
誰かの不幸を願うことと同じだと思うし、

私は先述のように自分が他人から
不幸を願われたくないという思いから、
自分も他人の不幸を願いたくはないので、

そういう感覚を共有したいわけではない。

ただ、そういう時に
支え合う意識を持って行動して欲しいと思った。

自分の中だけで完結させるんじゃなくて、

『大丈夫だよ!みんな心は近くにいるよ!』
みたいな言葉をかけられるだけでも、

腰が砕けそうな精神状態の時は救われる。

たとえ嘘でも、
内心そんなに気にしてなかったとしても、

そんな言葉を目にできるだけで
救われたりするんだよね。

なんか、そういう優しさを
自分から体現していこうと思ってくれる人が
日本人の中に増えてくれればこの上ないほど嬉しい。

自分の推せる誰かには優しいとか、

身近な人だけ助かればそれでいいとか、

そういうのは寂しい。

優れた人間になるとか、
誰かからの評価を高めるとか、
そういうことではなくて、

自分から人に優しくできる人が増えてほしい。

どうせ大抵のことは
誰からも褒めてはもらえない。

だからこそ、自分から優しくする。
自分から人の役に立つ。

そういう意識を持ってくれる人が
一人でも増える手伝いが私にできるなら、

この上なく光栄に思います。


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