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人怖。

人間の心理は深いというけど…


本当に表面しか出てないよね、
なんなら表面しか出せないんじゃないかな、

…みたいなそんな話です。

『痛みを手放せ』って
どういうこっちゃねんという。

そんなん出来んなら
とっくにしとるわっていう。

…そんな話を、
視点あっちゃこっちゃしながら
延々喋っていきますんで、

読む人を選ぶかも分かりません。




カバートアグレッション。

みなさん。

カバートアグレッション
という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

私は最近知りましたが、

これは人の性質を指す心理学用語で、

味方のふりをして近づきつつも
陰では悪口を言うなどして、
密かに相手の力を奪う人

…を指すそうです。

念の為もう少し詳しく解説します。

(θωθ)←これが
カバートアグレッションだとします。

(θωθ)は、Aさんと仲がいいです。

でも、影ではBさんに
いつもAさんの悪口を言っています。

それをAさんにはバレないようにしながら、

Aさんとの交流を保ち、
Bさんにも悪口を言い続ける…

これがカバートアグレッションとされる人々の
基本的な行動パターンだそうです。

なぜこんなことをするのかというと、

対等な人間関係を築く方法がわからず、
相手よりも優位に立とうとするからです。

(わしは『優位に立たなければならない』
と思っとる人が多い感じがする)

でも小心者が多く、

面と向かって相手の優位に立つ行動に
出られないケースが多いため、

優位に立ちたい相手にはいい顔をして
嫌われないようにしながら、
影で相手を悪くいうという行為を通して、

『本音を悟らせていない私かっこいい』
みたいなごっこ遊びを楽しむんですよ。

①相手に対して本音を隠す
②相手を好きだと思わせて悪口を言う

という二つの行動を通して、

目の前の人よりも自分が
優位に立てている感覚を味わって
楽しむそうです。

なんだろう、

駆け引き厨とでも言いましょうか。

駆け引きはかっこいい
みたいな風潮が日本にはあるんで、

日本にはカバートアグレッションが
多いかも分かりません。

まああの、

今回の話は別に
カバートアグレッションに特化した話
っちゅうわけではないんですが、

話したいことの中核に、
カバートアグレッションみのある人物との
関わりに悩み疲れたっちゅう
個人的事情があるんです。

だから、間に少しばかりカバネタを挟み、
より深く読み解いていこうという魂胆です。

心理の世界は奥深いというか、
あまりにも細かく分類されていて、

それぞれに学術的な呼称が設けられている
ケースが多いんですが、

わしゃ色んな人・ケースが
これに当てはまると思います。

ちなみに私の身近にも
そういうタイプの人がいるし、
私にもそういう部分があったので、

カバちゃん自体身近な存在です。

おそらく、

特定の条件を満たすことで
そうした性格的特性が出てくる

ので、

誰しもがカバちゃんになりうるんですよ。

学術的なことは知りません。

ですが条件を満たすことで、
誰もがカバートアグレッションになれると
少なくとも僕は思っているので、

どんな条件を満たせばそうなるのかについても
僕なりにまとめていきたいと思います。

『まとめ』と言っても、

自分の心と頭を整理したいだけなので、
知識としては参考にならないと思います。

その点悪しからずご了承ください。




他人の心の隙間にしか住めないと思っている人々


カバートアグレッションを
さらに端的に表現すれば、

人の心の隙間にしか住めないと思ってる人々
なんだと思います。

では一体どういう人が、
『自分は人の心の隙間にしか住めない』
のかと言いますと、

誰かと対等な関係性を
築いたことがない人だと思います。


だから平素寂しく孤独に陥りやすく、
人との関わりの中にある暖かさを求めている。

人との関わりでつらみを覚えてるから、
人との関わりの中に温かみを求めるんですよね。

また、そうした人々は、

平素、人間関係において
脅威に晒されていることも少なくはないため、

縦関係以外の人間関係を
想像できん傾向にもあると思います。

向き合った相手と自分の
どちらが強いか弱いかでしか、

人間関係を推しはかることができないのです。

だから哀れっちゃ哀れですが、

憐憫に駆られて構いすぎると
生命力を死ぬまで吸い尽くされる
恐れがあるため、
多くの人々にストレスを与える。

エネルギーバンパイアとかいうやつですよね。

カバートアグレッションみがある人は、
エネルギーバンパイア化もしやすいと思います。

だからカバートアグレッション
と対等に関われる人は、

必要に応じて、
いつでも相手を叱責できる人に限るでしょう。

ではこの項の最後に、
人がカバートアグレッション化する
条件をまとめますが、

学術的な話ではなく、
あくまでも私の個人的な考察にすぎないため、

『あ〜筆者はこんなふうに捉えとんねやな』
程度に受け止めていただけると幸いです。

---------------------------------------------------------------
①幼い頃から人間関係に
何かしらの脅威を感じることが多かった。


②対等な人間関係を知らない。

③カバートアグレッションを
指摘してくれる人が身近に居ない。
---------------------------------------------------------------

③についての補足ですが、

カバートアグレッションに対し
潜在的嫌悪感を抱く人は意外と多いので、

世間のカバートアグレッション達は
そういう相手と関わる機会に
恵まれやすいと思います。

だけど大抵の”彼ら”は
カバートアグレッションを完全に無視し、

わざわざ問題点を指摘しないため、
ただカバートアグレッション達から
『こいついけすかんな』と
思われるだけなんですよね。

またカバートアグレッションに対し
潜在的嫌悪感を抱かない人は、

逆に相手がカバートアグレッション
であることに気づかないため、

カバートアグレッション達から
都合よく扱われてしまう。

この悪循環が多くの人々の人間関係の
内側にあるかも分かりませんね。
(知らんけど)




今回のネタを選んだ理由


シンプルに吐き出したいことが
あったからです。

先日継父から電話が来て、
数十分も話し続けていたんですよ。

でも私とこの人物との関係性は良好ではなく、

良好にするために、
出来る限りの努力をし尽くした上で
現状全く改善の余地がない
ので、

なんの後腐れもなく完全に諦めてるんです。

でも相手は私との関係性を
彼なりに良好に保ちたいらしくて、
噛み合わないんですね。

でも私の腹は決まってるんで、
当人には直接伝えています。

でも私の言葉の意味が理解できないらしくて、

どうしても私の心の隙間に
入ろうとしてくるのがもう
鬱陶しくてかなんのですよ。

苦痛という一言では
決して言い表せない程のストレスです。

どう足掻いても私に対し
マウントを取り続けるんですが、

マウントの取り方が複雑で、

私が自分よりも成功しないよう絶妙な力加減で、

でも決してつぶれない程度に
押さえつけてくるんですよね。

ややこしいな。
上手く言えんくてごめんよ。

もっと単純に言うと、

私がしんどそうだと機嫌がよくて、
私が幸せそうだと不機嫌になるんですよ。

わしとしては、
まじで意味わからんって感じなんですけど、

こういう親って結構いるみたいですね。

最近心理関係の勉強を
私に出来る範囲でやってて、

以下の動画でその旨知って驚きました。

どんだけの人が
私と似たような苦痛に喘いでらっしゃるか。
せめて励ましあえたらどんなにか。
そんなふうに思いましたね。


ただご紹介した動画は、
苦しんでる人の目線では
厳しい話もされてるので、

ただただ心の傷が痛い人は
見ない方がいいかもしれません。

ですが発信者さんは
実際に毒親に苦しまれてきた方で、

その視点を基軸に
多角的に問題を分析した上で
詳しく解説してくださっているため、
腑に落としやすいと思います。

毒親問題は複雑で盲点が多すぎるので、
アドバイスする側が自分の問題を解決する前に
他人にアドバイスしちゃってたりするんですよ。

だから結局具体的な解決策がよう見えへんとか、

『それってあなただからできたことですよね?』
みたいな点に落ちやすいと感じることが
私には多いんですが、

毒親問題を乗り越えている人の視点で
話を聞けるのは貴重だと思うんで、

もし大丈夫そうなら発信者さんの
他の動画も見てみてください。




継父への思い


多分なんですけど、

私サイドの視点と相手の視点、
両方を理解するのは
かなり難しいかもしれません。

だから無理にご理解いただかなくとも
良いのですが、

何も言わんよりは話したほうが
こん記事をご理解頂きやすいと思ったんで、

一応解説します。

我々の関係性を紐解く上で
重要なポイントを以下にまとめました。

---------------------------------------------------------------
①継父と出会った時、彼は高校生だった

②私の血縁家系も継父の家系も、
 虐待・ネグレクト・血の繋がらない親子関係など
 いくつもの複雑な家庭の事情を代々抱えている

③私の母が継父にとって初恋で、
 初めての女だったらしい
---------------------------------------------------------------

①に関しては、
私は母がものっそい若い頃に生まれてて、
バイト先で出会った二人みたいな感じでした。

③に関しては、実際どうかは分かりません。
ただ当人と周囲の人間の供述によれば、
”そう”であるらしいです。

どれも私としては重要なポイントなんですが、

これらが複合的に関わり合って、
まず母と継父が依存関係になったんですよ。

母はいわゆるヤングケアラー
っちゅうんですか?

母方の祖父母の仲が悪すぎたのと、

祖父母の両方の金銭管理が
お粗末すぎたことから、

小学生の頃から
家計を切り盛りしていたそうです。

ですが、その状況から抜け出し、
自立しようとして付き合った初彼が
うんこまんだったせいで望まぬ妊娠をして、

健康上の都合で中絶できなかったことから
私が生まれてきてしまいました。

で、祖母の勤め先でバイトしてた時に
継父と出会い、

真面目で有能だった継父に
かなりの好印象を抱いたそうです。

お互いの年齢が熟した時に結婚するつもりで
長年交際を続けたようなんですが、

合間合間に結構でかい喧嘩をしてて、

二人が私の悪口をヒソヒソ言ってるのを
聞いたりしていたので、

本音の本音を申し上げれば、

『二人の関係を応援していいのかどうかが
全くわからない』と言う感じでした。

二人でいると、彼らは幸せそうなんです。

でも私がおまけっちゅうか、
邪魔なんですよね。

でも二人はわりかし常識的かつ
理性的でありたいという願いが強いタイプで、

『それを言ってしまっては人倫に悖る』
という思いから、

無理に言わんようにしていると感じてました。

私の悪口を言ってるのを
ちょいちょい聞いていたからです。

面と向かっては絶対に言わないんですよ。
『人倫に悖る』から。

でも彼らが二人っきりでいる時に、
私がいかに邪魔であるか、
いかにいなければ良いと思っているのかを
二人で話し合ってるのを
何度も聞いてしまっているので、

その事態に行き合ったことへの
感情の整理がつかへんかった。

直接顔を合わせると、
母は可能な限りいい母であろうとするし、

継父は可能な限り
良い継父であろうとするんですよ。

両者ともに私に対して叱り過ぎる、
物理的に叩き過ぎることはありました。

でもそれはあくまでも私のためであると
徹底して言い続けていたので、

私はそれを信じるしかありませんでした。

何せ、信じずにいたところで
路頭に迷うだけで、

誰も守ってくれない中、
ストリートチルドレンになるしか
ありませんでしたから。

だからめちゃくちゃ混乱してたんです。

どちらが本心なんねやろって。

これらに悩み疲れて、

考えんのも嫌になった頃、

二人は私に対し、
私が受け入れるかどうかで
結婚するか否かを決める

と言ってきました。

両親が自分達が結婚するかどうかの決断を
私に委ねてきたということですね。

またその際には、以下の行動とともに
条件の提示を行ってきました。

---------------------------------------------------------------
①母の心身が外働に耐えかねて
潰れそうになっていると私にアピールする

②継父が母が仕事を辞めても
生活に困らせないことを私にアピールする

③『①、②』を理由に、
結婚後は継父が私を支配することを
あらかじめ宣言する。

④『③』を拒絶するか、結婚を承諾しなければ、
母は倒れ、私は路頭に迷うと言う。

---------------------------------------------------------------

これを提示されたのは、
私が小学五年生の頃でした。

どういうことか
お分かり頂けますでしょうか。

両親の結婚を受け入れる代わりに、
私は継父へからの支配を
受け入れなければならなかった。

しかし拒絶すると、母は倒れ、
私は路頭に迷うと断じられているため、
実質拒否権も選択権もない。

大人になった今なら、
それがいかに理不尽な要求かを指摘し、
拒絶することもできますが、

リアル小五の脳みそでは、

母を守るために、彼らの結婚を
承諾するしかありませんでした。

大人になった今だから言えることですが、

実は厄介だと思っているけれど、
体面を考えると厄介払い出来ない私を
体良く厄介払いせずに済ませるため、

自分たちに完全に従わせようと
したんでしょうね。

でも改めて振り返ってみると、
頭がいいんだか悪いんだか
よくわかんないやり口で、

法的に両親の庇護下に置かれねばならない
小学五年生に対し、

両親の支配を受け入れさせる代わりに
結婚の承諾権を委ねることは『脅迫』なので、

刑法に引っかかる可能性が
非常に高いわけです。

つまり今の私が、継父に対し
かつての心理的瑕疵を訴えれば、
法的に賠償金を請求できる
可能性があるんですよ。

となると、

母はもうこの世にいませんが、

普通に結婚して普通の親子関係を
築くのが難しかったのならば、

私を手放して二人だけで
一緒になった方がよほど合法的で、

二人が幸せになれた可能性が高い
ということです。

結婚を承諾させようとした時に、

『結婚して家族になるからには
お前たちには俺に従ってもらう』と
私たちに言いさえしなければ、

私が後々賠償金の請求を行った際に
逃げ道が得られたかも分かりませんので、

ほんまに他人に対して優位に立とうとしたり、

他人を都合よく扱おうとするもんではないな…
と強く思いますね。

なお、継父がこのような決断に至ったのには
一つの理由があったようです。

それは継祖父への体面ですね。

母が元々ヤングケアラーだった
という話をしましたが、

一方で継父は継父で、
継祖父から兄弟差別を喰らい、
虐待じみた扱いを受けていたそうです。

当時の親子関係はどこの家庭も
”大体そんなもん”だったらしく、
(昭和40年代ですが、
実際じゃどうだったんでしょうか。)

それを虐待だとは両者ともに
今なお思っていないみたいなんですが、

継父はかなりメンタルをやられていたのに
それを気力でカバーし、

実力で継祖父から認められようとしていました。

中でも母との関係性を認められるか否かが
非常に重要だったようで、

それには当時の価値観で
『結婚すると一人前』という風潮が
今よりもはるかに強かったことも
関わっているかもしれません。
(今も大なり小なりありますよね)

継祖父は途中まで片親で育ち、
物心ついた頃に継母の養育を
受けるようになったそうなんですが、

継母はいい人ではあったようです。
(私から見ると継曽祖母に当たる人)

ですがやはり片親と
血がつながらないだけでもしんどさを味わうのは
いつの時代も大体変わらないようで、
(そうじゃない人々もいるかもしれんけど)

母と交際していた継父に対し、
『万一結婚して子供が産まれた場合、
私(筆者)とその子を差別せずにいられるか?』
という挑戦状を頻繁に叩きつけていたそうです。

元々継祖父に認められることに
固執していた継父は、

その挑戦状を全力で受け取り、
全力で挑もうとしていたわけですね。

まああの、控えめに言って
私は全力でとばっちりを受けているわけですが、

当人は当人の事情で手一杯で、
私が実際どんな思いでそれらの事柄に
対峙しているのかにまで
神経を使うことができなかったようです。

ここまでの話を一旦整理しますが、

私と両親にとって最も幸せな決断は、

ひょっとすると私を施設に預け、
両親は両親で結婚して新たな家庭を
築くことだったかもしれないんですが、

継父が継祖父から
立派な子だと思われるために
私のことを疎んじているのにも関わらず
無理に我が子として受け入れた上で結婚したため、

間に挟まれた私が言葉にできない孤独と
軋轢を感じ続けたというわけです。

上手く言えないんですが、

いっそ私に対し、はっきりと

『結婚するにはお前が邪魔だから
施設に入っとくれ』

と言ってくれた方が楽だったってくらい、

仮面親子関係はしんどかったんです。

なお母は実際に結婚するかしないかの時点で
心身が限界を迎えていたため、

療養の時間を渇望していたようです。

結婚前からゲーマーだったんですが、
結婚後はゲームばかりやって私のことは
叱り倒す時以外適当にあしらってました。

でもそれを指摘すると、
『自分ほど我が子を想っている親はいない』
と言ってガチギレするか、泣き出すので、

めんどくさいの一言だったんですよね。

しかもそういう『内情』を
外面にはひた隠しにして、

『いい親子像』を演じさせ続けるので、

そのうちこう思うようになりました。

『こういう扱いを受けるくらいなら、
いっそのこと親元で育たなければ良かった。』

上手く言えないんですが、

私は母のことが大好きなんですよ。

母より後に死にたくないってくらい
母の死を恐れていて、
母の幸せを願っていたし、
本当に一緒に幸せになりたかった。

でも一緒に過ごす時間が長くなればなるほど
母が実は私のことを疎んじているのを感じ、

母が継父と付き合い始めてからは
一層私のことを疎んじていると感じ始めたことから、

じゃあ私身を引きますわ…
っていう気持ちになってしまったんです。

嫌いなら直接嫌いって言ってくんねえ?

寝室の扉越しに
『あのクソガキさえいなければ』とか、
私の醜態を恋人と話して、
馬鹿にし合って笑い合ってんのが
丸聞こえな方が、よっぽど辛いんよ。

小学生が嫌いな奴を陰で吊し上げるのと
同じことを我が子にすんなよ。

って思うやん?

でも親としては、

私ができたことがそもそも想定外で、
受け入れ難いことだった。

だけど受け入れたことを
『私のためにしてやった』と思っていて、

いつもそれを理由に
私にマウント取るんですよ。

それが十二分に言い分になる
と思ってるんです。

それを理由に私を粗末に扱うことが
許されると本気で思ってるんです。

法律に無知だっていうのも
あるかもしれませんが、

一方で誰よりも自分が正しいと
思っているような傲慢な人だったんで、

法律に詳しかったところで、
法律が間違ってると
言い始めるかもしれませんね。

ちょっとこの辺わかりにくいかもしれんので、
もう少し詳しく解説しますと、

母がそもそも、

『あんたを無理に産んでやった私が、
あんたをいかに粗末に扱おうと、
あんたは私に感謝しなければならない。』

というスタンスでいるんですよ。

当人の認知としては、

『私は無理にあんたを産んでやったのに、
あんたからは微塵も感謝と愛情が感じられない。
だから時に感情に訴えかけることがある。』

ということなんですが、

私は十二分に表しているんですよ。
母を信頼し、母に寄り添っていた。

だけど、それが母の望む形ではなかった
という理由で、

私は母からは『嫌悪の対象としてよい相手』
と認知されるに至りました。

なお私は両親が陰で私の悪口を言いながらも
私と面と向かって接している時や、

その他の家族の前では
いい親として振る舞っているという
ギャップに耐えかねて、

『本当のことを言ってくれ』と、
何度もぶつかったことがありました。

継父は完璧な嘘つきなので、
いくら尋ねても本当のことは言いません。

また母は結婚と同時に仕事を辞めた時点で、
もう2度と外で働きたくないと思っており、

下手に継父の機嫌を損ねて
外働しなければならなくなる事態を避けるため、

継父や継父家族に対し、
かなり気を遣っていたようでした。

で、それを察しない私に対し、
いわゆるフレネミーやら
カバートアグレッションやらに
抵触する気質を見せ、

イライラをちょいちょい私に
ぶつけてくるんですよね。

で、更に辛かったのが、

私は10代の頃に両親の態度に耐えかねて
別居を申し出たんですが、

当時は一人暮らしする財力がなかったのと、

二世帯住宅の祖父母の家の
片棟が空いていたことから、

祖父母の家に暮らすことになったんですね。

そこで両親は、
『定期的に遊びに来い』って言うんですよ。

それも今思えば、体面を保つためなんです。

でも当時はそれを真正面に受け止め、
『両親は両親で私のことを
大切にしようと思ってくれてはいるんだ』と、
自分にとって前向きに捉えようとするんですよ。

やっぱりいっくら両親が
私を微妙に思っていることを
骨身に沁み込まされていたとしても、

子である私は親が大事だし、
心の底から仲良く、
お互いを尊重し合いたいと思ってるんです。

だからそのチャンスを得られたと思って、
今思えば『ぬか喜び』して、

別居後も両親のもとに遊びに行くわけですよ。

するとその度嫌な顔をされる。

で、

私が日頃どれだけの失態を
犯しているのかを聞き出し、責めるけど、

私の幸せエピソードには
一ミリも興味を示さないし、

責められた失敗を改めるためにする
努力の全てをも否定するんですよ。

なんだろう、こんな態度を取られると、

『俺両親のサンドバッグなのかな?』

って思うようになるんですよね。

程なくして以下のように気づき、
考えを改めようとしました。

『やっぱり両親はわしが嫌いなんやな。
じゃあもう会わんと、なんとかこのまま
一人で生きていけるようにしよ。』

しかし、親に連絡せずに
自分の生活に専念していると、

『なんで連絡せず、遊びにも来ないんだ?
何かやましいことでもあるのか?』

と言ってくるんですね。

で、遊びに行ってはまた同じことの繰り返し。

だから、私も詰め寄るしか無くなるんですよ。

『実際私のことを大切だと思ってるのか、
そうじゃないのかはっきりさせよう。
そして、その本音次第では縁を切ろう。』

って。

でもそう言っても、

絶対にその私の言葉を思い過ごしだ
と言ってあしらうんですよ。

で、その『思い過ごしだ』っていう言葉を
信用して親と接しようとすると、

また私の粗を探しては責め、
突っ込み、自信を消失させ、

自分を改めようと努力すると、
『そんな努力は無駄だ』と直接いなすか、

まるで失態を犯さないことを
つまらないことだと思っているかのように、
だるそうにするんですよね。

失敗を犯したと報告するときに
露骨に目を輝かせて、

『こんなことを頑張って、
こんな成果を出し始めた』とか、

『こんないいことがあった』と
報告するときに限って
ため息ばかりつくとか、
露骨につまんなそうにするから、

そう思わざるを得ないんですよ。

『なんだよ…粗探しさせねえのかよ…つまんな。』

みたいな。

いや私あんたらのおもちゃか?
でもその態度、
そう言ってんのとおんなじやぞ?

ああ、あと、自分が好きなものを
私に発表するときはイキイキしてましたね。

私が『しくじり』を告白し、
親がそれを責め嗜めるタイミングと、

自分の好きなものを私にプレゼンする時。

その時だけ彼らの目は輝き、
非常に楽しそうでした。

結構エグいこと言ってますよね。

でもねえ…当事者としては、
それでも親を捨てらんないんですよ。

だって子供は親がいなければ
生まれてこないんです。

生まれてくれば、
不幸になるかもしれんけど、
幸せになるチャンスもあります。

だからどんな親でも簡単には捨てられないし、

親から愛されていないことを感じるからこそ、

自分が親を愛している分
愛して欲しいと願うもんなんですよね。

でも今はもう完全に諦めて、
親から愛されたいとは微塵も思ってません。

なお母は亡くなる数年前に
原因不明の難病に罹ってるんですが、

それから程なくしてもう一度
母に詰め寄ってみました。

両親との関わりで私が
いかに苦しんできたかを理解し、
自分の微妙な態度を
改める気はあるのかどうか。

なぜこれらを詰め寄ったのかというと、

病気になる前後、母は継父と継父家族、
実家の家族との齟齬に
耐えかねなくなっていたようで、

それに乗じて、
私によくするようになったんですよ。

これが何を意味するかっていうと、
いざという時に私を頼るためです。

私は自分の身を守るのに精一杯だったので、
そんな責任は負えません。

だけど、母がこれまでの私に対する態度を改め、
反省した上で良好な関係性を築く覚悟が
本当にあるのなら、私は母を継父や、
その他の家族との軋轢から
守ろうと思っていました。

だから、そこを確認するために
母に詰め寄りました。

母との間に本物の信頼関係と、
親子としての愛情の絆を感じられるのなら、
私はやれると思いました。

でも、やっぱり違ったんですよね。

あくまでも母は、
私への態度を改めることなく、
何かあった時の滑り止めとして
私を役立てようとしていた。

だからそこで私はもう、
『親ガチャに失敗したんだな…』って、
ようやく諦められたんですよね。

すごいよな。

親ガチャに失敗したって、割と簡単に
ネットで話してる人よう見かけるけど、

そんなに簡単にどうやって受け入れられたん?

私はなっかなか受け入れられんかったよ。

何年粘って、何年ぶつかってきたか。

こういうのを執着っていうのかな。

私たちの間には、
両者ともに問題(課題)があったんですよ。

両親は、お互いと、
それぞれの両親(私から見ると祖父母)との
関係性に対する課題を解決する必要があり、

私は私で両親との関係性の傷を
いかにして癒し、いかにして
自立するかを模索する必要があった。

そうしたそれぞれの問題(課題)を
それぞれが各々解決するために、
各々境界線を張って、
集中する必要があったんですね。

で、私は境界線を張ろうとしていました。

両親と物理的に距離を置き、
自分自身の問題と向き合おうとしていた。

…だけど両親からは
何度も彼らの領域に踏み込まされては、
彼らのサンドバッグにされていた
というのは先述のとおりです。

私は成人後間も無く
でかい借金を抱えたんですが、

それすら両親に迷惑をかけるつもりは
微塵もなかったんですよ。

つまりどういうことかというと、
自己破産してカード作れんようになっても
よかったんです。

それはちゃんと伝えました。

だけど、両親は体面を気にして、
私に自己破産させずに
自分たちの貯金を崩して
借金を立て替えたんですよ。

私はそんなこと一ミリも頼んでないし、
自分の過ちの責任を
自分で負うつもりでいました。

よくよく考えてみれば、

クソガキが抱えた
でかい借金なんざ立て替えんでも、
両親の体面が汚されることはなかったんですよ。

『あらぁお子さんクソガキねえ』
ってむしろ周りから同情されるはず。

なのになんで『それ』をやったか。

私にマウントを取り続ける材料を得るためです。

意味わかんないですよね。
そうまでして他人にマウントを取り続ける
メリットってなんなんでしょうね。

そのために貯金まで崩す馬鹿いる?
いるんですよ。私の両親。

変わってますよねえ。ほんと。
今だから言えますけど。

ここにきて再び
カバートアグレッションネタに戻りますが、

両親、特に継父は、
各々の家族間において自分たちが
いかにまともな親であるかを示すため、
私がいかに悪ガキであるかを
吹聴して回っていました。

そのため、私は母の葬儀のタイミングで
親戚一同から集中バッシングを受け、

私としては唯一の母を失ったという
タイミングであったにも関わらず、

まるで母が私のせいで死んだと
言わんばかりの状況になってしもうた事が
軽くトラウマになりました。

わずか数年前のことなんですがね。

でも母は晩年、
ほとんど口を利けなくなった時点で
私への愛情に目覚めたようです。

人の心はほんまにわからない。

ずっと枕元に私の絵を飾っていたようで、
生前一度も私の絵を褒めてくれなかったのに、
わしの知らんところでそんなことされたら、

いよいよ親に恨み言言えんやんか…
と思ってしまいました。

この項クソ長くなりすぎたんで
そろそろまとめますが、

母はおそらく、
元々それほど私を疎んじては
いなかったんですよ。

まああの、相性の悪さみたいなんは
感じてたみたいですけど、

私を嫌っていたわけではなかった。

ただ一日10時間以上労働して、
月収10万にも満たんのに
大した生活保護も受けれんしで、
仕事を辞める口実をとにかく探していた。

そんくらいしんどかったんです。

で、相変わらず上手くは言えないんだけど、

多少の問題点には目を瞑ってでも、
自分の身を守るために仕事を辞める必要があった。

これは事実だったんですね。

でもそのチャンスをくれた相手に
結構な問題があった。

だから継父との交際が始まった時点で、
母はいろんな選択を迫られ、
あらゆる条件を飲まされ、

私とのことも相手に合わせなければ
あかんようになってもうたんでしょう。

なんだろう…

パンズラビリンスっていう映画を
ご存知でしょうか。

結構グロいんで
おすすめはしにくいんですが、

あの映画ではある親子関係に
フィーチャーしてまして、
そこを主軸に物語が進んでいくんですけど…

その親子関係が私にとっては
ピンと来る感じなんですよ。

ここで映画のネタバレを少々失礼します。





主人公はボッシーなんですね。

で、母親は困窮した生活を改善するために
自分達の養い手を探していて、

財力だけ勝ってる相手を見つけ、

再婚の口実付けに
とっとと子供を拵えちゃうんですよ。

『不幸せ家族無計画』ってやつです。

で、主人公と母の再婚相手は
はじめっから微妙な関係で、

なんならその再婚相手は
主人公の母親の腹にいる子供にしか目がなくて
母親のことすら愛してはいないので、

側から見ても主人公の肩身は
狭狭の狭なんですが、

母親は自分の生活のために、

主人公が再婚相手との関係に
苦しんでいることに目を閉じて、

主人公にも目を閉じさせようとするんですよね。

これは酷い行いだけど、
母親は主人公を愛していないわけではないし、
意図的に主人公を苦しめるつもりもない。

ただ自分の生活を優先せざるを得ない
状況に置かれている。

最終的には、

母親が財力だけで相手を選んだがために
難産になったお産の際に
子供を優先されて命を落とし、

主人公は再婚相手の手で命を落とすんですがね。

極端な例に聞こえるかも分かりませんが、

この親子関係と、
私の親子関係は妙に合致する部分があります。

ST人に対して寛容な社会なら、
私は56されていたかもしれません。

そもそも母が小学生の頃から
婦人病を抱えていなければ
堕ろされていた命なので、

何から何まで運命は数奇であるとしか
言いようがないんですけどね。

で、これでまとめると言いながら、
また一つ二つしんみりしてしまっとるんですが…

サーセン。

ものっそい中立なものの見方を
頑張ってやれば、

誰が悪いわけでも無いんですよ。

私の生家の家族関係に関わった全員に、
同情の余地がある辛い体験があり、
私はその一部に過ぎない。

だから私の視点だけで
この問題を語ることはできんけど、

私個人の辛い思いを蔑ろにしては、
母亡き今、この問題を解決する事ができない。

なお私は鼻が効くというか、
理性よりも野生の勘が鋭い方なので、

小さい頃に両親が
私の悪口を影で言っていたことと、
実は私を体良く利用しようとしていた裏側で、

それぞれがトラウマや家族間の問題に
悩んでいたことには気づいていました。

だから、自分が悲しくて辛くても、

『自分の苦しみに目を瞑って、
親の立場を優先しなければ薄情だ』

と思っていたんですよね。

両親と対峙してそれらを詰問した時に、
”そうしなければ薄情だ”と
直接言われたこともあるんですが、

私はギリギリまで悩み続けていたんですよ。

『自分の苦しみに目を瞑って、
親の立場を優先しなければ薄情だ』

と思いながらも、
自分の悲しみが強過ぎて、
どうしても沸き起こってくるんですよね。

だからこそ、直接話し合って
お互いを尊重し合う道を探す必要があった。

だから私は、

『自分の苦しみに目を瞑って、
親の立場を優先しなければ薄情だ』

と思いながらも、蟠りをなくすために
両親に詰問する必要があったんですよ。

私は両親の苦しみを受け止める。
だが両親も私の苦しみを受け止めてほしい。
そうやって『あくまでも対等』に、
お互いを尊重し合いたい。

そんな思いが私にはありました。

でも両親は、
どうしても自分の苦しみを
私に理解させようとすることしか
できないんですよ。

それ以上どうしても、頭も心も働かない。

親子関係において、
『お互いを尊重しあい、対等に接する』
ということの意味を、
両者共に根本的に理解していない。

そういう概念は、
はじめから持っていなかったんです。

親子関係は縦関係でしかなく、
親が子供に力を示すことは当たり前であり、
それ以外の選択肢は存在しない。

それ以外の選択肢を認めては、
良好な親子関係は根本から破綻する。

だから私と対等に接することを
むしろ恐れてまでいたんですね。

そうしてしまっては、
自分たちが必死に築いてきた親子関係と、
親子関係ありきの家族関係の全てが破綻する。

だから何が何でも、
子供(私)を自分たちの支配下に置かなければならない。
それは家族全員の調和のためなんだ。

…そう心の底から思っている。

それが私の両親の価値観でした。

母に『最後の詰問』を行なったのと同時期に、

自分の将来のプランについて
継父にも説明しなければならなくなり、

継父にも我ら親子関係の内側に漂う
蟠りを解消するための提案を行う
必要性が出てきたんですが、

その際に自分の考えの全てを伝えたんですね。

すると、

今私が申したのとほぼ同じ事を言われた上で、

『お前は家族の調和を壊す気か?』

と言われ、

『あ…まじで話通じひん…』と、
ようやく腑に落とせたんですね。

これが今からおよそ5年くらい前のことです。

つまり私としては、
5年前に両親との心の決別が果たせていた。

だけど両親、特に病に倒れていない継父は、
先に述べた自分の価値観を私に押し付けるのを
やめようとはしなかった。

だから私は言いました。

『親子関係だからって、相続の義務は無いし、
関係性を保つ義務も無い。
私はこの関係性を負担に思っているし、
何かあったときに迷惑をかけるのも後味が悪いので、
縁を切ろう。』

だけど継父は、

『親子間の調和を保つには
父親による支配が不可欠だ』

という考えを曲げぬまま、

私の話を聞き入れようとはしないんですね。

だからムカがついて、

こんなに言葉の通じない奴を相手に
一体私に何ができるというんだと、

親子関係にまつわる全ての蟠りを
吐き出し整理した上で、

改めて法的措置に出るか出ないかを
決めようと思ったんです。




さいごに



クソ長記事もこれで終わりです。

もしこんな自己満記事に
最後までお目通しくださった方がいてらしたら、

本気で御礼申し上げます。
誠にありがとうございます。

また『まとめ』と言いながら長くなったら
申し訳ありんそんなんですが、

私たち人類にとって、

親子関係が一番めんどくさい
人間関係かも分かりません。

私は自分自身もけったいな体験をし、
身の回りにも似たような人々が集まったため、

大なり小なり家族や親子関係に
問題を抱えるんが人間やと思ってますが、

もしそうでは無い場合、
毎日毎日感謝して大事に大事にして
頂けたら嬉しいですね。

うまく言えんのですが、

親子関係が良好なことって、
かなり得難いことなんですよ。

それだけで価値が爆発してるというか、
途方もない幸福だと思うんです。

だから余計なお世話かもしれんけど、

もし少しでも蟠りがあるんなら
解消したほうがいいと思うし、

私のように解消しようと努力しても努力しても
解消できない場合もあるでしょうが、

やれるだけ向き合ってみることで
自分の人生観が変わることもあるかもしれないのと、

親子関係で悩み抜いて死んじまうんは
あんまりにも勿体無いので、

なんつうかこう、

ちょっと傷付いたらSNSで
浅っちょろい同調を求めては
不幸を強めるのではなく、

自分の意思で親に向き合ってみてほしいんですよね。

はっきり言って、

昨今の若者は打たれ弱くなってきてると思います。

でもそれも仕方ない。

団塊ジュニア世代は割と
虐待を受けながら育った人が多いのに、
社会は取り立ててそれを話題にしなかったため、

彼らは自分の子供に対し無関心を決め込むか、

何をしていいかわからんからって
最低限の衣食住だけ与えて他は何もしないか、

親にされたように虐待するか…

という極端な接し方をしてきた
ケースが多いらしいので、

多くの若者にとっての親代わり先生代わりが
デバイスになっちゃったんですよ。

何事もリアルな体験には勝りませんから。

どうしても現実的な体験への耐性が
弱くなってしまうもんなんです。

私が若い頃も、
引きこもりでゲームばっかり
やってたような人は非常に打たれ弱く、
簡単に自分を被害者扱いしていました。

それから10年〜10数年くらいしか
年代が空いてないけど、

この短い間に親の子供への接し方は
ずいぶん変わり、

子供達とデバイスの距離感も
密になったものと思います。

私の頃はまだ、

家が貧乏なら親は子供に
携帯を持たせなかったので、

クラスのグループラインなんざ存在せんし、

ネットの誹謗中傷なんざ、
SNSやってる人くらいしか体験せんかった。

だからちょっと同じ感覚は
非常に持ちにくいとは思いますけど、

リアルな体験はやっぱし大事ですよね。

しかも、

自分が結構いろんな事を体験してきたが故に
見えてきたこともあって、

感じられたことが多かったゆえに
わかるようになったこともあって、

それらはネットと向き合ってるだけでは
ありえんことだったんですよ。

しかも、それに気づいた時に、

シェアしたくなるんですよ。

説教じゃないです。
ただシェアしたくなるんですよ。

だから見方によっては
差し出がましいことも申しましたが、

それについては
適当に流していただいても構いません。

ただ近頃色々なことが
取り沙汰されてますけど、

重要なんは自分の身近な範囲の風通しを
自ら良くしていくことだと思うんで、

どうかめげずに向き合ってみて
頂きたいと思いました。

あれ、こんなこと言うつもり
なかってんけどな。

おやすみよ。






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