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自由の香り

自分のクルマを手に入れたときは、万能の力を得たような気さえした。
それまで乗っていたバイクと違って、こけるという緊張感にさらされることがない。
雨風にも負けない。
さらにすごいのは、眠くなったら、すぐにシートを倒して休憩できるということ。
移動に加えて宿泊の機能まで備えていることは画期的だった。
思い立って走り出せば道が続く限りどこまでも行ける。
その可能性が僕を興奮させた。

そうして、生活にクルマが浸透してくると自分の部屋の延長のように思えてきて、飾りたくなってくる。
僕や友人たちのクルマは誰かのお下がりや安い中古車でクルマ自体がおんぼろだったから、みな小手先の工夫で自己主張を始めた。
ある者は、最新の流行曲をせっせとテープにダビングして載せる。
ある者は「四駆」や「ターボ」など付いてもいない機能や装備のステッカーでクルマを飾る。
ある者は座席にTシャツを着せる。
ある者はヘッドレストにバンダナを巻くといった具合である。

差別化を計る一方で、全員のクルマに一様に乗っていたのが芳香剤だった。
毒々しい紫や緑の粒々が、どぎつい香りを放つ。
それはもう、むせ返るほどの香りで、クルマを降りた後も服や髪の毛にまとわりついていた。
あれは、何故だったんだろう。
若さの持つ歪んだ過激と過敏の表れだったのか。

あれから二十年以上が経った。
クルマは通勤とたまの家族旅行で使われるだけだ。
「子どもが乗っています」のステッカーが貼られ、チャイルドシートとお尻拭き用のウェットティッシュが載っている。
芳香剤はない。
だけど、仕事や雑事に追われ細切れになった自分の時間の中で、かつてのことを思い出すとき、鼻先をかすめるのは、あの芳香剤の香りだ。
白々と明けていく見知らぬ街の駐車場で、まどろみながら胸いっぱい吸い込んだ、どぎつい香り。
僕にとっての自由の香り。

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