見出し画像

もつ鍋ブーム

ブームというのは、突然にやってくる。ありがちな言葉で言えば、雨後の筍みたいに。
そして、僕らの街にもブームがやってきた。
そう「もつ鍋ブーム」だ。

1992年当時、もつ鍋はブームだった。
なんだか、書いていて嘘みたい。
だけど、本当に街は、もつ鍋一色だった。
バブルが崩壊し、安くて美味しくてヘルシーな物へ。
そんなふうに雑誌では分析していた。

そして僕は、そんなブームの渦中の一軒、「もつ鍋博多屋」で、バイトをはじめた。
繁華街のビルの地下一階、壁は鏡張りになっていて、初めて面接に言ったときは「なんだかラブホテルみたいな店だな」と、行ったこともないくせに思っていた。
時給千円、晩飯つき。仕事上がりにはビールを飲んでもいいとのこと。
面接もビールを飲みながらで、自分にぴったりのいいバイトをみつけたと喜んだ。
小さな店で店員は店長を含めて5、6人くらい。
バイトの中には、中国からの留学生の人が二人いた。
名前はオウさん、チョウさん。
オウさんは日本語が達者だったが、チョウさんは全く話せなかった。

ある日のバイトあがり、僕は、チョウさんと鍋をつついていた。
晩飯は、たいていもつ鍋で、僕は大好きなもつ鍋を、わしわしとほおばっていた。
ふと気がつくとチョウさんの箸が進んでいない。
どうしたのだろうと思ってたずねるが、やっぱり何を言っているのか、ちっともわからない様子。
しばらく、みぶりてぶりのやりとりが続いたあと、はっとひらめいたチョウさんは伝票用のボールペンを手に取った。

「痛」

左手の手のひらいっぱいに書いた、その文字を見せると、チョウさんはお腹を押さえた。
ああそうだったのか。
僕は全てを理解して笑顔を返したが、チョウさんの顔には苦痛の色がにじんでいた。

「もつ鍋ブーム」は去り、バイトはクビになった。
あの店もいつのまにかインド料理店に変わっていた。
チョウさんはどうしているのだろうか。
笑顔でなくて、薬の一つでも渡してあげればよかったと悔やまれてならない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?