見出し画像

生きる力を借りたから、生きている内に返さなきゃ

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
という形式的な挨拶はさておき、2021年になった。昨年は3月頃からのコロナウイルス蔓延により、それぞれの生活に多大な影響が出たと思う。外へ出るときはマスクを必ず着け、建物の出入口では体温チェック、消毒が必要。仕事はリモートがメインになり、飲食店は時短営業。3密を避けろと言われ、楽しみにしていたイベントなども中止、無期限延期になった。今までの生活というものが遠い昔のおとぎ話のように思われ、新しい生活のスタイルにいち早く順応することを強要された。困惑した人も多いだろう。

そんな2020年だったが、なんとか生きて2021年を迎えることができた。『「なんとか生きて」だなんて大層な…』と思う人も少なくないかもしれない。がしかし、実際のところ本当にそう思うのだ。『コロナ自殺』なんて単語ができるほどコロナウイルス蔓延による影響により自ら命を断ってしまう人がいるし、どうにもこうにもいかなくなって自分の生業を畳んで今どこでなにをしているかわからない友人もいる。そんな状態だからこそ自分が2021年を迎えられたことは『なんとか生きて』迎えられたと言っても過剰表現ではないのだ。

何故生きて迎えられたのかというと、それは確実に自分の周りの人間、友人達のおかげだ。人と会うのも外へ出るのも億劫になってしまった状況においても、連絡をくれ、遊びに誘ってくれたり、予定を立てて楽しみな事を作ってくれた。そこを目標として自分は日々を過ごしていけたと思う。目標が近い遠いはあったと思うが、確実にそこへ向けて『頑張ろう』と思えたのだ。そこへ向けて『生きよう』と思えたのだ。

今ざっと写真フォルダを見返してみても、誰かと過ごした楽しい時間の写真で溢れていた。どれもとても楽しかった記憶たちだ。それを見て思い出すだけでも少し元気が湧いてくる。それを友人達から貰ったのだ。

僕も誰かに僕と過ごした時間でそういう思いになってほしいな

そう思う。文章にしたらとても傲っているなと思ったが、この主語は誰にだって当てはめられると思う。自分が生き抜いてこれたのは、紛れもなく『誰かから貰った生きる力』のおかげである。貰ったものは他人に返したくなる。誰かにも『生きる力』を与えられたら、と思うのだ。この借りは与えてくれた人に返すだけではなく、自身の周りの人にも与えられる『生きる力』だと思う。楽しみなこと、面白いことが目標にあると、日々を頑張れる一因になる。そういったものを自分のために、周りの人たちにもそう思ってもらえるようにつくっていきたい。

長々と話してしまったが、今年も様々な人と楽しいこと、面白いことを共有していきたいと思っているし、新しいいい出会いをしていきたいと思っている。僕で良ければ(日にちさえ合えば)駆けつけるので是非とも誘ってほしい。僕も積極的に色々な所へ足を運びたいと思っている。

改めまして、本年もよろしくお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?