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子どもを見習えば、楽しく生きられる

散歩のときにみる朝日や、雨上がりの晴れ間から差す眩しい光。

子どもが遊んでいる姿をみると、それを見たときのような眩しさを感じることがある。

まるで後光が指しているようだ。ぱぁぁぁぁっと目を輝かせて、夢中になり繰り返し繰り返ししているのをみると思わず顔がほころぶ。

新しい世界を知るたびに、ワクワク目を輝かせている。

そんな姿をみて、たいていの大人はニヤける。頬が緩む。

というか、子どもは光だ。未来の希望だ。大切な宝だ。

その反面、羨ましくも思ってしまう。今の自分はそれほどこの世界を楽しいものとしてみれているか、好奇心は失っていないか?知識や経験にとらわれていないか?

それほどまでに世の中を知ってしまっている。

いつからか、ちょっとした諦めもでてきて退屈したり、辟易することもでてくる。こんなもんなんだなぁと思ってしまうこともある。

なんでこうなったんだろう。子どもの頃に戻りたいと多くの人が一度は思ったことがあるはずだ。

そして、いつの日からか、新しいものに触れることを恐れるようになる。経験が行動を制限してしまう。挑戦することを諦めてしまう。変にできないんじゃないかな、と頭でっかちになってしまう。

そんな時、僕はこう思うようにしている。

楽しく生きようと思うなら、子どもに教えてもらえばいい。

職業柄、子どもに教えている立場と公には示しておく必要があるのだけれど、むしろ子どもたちからは教わることのほうが多い。教える立場に驕ることは違うと思っている。

だから、子どもにはいつも敬意を払っている。

こどもが憧れるもの、なりたいという気持ち。ただ、それをしているだけで楽しい瞬間。

これは、別に大人になってももっていたっていいはずだ。でもそれができなくなっていることに気がついた時、素直にそれができていないことを認め、好奇心と興味をもって新しいことに意識的に取り組みたい。夢中になりたい。

キラキラしていたらいいじゃない。周りがどうとか、そんなこと考えていない子どもたちに教わればいい。

そして、子どもたちが、この人面白い、かっこいいと憧れる存在になりたい。憧れあいたい。いろんな経験をしても、子ども心をわすれない大人でありたいと思う。

そんなお話。

あなたのワクワクが満たされますように。

それでは、また明日。

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