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一番病という病。

「一番病、知ってますか?」

そうです、常に一番でないといけないと思ってしまうあのややこしい奴です。

私は仕事柄、お子さんと関わることが多いのですが、これは保護者の困りごとの中にもよくでてきます。

一番じゃないと気がすまない。
1番最初に部屋に入らないと、一番最初に帰らないといけない、勝負は勝たないといけない。ときにはじゃんけんですら、勝てないと癇癪を起こす……。

でも、これって発達障害どうこうという話ではなく、小さいときは誰にでもある話ですよね。そして案外、大人にもある話だったりします。

個人的には「競う」ことは特に悪いことではないと思う。

勝ちたいと思う気持ちは、前に進む推進力にもなるし、悔しいと思う気持ちは努力にも繋がります。

実際、狩猟時代から生き残るためには、ある程度「競う」という要素も必要だったと思います。優秀さを伝えることが子孫を残したり繁栄するために重要だったりする。

ただ、時代が変わりつつあり、勝ち続けなくても生きられるようになっているのも事実。

価値観は多様化し、良いと思われるものも様々。

Youtubeなんかも、万人に受け入れられるものというより、今までだったらただの変わり者。ニーズの少ないニッチな世界の存在だった人が、対象が世界になった分、ニッチな人の分母が増えて、価値が見いだされるようになってきている。

生まれてから、なにかを欲しがったり、だれかに勝利したり。

私達は比較的そんな世界の中で生きている。

価値観がしっかりできていない子どもにとっては、「勝つ・負ける」という2元論で考えると、これはもうほとんど勝つが良いに決まっている。そんな感じなんだと思います。まだまだイメージの力が弱い分、自分の思ったこと以外の他のものに目が向けられない、細部、内容に目が向けられないので、派手なわかりやすい「勝ち負け」にこだわる

そんなことを繰り返すなかで、次第に「勝たなくてはいけない」という固執に変わっていきます。

大人はそんな様子をみて、内容はどうだった?という結果ではなく、プロセスをみてみようよという話をします。視点を切り替えてほしいから。でも、子どもからしてみたら「どっちなんだよ〜」と混乱してしまう。

特に発達障害をお持ちのお子さんは、そのあたりの曖昧な捉え方を好まない人が多いので(白黒はっきりの世界が好き)特に混乱する。「かもしれない」と考えると不安になりすぎて、嫌なこともあるかもしれません。

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結局は程度


結局は程度論なのかなと。

小さいときの価値観は少しずつ変わっていくかもしれない。でも、子どもは大人のように競う、勝つということの捉え方を、自分に有利に考えにくい。

かつての自分がそうだったように「こうじゃないといけない」というような「こだわり」や「切り替えられない」ことは想像力の低さと経験の少なさなんだと。

「羨ましい・妬ましい」というのもベースは競うということ、比較するということがあるように思います。

人生を進めていく一つの要素であるとともに、結構な頻度で悩みや苦しみにもつながるものです。

小さい頃から知らず知らずのうちに、そんな競争にとらわれているんだなと実感します。

「どこかで、案外そうでもないよ」と子どもたちにも気がつけるチャンスがあればいい。世の中「イエスノー」だけで判断できるものでもないよ〜、複雑系なんだよ〜と思った話。

それでは、また明日〜!

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