それは突然やってきた①

 介護休暇を取った時に特養(特養老人ホーム)の申し込みは済ませていたんだけれど、ケアマネさんから「男性は女性に比べて入所人数が少ないので(全体の約3割とのこと)回転が遅いから時間かかりますよ」と言われていた。
 私の介護休職は年内いっぱいの予定だ。夏ごろはまだ「さて、来年からどうするかなぁ」とぼんやり考えているだけだった。2年ほど前から希望していた遠距離在宅勤務は、コロナ禍のためいったん留保してたけど、去年の4月からの始めて、それからは東京と大阪を行き来しながら、仕事をして、介護をして、その合間にちょっぴり漫才もするというあくせくとした生活を送っていた。そうこうしているうちに父の要介護認定のレベルが上がり、老いのせいなのか母の体力の低下も目立ち、私も結構な疲労困憊で、さすがにこの状態を続けるのは厳しいなと感じ始めていた。なので思い切って半年間の介護休職に踏み切ったというわけだ。
 頭では年内中の期限なんてあっという間だと理解はしていた。

 しかしながら、私が介護休職を始めてからというもの、気候がよくなったせいなのか、私が世話をすることを嬉しく思ってくれているのか、父の状態がとても良いのだ。1日中まどろんで、寝ているのか起きているのかわからなかった時間が少なくなり、言葉も明瞭になった。『コーヒーが飲みたい』とか、『小便がしたい』とか、『起きたい』とか『ベッドに行きたい』とか、しょっちゅうなにかを要求する。
 母と私は、あきれながら「元気になったらなったでうるさいね」と笑う。
 母も父と二人きりで暮らすという不安がなくなって安心しているようだった。

 父を起こし、オムツを替えて着替えをし、車いすの移乗、洗顔、歯磨き、そして血糖値を計ってインシュリンを打つ。何ひとつ一人ではできないのですべてを手伝う。

 これがモーニングルーティン。
 
 洗面所まで車いすを押し、私が父にエプロンをかけると、
「今日もやっとここまでこれた」
 父は判で押したように同じことを言った。私は私で
「そうだね、今日もここまでこれて良かったね」
 と、毎日同じ言葉を返した。
 差し出した右手の袖口をたくし上げ、水を汲んだ洗面器を顔の近くにもっていくと、父は唯一動く右手で雑に顔を洗う。私はタオルで顔を拭き。歯磨き粉をつけた歯ブラシを渡す。父は8本くらいしか残っていない数少ない歯を磨く。うがいをさせて、入れ歯をいれて完成。食卓に車いすを着ける。
 「血糖値あてクイズ!」
 そう言って私は、父と母に今日の血糖値はいくらでしょう?とクイズを出して遊んだ。
 
 私はこの朝の時間が好きだった。

 子どものような眼差しで父は私を見つめる。この表情が何とも言えず愛おしかった。
 頼りがいのあった昔の父の顔はもう思い出せない。
 
 特養が決まらなければ、来年からはまた以前の方法をとるしかない。だけど一度仕事から離れてしまった現在、同じことができるのかしらと不安がよぎる。貯金が続くまでもう少し休職を延ばすか、それとも東京の生活を畳んで大阪に転勤願いを出すか、いっそのこと退職しちゃうかとかいろいろ考えていた。

 相方と漫才の稽古を終えて帰ってきたある日の夕方、母がケアマネさんから特養の空ができたと連絡があったと言った。母は突然のことで戸惑っているようだ。
 私もどういう風に返答をしたらいいか迷った末、「良かったやん~」と返事した。

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