ワーゲンを数える

 私が通っていた高校は通学に約1時間半かかった。進学のために有名な私立校へ通うとかでは全くなくて、いたって普通の公立高校。元々は地元で受験したんだけど、入学早々の家庭の事情で引っ越したから必然的に遠くなっただけ。その高校は、入学してみて、あまり好きなタイプの学校ではないなと気づいたので、転校できたらいいなと浅はかな希望を抱いていた。けれど父が学校へ赴き、我が家の事情を説明してこのまま通学できるよう依頼した。そこに私の意見は入っていない。

 始業が8時半だったので毎日5時半に起きて、6時には家を出てた。大嫌いではなかったけど、だからといって楽しい高校生活というわけでもなかったので毎朝6時前に起きて学校へ行くことがだんだんめんどくさくなってきた。
 高校へ入学した頃は定期券を買うお金をもらっていたけど、それもだんだんと厳しくなってくると、朝、母からお弁当と500円を手渡され、行きは父の軽トラで学校付近まで送ってもらい、帰りはもらった500円で切符を買った。はっきり覚えていないけどたしか片道460円だったと思う。おつりは缶の貯金箱に入れた。

 父の本業は造園業を一人で細々と営んでいた、ずっとスズキの軽トラックを乗っていた。子どもの頃は友達の父親が乗っているようなファミリーカーが羨ましくて「○○ちゃんのとこみたいな車に乗りたい~」と言うと、「これはスズキベンツって言ってクルマんなかで一番かっこうええんやで」とお得意の軽トラジョークを言いいながら、私を抱きあげて荷台に乗せると、近所の空き地をゆっくりと走らせた(今ほど規制が厳しくなかった)
 荷台の手すりにつかまって風を受けるのはとても好きだった。

 我が家では、私の高校時代が金銭的に一番大変な時期だったようで、自慢のスズキベンツも買替えできず、あちこちに凹みや傷がたくさんあった。ドアはガムテープで抑えて、助手席側からしか乗り降りできない状態で。もちろんエアコンは壊れていて、真夏は窓を全開にしても汗が出た。
 けれど、私は父と軽トラで通学するのが大好きだった。電車だと6時前には家を出なくてはいけないけど、車だと1時間遅い7時出ても間に合うし、なにより車内で父と他愛のない話をするのがとても楽しかった。

 車内で父と無言になって気まずいなと思うことがなかったので、何かしら喋っていたんだと思う。とりわけカブトムシ型のワーゲンを数えるというゲームで遊んでいた。当時カブトムシ型のワーゲンを30台見つけるといいことがあるというジンクスが流行っていて、父と私は対向車にカブトムシ型のワーゲンを見つけては数を積み重ねてた。白いワーゲンは今までの数がリセットされるというよくわからないルールもあり、せっかく積み上げた台数も、30台が訪れる前に必ず白いワーゲンが現れるので、結局卒業までにクリアしたことはなかったように思う。途中で「あれ?今何台めだったけ?」みたいな感じで台数を忘れることも多かったのだけど。

 父のことも父との朝のドライブも大好きだったくせに、学校の前に車を止められるのは嫌で、学校からずいぶん手前の学生があまり通らない裏道で降ろしてもらいそこから10分ほど歩いた。ぼろぼろの軽トラックを見られることが恥ずかしかったのだ。姉にそのことを言うと「ひどい娘ね~」と笑いながら言った。

 後に、父の知人から、父は私に仕事のついでと言っていたけれど、仕事開始(お客さんとの約束の時間)まで、ぶらぶらと車を走らせたり、喫茶店に行ったりして時間をつぶしていたと聞いた。
「パパは、サトミちゃんを送るためだけに早く来てたんだよ」

 父はとても子煩悩で私は愛されていたんだなと思う。

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